第74話 命に係わる小さな心配事

「その憎悪は、間違っちゃいないわ」


 声の主は、パジャマ姿で廊下を歩くアカネだった。その一歩後ろにはシオンも一緒だ。


「あなたがスターゲートへ抱くその怒りは、何もおかしなものじゃない。あたりまえの自然なものよ」

「アカネさん……。でも、私には、これが正しい怒りに思えないの。八つ当たりのように思えて」

「いいじゃない、八つ当たりでも」


 ベンチに座る唯奈ゆいなの前までやって来たアカネは、清々しいまでに堂々と言ってのけた。


「行き場の無い不満をいつまでも抱え込むくらいなら、手頃な的にぶつければいいのよ。ちょうど悪の権化みたいな大人がうようよいるんだし。世の不条理を全部大人のせいにできるのが子供の特権よ」

「そ、それは暴論が過ぎるんじゃ……」


 ハッキリとドヤ顔で持論を展開するアカネに、唯奈は困惑していた。しかし、ふとアカネの目が優し気に細められる。


「これ、先生が言ってた言葉なんだけどね」


 彼女たち超能力者が言う『先生』というのは、勇人ゆうとと唯奈の父、朱神あかがみ春人はるとの事だ。アカネを含む子供たち全員が慕っていた今は亡き大人の言葉を、彼女は口にする。


「『嫌な事を何かのせいにするのは悪い事じゃない。いっそ世界のせいにしてもいい。そうして子供たちが見つけた世の中の悪い所を正すのが、大人の役目だから』。先生はきっと、今のあなたにも同じことを言うはずよ」

「お父さんが……?」

「行き場の無い怒りっていうのは怖い物よ。積もり積もれば自分の心を内側から壊してしまう。私達にはスターゲートっていう明確な憎悪の向ける先があったけれど、道具でしかなかった頃の私達には刃を突き立てる手段が無くて、ずっと胸の内に抱え込んで生きて来た。だから、その苦しさは人並み以上に分かるつもりよ」


 アカネは唯奈に視線を合わせるようかがみ込む。シオンと二人でサイト01の子供たちを守って来た姉貴分のような彼女は、同い年の唯奈から見ても大人びてると思えるような、頼もしい笑みを浮かべていた。


「だから、その不満や怒りはどっかに吐き出したらいいわ。自分にあった方法でストレス発散してみるのもいいし、いっその事スターゲートの代表、『ゲートリーダー』だっけ? あのオッサンをぶん殴ってみるのも良さそうね」

「暴力はダメだってば。唯奈ちゃんを不良の道に誘惑しないで」


 隣の双笑ふたえが唯奈を庇うように抱き寄せるのを見て、アカネはいたずらっぽく頬を緩める。


「不良ねぇ……楽しいわよ? 悪を自覚してる連中に正義の名目で手を上げるのは。ねぇシオン?」

「まあな。自分たちが安全圏にいると勘違いしている大人を捻り上げるのは、実際悪くない気分だった」

「ちょっと二人とも! 唯奈ちゃんは優しい子なの! そんな事しないんだから!」


 頬を膨らませて悪魔のささやきから守るように唯奈の耳を塞ぐ双笑。まるで唯奈の姉のような振る舞いをする彼女の様子が可笑しくて、アカネは声を出して笑った。

 彼女の明るい笑い声が、鉛のような重苦しい空気を吹き飛ばしてくれるような気がして、唯奈は真っ暗だった心に小さな灯りがともるように感じた。


「まあ、冗談はさておき」


 悪い笑顔を引っ込めたアカネは、背中に隠していた右手を唯奈ゆいなに近づける。頬に冷たい感触が広がった。アカネが差し出し、頬に押し当てたそれは、冷えたペットボトル水だった。


