第75話 優しさと勇気

「以前、虹枝にじえださんには話した事ですが、僕たちは雪丘中学校という場所で、異能力者の男と出会いました」


 あおいを連れて再び休憩室に戻った虹枝と灰仁かいじんは、彼の話を聞いていた。


「彼は勇人ゆうと君と対決をし、敗北を認められずに逃走。辺りを探しましたが、彼の姿は見つけられなかった」

「ああ、勇人もそう話してたな」


 下部サイト01で過ごしていた時、勇人たちから今までの旅路については聞いていた。雨黄あまき羽流矢はるやという異能力者が避難所のひとつを力で私物化しており、勇人たちがそれを撃退したと。


「実はそれ、噓なんです」

「何?」

「雨黄羽流矢は、僕が殺しました」


 思わぬカミングアウトに、灰仁は目を見開き、虹枝は静かに眉をひそめた。


「僕の異能力でゾンビを誘導して、逃げ出した彼を囲ったんです。そしてゾンビに食べさせた。直接手を下してはいないものの、彼を殺したのは僕です」


 人殺しを悔やんでいる様子は全く無く、けれどいつもの柔和な笑みも無く、ただ真顔で事実を述べる蒼へ向けて、虹枝は訊ねた。


「何故殺した?」

「彼は極めて攻撃的な異能力を持っていて、実際にその能力を振りかざして人を支配していました。そんな人間を野放しにはできない。だから殺しました。再び襲って来ないとも限りませんし、あんな人間が生きていても、また他の誰かが困るだけ。そう判断しました」

「……そうか」


 罪の告白にはどれほどの勇気がいるのだろうか。彼の表情には現れてはいないものの、少なからず抵抗や葛藤があったはずだ。

 包み隠さず話された彼の本心を聞いて、虹枝はソファーから立ち上がった。そして、蒼の肩に優しく手を置いた。


「お前の判断は正しい」


 スターゲートの子供たちに向けるような優しさの宿った瞳で、虹枝は蒼に笑みを零した。


「この世界には生きるべき人間と死ぬべき人間がいる。どれだけ綺麗事で誤魔化そうともこれは事実だ。世界がゾンビだらけになる前から、人間社会には性根の腐った人間が紛れている。今の世界はそれがより浮き彫りになり、なおかつ殺人を妨げる法も無いだけ。勇人のような人間はそれを許さないだろうが、私は人の形をしたゴミの処分には賛成派だ。スターゲートへの愚痴と殺意を聞き続けていたお前達には言うまでもないだろうがな」


 蒼が雨黄を殺したという事は、勇人たちは知らないだろう。実際、勇人は自分に大怪我を負わせた雨黄を許そうとしていた。彼はどこまでも甘く、そして優しい人間なのだ。


 だが一方で、蒼も好んで人を殺す殺人鬼では無い。不穏分子の排除という名目はあれど、人を殺めて何とも思っていない訳ではないだろう。その秘密を隠し続ける事を、全く負担だと思わないはずもない。そんな蒼を支えるように、虹枝は語りかける。


「だから私は、お前の判断は正しいと思っている。自分や仲間を守るために敵を殺す事は、ひとつの優しさだ」


 スターゲートに属する全ての大人を殺してでも子供たちを守ろうとした虹枝の言葉は、決意を持って打ち明けた蒼の心に染み渡った。


(何のためらいもなく人殺しを肯定する大人も、少しどうかと思いますけどねぇ……)


 彼女の言葉を聞いて苦笑する灰仁だったが、特に口出しはしなかった。虹枝の言う通り、今は法律も機能していないようなサバイバル世界だ。人を守るための殺人なら、自然と許容されてしまうだろう。


「……ありがとうございます」


 許されるどころか称賛された事に驚いた様子の蒼だったが、彼も顔を和らげた。彼はこれからもずっと、人殺しの十字架を背負う事になるだろう。それでもその重みは、人に話す事で軽くなった気がした。蒼はそう感じたのだった。


「それで、勇人クンがゾンビにならないかもしれない、と言っていましたね。アレはどういう事でしょうか?」

「ああ、そうですね、話を戻しましょう」


 灰仁に尋ねられ、蒼は再び話し始める。


「雨黄羽流矢は僕がゾンビをけしかけて殺しました。彼はたくさんのゾンビに噛み千切られ死にました。けれど、二度と起き上がる事はありませんでした」

「何だって……?」


 死んだ人が起き上がらない。それは至極当たり前の話なのだが、死因がゾンビに噛まれた場合では話が違う。むしろ、のだ。


「それはつまり、ソイツはゾンビにならなかったという事か?」

「はい。彼はゾンビの群れが興味を失うまで嚙まれ続けました。それなのに彼は、ゾンビになる事なく命を落とした。陽が沈みかけるまでずっと眺めていましたが、彼は動かなかったんです」


