第73話 繋がる想い

 勇人ゆうとが大きな怪我を負い、本部へ緊急搬送された。Aチームに穴が開いた為、グランドクリーン作戦は一時中断。現時点で安全が確保された半径70メートル地点にドローンでバリケードを設置し、作戦に参加した隊員は帰還する事となった。


 唯奈ゆいなたちAチームの面々が勇人の大怪我を知ったのは、通信により作戦の中断が知らされた時だった。全員が本部に戻って来た時には、勇人は既に集中治療室へ運ばれており、顔を見る事も出来なかった。


 治療室前のベンチに座って、唯奈と双笑ふたえは勇人の無事が確認できるまで、ただ待っていた。


「お兄ちゃん、大丈夫だよね……」

「きっと大丈夫だよ。勇人君が簡単にやられるはず無いもん」


 か細い声で呟く唯奈の手を握り、双笑は優しく微笑みかける。いつも兄に対して当たりの強い唯奈だが、別に彼の事が嫌いな訳ではない。どこのきょうだいにもある、あるいは親子間にも発生するような、気恥ずかしさから来るありふれた反抗期のようなもの。


 だから、彼が大怪我を負ったとなれば唯奈だって心配する。少なくとも、既に日付が変わった頃だというのに、全く眠る気配が無い程度には。

 そんな唯奈に寄り添うように、双笑はずっと傍にいた。彼女は勇人の容体と同じくらいか、あるいはそれ以上に、唯奈の心を心配していた。


 医療班の大人たちの話では、勇人の怪我は相当なものだという。左肘の下辺りが強く噛み砕かれており、肉も骨もボロボロで、くっついているのが不思議なほど。出血量も決して無事とは言えないものだった。

 さらに左足の膝蓋骨が粉々に砕け、その下の骨や筋線維もダメージを負っている。他にも全身に細かな傷がたくさんあり、何より限界まで異能力を使ったからか、ひどく衰弱しているらしい。


 一言で表すならば、満身創痍。

 どうにか一命を取り留めたとしても、今までのように自分の足で立って歩けるのかどうか分からない。そもそもゾンビに噛まれたのだから、このままいけば死は免れない。あまり考えたくはないが、絶望的な状況だ。


「……お兄ちゃんはいつも、重荷を背負ってくれてました。私の分まで全部」


 ぽつりと唯奈は呟く。優しく添えられる双笑の手を、強く握り返した。


「私は一度も、お兄ちゃんに優しくした覚えがありません。突っぱねた態度を取って、一人で部屋に籠って、現実逃避のようにゲームばかりやって……なんて事のない日常が続いているのは、全部お兄ちゃんのおかげなのに。そんな事にも気付かずに、私は……」


 彼女の手を握って、双笑は静かに話を聞いていた。小さく相づちを打ちながら、唯奈が満足するまで溢れ出る感情を受け止めた。


「一度も、恩返しをしていない。面と向かって笑い合って、ありがとうって言ってない……! 恥ずかしがって、意地を張って、素直になれなくて。いつか言えばいいと思って先延ばしにして、世界がこんな事になっても『いつか』が来ると思ってた。お父さんとお母さんが死んだっていきなり知らされたあの日に、身近にいる人もいつかは容赦なく消えていくって事は、思い知ったはずなのに! お兄ちゃんはいなくならないって勝手に決めつけて、そんな甘い考えでずっと過ごして……だから私は、何も返せていない。何も……私は……」