「今のあなたに大事なのは、体を休める事よ。今日……いや、もう昨日なのか。昨日は外に出て作戦に参加してたじゃない。相当疲れてるはずよ」

「でも……」

「お兄さんが心配なのは分かるわ。でも、彼が戦ったのはあなたを守りたかったからじゃないかしら。そんな彼が目を覚ました時にあなたが倒れちゃってたら、きっとすごく心配すると思うわよ?」


 アカネからペットボトルを受け取りながら、唯奈は視線を落とした。

 二人で家を出た日の夜、勇人は一度、唯奈を寝かせるために夜の見張りを交代しなかった事があった。その時に唯奈は勇人を叱り、彼は二度と約束を破らないと誓った。


 相手を心配し、思いやる気持ちは大事だ。しかし自分の体に無理をしてまでそれを通すのは、誰も喜びはしない。今の唯奈は、勇人と決めたあの日の約束を破っているようなものだ。


「……そうだね。アカネさんの言う通りかも」


 顔を上げた唯奈は、ようやく小さく笑った。


「ありがとう、心配してくれて」


 真っ直ぐに感謝を向けられて照れ臭くなったのか、アカネは僅かに頬を赤らめて立ち上がった。


「ま、まあ別にそこまで心配してたって訳じゃないわよ? ただ友達として助言をしに来ただけで……」

「噓付くなよ。めちゃくちゃ心配してたぞ」


 一歩後ろに立っていたシオンがぼそりと呟き、アカネの肩がビクリと跳ねた。


「唯奈になんて話しかけようか凄く悩んでたし、俺にも何度も聞いて来た。こんな時間まで悩み続けた末に不安だからついて来いって言ったのもコイツだし」

「ちょ、ちょっと! 言わないでよ!!」

「マズかったか……? こういうのは素直に伝えた方が良いと思うんだが」

「全然良くないわよ! バカ! 不器用人間!」


 真夜中なのも忘れて大声で反論するアカネを見て、シオンは仏頂面のまま首を傾げた。彼は本気で良かれと思ってアカネの気持ちを代弁しただけのようだった。そのせいで胸の内を全て唯奈に聞かれてしまったアカネは、顔を赤らめてそっぽをむいた。


 勇人の容体は深刻だ。未だ意識を取り戻していないし、ゾンビウイルスに感染してしまったという絶望的な現実が、彼の生存への道を塞いでしまっている。

 けれど、沈みきっていた唯奈の心は、心配し励ましてくれる友人たちのおかげで少しだけ明るくなった。





     *     *     *





 スターゲート技術開発部門・ゾンビウイルスワクチン開発チーム研究室。

 保護ゴーグルとマスクを着用した白衣の大人達が大勢、交代しながら24時間体制で開発を進めていた。


 プロジェクト・ハイエンドの基礎となる超能力者の子供たちを作り上げる、受精卵のゲノム編集。

 ゾンビに噛まれた際に勇人が打った注射器『毒素分解細胞投入機ライフライン・ホワイト』に使われている医療用細胞、通称『A2-細胞』を生み出した細胞研究。

 そして、世界を蝕み続けているゾンビウイルスの元凶となった生物兵器、『Z-ウイルス』を造り出したウイルスの遺伝子コード書き換え技術。


 ナノレベルでの細胞や遺伝子の操作において、スターゲートの技術は数世代先をいく、文字通り次世代の超技術だった。社会の裏でこの国が生んでしまった『文明の突然変異』とも言える。

 その研究ひとつひとつが、明るみになってしまえばそれを巡って世界大戦が勃発しかねない代物だ。その一端に関わる者として、虹枝にじえだ心白こはくは窓から研究室を覗きつつ、大きなため息をついた。