 蒼はただ雨黄を殺すためにゾンビを誘導し、雨黄がゾンビになった事を確認してから帰るつもりだった。だが、彼はゾンビにはならなかった。

 獣に喰い散らかされたように、原型をとどめない肉塊がそこにあるだけだったのだ。それを見た蒼の頭に、ひとつの可能性が浮かび上がった。


「これは僕の仮説なんですけど……異能力者は、ゾンビにならないんじゃないかって思うんです」


 事例ケースは雨黄羽流矢の一度だけ。けれど蒼には、その考えがどうしてもただの妄想だと捨てる事は出来なかった。


「僕たち異能力者は能力と同時に、いくつかの副産物のようなものまで発現しているんです。怪我の治りが速かったり、体力や身体機能が向上していたり。それはもはや、人類種としての変異――いや、『進化』なんじゃないでしょうか」

「なるほど……その副産物の中に、ゾンビウイルスに対する免疫が存在するのではないか、とお前は考える訳か」


 言いたかった事を虹枝が上手く汲み取り、蒼は頷いた。


「僕達の血や体を調べてください。それがワクチン開発の一助になるなら、僕はいくらでも協力します」


 蒼がこうも積極的に申し出る事は珍しい。彼も必死に戦う勇人を見て、変わっているのかもしれない。


「分かった。遺伝子分析については任せておけ。灰仁、プロジェクト・ハイエンドに使われていた検査装置はまだ使えるか?」

「ええ勿論ですとも。技術者が次々とゾンビになるせいで、今は埃を被ってますけどね。人員はどうします?」

「私がいれば十分だ。下部サイト01では子供たちの遺伝子調整をほとんど一人で行って来たからな」


 ソファーから立ち上がった灰仁と二言三言話した後、虹枝は蒼へと向き直った。


「検査は明日行う。他の奴にもそれとなく話を伝えておいてくれ」

「明日ですか……? 僕は今からでも構いませんよ」

「馬鹿を言うな。お前だって作戦に参加して疲れているだろう。今日はもう寝ろ、いいな?」


 ぶっきらぼうな言い方だが、これも虹枝なりの優しさなのだろう。蒼は素直に受け取り、今日は寝る事にした。


 異能力者はゾンビウイルスに感染しないかもしれない。憶測でしかない話だが、実例はある。一縷の希望を見出した大人達は、ゾンビウイルスワクチンの開発へ向けて準備を始めた。





     *     *     *





 眠い。とにかく眠い。

 とても大事な、やらなきゃいけない事があった気がするけど、今はとにかく寝ていたかった。用事といっても大した事じゃないはずだ。自分で言うのもなんだが、子供の俺がするべき事なんてたかがしれている。


「勇人、覚えておきなさい。人生ってのは何が起こるか分からない。自分の常識じゃ理解できないような事がたくさん存在するんだ」


 目を開けるのも億劫な俺は、暗闇に身を浸したまま声を聞いていた。まだ若さの残る明るい声。父さんの声だ。近くにいるのか?


「それはスタートの合図すらなく、突然牙を剥いて来る。だからな勇人、お前はお兄ちゃんだから、唯奈ゆいなを守ってやるんだ。いいな?」


 言われなくても分かってるよ。いつも引き籠ってばかりだしいつも素っ気ない態度だけど、何よりも大事な俺の妹なんだから。


「お父さんはこう言うけどね、苦しい時は全部一人で抱え込んじゃ駄目よ? 大人の助けが得られなければ、子供たちで助け合うの」


 母さんの声も聞こえて来る。二人の声を聞いて『懐かしい』と感じた。どうしてだ? 二人は今も、近くにいるのに。


「困った時は周りに力を貸してもらいなさい。唯奈だって、本当はお兄ちゃんの事が心配だろうし」


 それはもっともだ。唯奈にはいろいろと迷惑をかけたし、たくさん心配をかけた。それに今は唯奈だけじゃない。いろんな人のおかげで、俺は生きている。その中には、間違いなく父さんと母さんもいる。


「僕達もいろいろと準備はしてきた。あとはお前達が頑張るしかない。本当は僕も助けてあげたいんだが、必ずしも隣にいられるとは限らないからね」

「二人で助け合って生きるのよ。たとえ離れていても、私と春人はると君は勇人と唯奈を見守ってるから」


 そうだ。父さんと母さんはもういない。三ヶ月前の火災で命を落としたのだ。

 二人の声が遠くへ行ってしまい、やがて暗闇にひとりきりになる。けれどすぐに、穴が開くように小さな光が現れた。それは眠り続ける俺を迎えに来たかのように、徐々に近づいて来る。


 何故忘れていたんだろう。俺にはやるべき事がある。ここで寝ている場合じゃない。

 光が目の前に迫る。眩しい光だ。そして、とても暖かい光だ。

 今までずっと、俺を支えてくれた光。


 もし、もう一度目を開ける事が出来たなら。まだ生きていいのなら。


 再び目を閉じ、倒れる時まで。絶対に唯奈たちを守り続ける。皆で生き延びる。それが父さんと母さんとの約束でもあるのだから。


 光が俺を包み込む。視界を真っ白に染め上げていく。ボロボロになった俺を創り直すかのように、どこからともなく力が湧き上がって来る。もう眠ってなんていられない。


 俺はゆっくりと目を開いた。

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