 小さく背を丸めて呟き、声を荒げたかと思えば、また途切れる。突然訪れた兄の命の危険に、締め付けられた唯奈の心は不安定になっていた。


 勇人はゾンビに噛まれた。とてつもない外傷よりも、それが一番重要な事だ。

 ゾンビに噛まれた者はゾンビになる。この世界の常識であり、現状においてそれを逃れる術はない。


 遅かれ早かれ、勇人の命は尽きる。


「……まだ、お兄ちゃんと離れたくない……」


 か細い声と共に、唯奈の頬に涙が伝った。スターゲート本部の不気味なまでに白く清潔な廊下に、少女一人分の嗚咽が響いた。

 思っていた事を全て吐き出したせいで、隣に双笑がいるのに、涙が止まらない。あるいは、双笑が傍にいてくれているからこそ、止まらないのかもしれない。


 双笑は何も言わずに、頬を濡らす唯奈をそっと抱き寄せた。背中をさすって、唯奈の気が済むまで胸を貸した。彼女の寂しさを少しでも埋めるように。彼女の悲しみを包み込むように。

 双笑は優しく微笑んだまま、自分の分まで不安を吐き出してくれた少女を抱きしめた。



 そうして、どれほどの時間が経っただろうか。それほど経ってもいないのかもしれない。嗚咽が言葉になるくらいには落ち着いた唯奈は、それでも双笑の手をぎゅっと握りしめながら呟いた。


虹枝にじえださん、言ってましたよね。ゾンビウイルスは空気感染もする可能性が高いって」

「……うん、言ってたね」


 今まで判明していたゾンビウイルスの感染経路は、血液感染、経皮感染、ベクター感染の三つ。さらに空気感染能力も持っている事が判明した今、もはや地球上に安全地帯など存在しない。

 今まで散々呼吸していた以上、いまさら感染を防ぐ対策をしても遅いだろう。今は一刻も早くワクチンを完成させる事が大事だと判断し、開発部門はいつ死ぬかも分からないこの環境で、文字通り死力を尽くしているのだとか。


「いつ誰がゾンビになるかも分からないって聞かされて、私は怖かった。自分が死ぬかもしれないって事より、他の誰かがゾンビになるかもしれないって事が。お兄ちゃんも噛まれて、それでもまだこの悪夢が終わりじゃないなんて、怖いです」

「唯奈ちゃん……」

「双笑さん、隻夢ひとむさん、あおいさん、黒音くおんちゃん、虹枝さん、アカネさんや超能力者こどもたちみんな。これ以上、大切な人がいなくなったら……誰か一人でもいなくなってしまったら、私は……」


 涙で目元を腫らしたまま、唯奈は強く奥歯を噛みしめた。


「私は、許せないかもしれません。全ての始まり――スターゲートを」


 涙の止まった目の奥からは、暗い感情の色が見え隠れしていた。その色に、双笑は見覚えがあった。虹枝がスターゲートへ怒りを向ける時の瞳と同じだ。


「ダメだよ、唯奈ちゃん。人に暴力を向けるのはダメ」


 虹枝がいつも言っていた「スターゲートを潰す」「研究員を皆殺しにする」などといった危険な思想の数々がフラッシュバックした双笑は、唯奈を捕まえるように両手を強く握った。しかし、唯奈は小さく笑って被りを振る。


「大丈夫ですよ。さすがに虹枝さんほど野蛮な事はしません」

「本当? 絶対ダメだからね」

「分かってますってば。生きた人間に手をかける勇気は、私にはありません」


 涙と共に感情を全部吐き出してしまった後には、冗談めかして笑みを作れるほどには落ち着いたらしい。唯奈はスターゲートへの仄暗い憤りを押し留めるように目を伏せた。


「スターゲートは許せない。でも、嫌な出来事を全て大人ひとのせいにして怒りをぶつけようとする、私自身も許せないんです。誰のせいでもないはずなのに。お兄ちゃんが負った大怪我も、全てゾンビによるものなのに」


 確かに、世界中に蔓延しているゾンビウイルスの元となった物は、スターゲートが開発した『Zゼニス-ウイルス』という生物兵器だ。だがそれは、意図的に散布されたものでは無い。作り出した張本人であるスターゲートだって苦しんでいるのだから。


 誰にも向けるべきではない怒りの向ける先を探してしまう。唯奈は、そんな自分に嫌気が差していたのだ。


「その憎悪は、間違っちゃいないわ」


 そんな時。ふと、二人のものではない声が廊下に響いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る