「冗談抜きで文明の破壊と再構築を三回はこなせるようなこのクソ組織ですら、ゾンビウイルスワクチンの開発は進んでいないのか」

「口が悪いですよー。相変わらずではありますけど」


 そんな虹枝の悪態を笑顔で指摘するのは、彼女の同期でもある灰仁かいじん雷六らいむ

 そして二人がいるのは、研究室に隣接している休憩室。ワクチン開発に携わっている灰仁のもとへ、進捗を訊ねに虹枝がやってきた所だった。


「『A2-細胞』やその元となった『A-細胞』をゾンビウイルスの特効薬にするべく更なる変異を誘導する方針と、採取したゾンビウイルスから抗体を造り出して培養する方針、それから『H-細胞』――『Highend細胞』から全く新しいワクチン用医療細胞を開発する方針。様々な路線を並行して進めていますが、どれも芳しくないんですよねぇ」


 茶髪のボサボサ頭を掻きながら、灰仁は苦笑する。ゾンビウイルスが空気感染する以上、彼ら開発チームもいつ瓦解するかも分からない。彼らがいなくなってしまえば、人類は本当におしまいだ。

 だからこそ、これは時間との勝負。思いつく限りの可能性を全て試している最中なのだが……成果は未だ上がっていない。


「『H-細胞』……? 何だそれは」

「ああ、アナタはプロジェクト・ハイエンドから外れたから知らないんでしたっけ。二つ目の人間兵器ハイエンド特異細胞体ハイエンド・セルクラスターの根本となる特殊細胞ですよ」

「そう言えば、そんな話も聞いた事があったな……」


 研究室の窓から視線を外し、虹枝はベンチに座ってコーヒーをすする灰仁を見下ろす。


「結局、完成したのか? その特異細胞体ハイエンド・セルクラスターは」

「ええ。当時は超常能力者ハイエンド・サイキックに力を入れていた事もあって彼らほどの完成度ではありませんが、一応完成はしたみたいです。もっとも、戦闘能力には不安が残るので、今はコールドスリープから覚醒させていませんよ」

「そうか」


 虹枝は短く返し、虚空を見上げて唇を噛んだ。

 下部サイト01に異動した彼女は、今まで組織の犠牲になってきた子供達への贖罪のために、『失敗素体ローエンド』と呼ばれる子供達の世話をしていた。

 けれどそれでも、彼女が抜けた後もプロジェクト・ハイエンドは続き、更なるハイエンドが生まれ続けていたのだ。分かっていたとは言え、思い出す度に怒りと自責の念がない交ぜになって湧き上がるのを感じる。


「目を覚ました彼らの住む世界を残してやるためにも、私達大人が頑張らねばな」


 だが、その怒りや後悔は破壊に使う物じゃない。今はただ、前に進むための原動力とするべきだ。いつでも希望を持って、ともすれば楽観的なまでに前ばかりを進んでいた勇人たちと関わるうちに、彼女の心境にも変化が訪れていた。


「ええ。もちろんですとも」


 そんな元同僚であり今は仲間でもある彼女を見て、心情を察したように灰仁も静かに微笑む。


「いつか、朱神先生がおっしゃってましたね。世界をより良く正すのは大人の役目だと。まさに今が、この世界を正すための正念場ですよ!」

「そうだな。その意気で徹夜しろ」

「もちろんそのつもりですが……手伝ってくれてもいいんですよ?」

「悪いな。ゲノム医療は専門外だ。間違って新型ウイルスを生み出してしまうぞ?」

「なるほど、絶対に立ち入らないでくださいね」


 軽口を交わしながら、二人は休憩室を後にする。扉が開くと、その足は止まった。扉の前に人が立っていたのだ。


あおい……?」

「夜遅くにすみません。勇人君についてひとつ、どうしても話さなくちゃいけない事があるんです」


 共に行動して来た仲間が倒れ、彼も精神的に応えているはずだが、彼らの中でも最年長だけあって、ほぼ普段通りの冷静さを発揮している。

 そんな彼の改まった様子に、虹枝は眉をひそめる。続く彼の言葉は、勇人の容体を知る誰もが耳を疑うものだった。


「勇人君は、ゾンビにはならないかもしれません」

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