第72話 命が尽きるその瞬間まで

『救護班と増援をそちらに向かわせた。勇人ゆうと、今すぐそこから離れろ』


 虹枝にじえださんの冷静な声を聞き、乱れる呼吸が整っていくのを感じる。しかし、噛まれた左腕は未だに痛みを発している。もう今までのように異能力を生み出すほどの集中力も発揮できない。


 ゾンビに噛まれるとゾンビウイルスが感染し、その人もゾンビになる。フィクションとして存在する時から周知の事実となっている、ゾンビの特性。それは誰にでも当てはまる事で、異能力者であろうと例外では無いはずだ。つまり、俺もやがてゾンビになる。


「くそ……」


 その場に座り込んだ俺は、最後の力を振り絞って、右手に意識を集中させる。異能力の光も弱い。その淡い光は、流れ続ける血と共に今も削られているであろう俺の命を示すかのようだった。

 そんな光の中から生み出されたのは、一丁の拳銃。

 あらゆる武器を生み出す異能力。制限はあるもののかなり自由の効くこの異能力だが、今はもう拳銃ひとつ生み出すのが限界だ。だが、それでも良かった。


「……虹枝さん」

『どうした?』


 下部サイト01にて虹枝さんに聞かされた話を思い出す。かつてあの地下で虹枝さんや子供たちと共に暮らしていた警備員は、自身のゾンビ化が進んでいると確信した時には、既に自害していたという。施設内にいる子供達を守るために、大人たちが決めた約束を守ったのだと。


 ゾンビになってしまえば、ただ死ぬよりも迷惑をかける事になる。死がゼロならばゾンビ化はマイナスなんだ。

 ゾンビ化を食い止める手段は無い。このまま時間が経てば、俺はこの世界における有害因子のひとつとなる。俺の大切な人達が生きるこの世界を、自分の手で汚すなんてまっぴらだ。


 なら、俺に残された選択は、ひとつ。


唯奈ゆいなたちには、戦闘中に死んだとでも伝えてください」


 複数体のゾンビを相手にするには頼りなく、思えば今までほとんど使って来なかった片手拳銃。その銃口を、自身のこめかみに押し当てる。


「俺の死体はありったけの爆薬で粉々にしてくださいね。『パワードイーターあのヤロウ』の糧になるのは御免だ」


 人間であるうちに死んで行った下部サイト01の警備員がゾンビにならなかったのを考えるに、完全にゾンビになりきる前に死ねば、ゾンビ化は止まるはず。俺が出来る抵抗は、これくらいしか無い。


『馬鹿か! 何をしている勇人! その銃を降ろしてさっさとそこを離れろ!』

「駄目ですよ、虹枝さん。今の俺は起爆まで秒読みの時限爆弾なんです。誰にも近づいちゃいけない」


 自分でも驚いている。死にたくないとは思っているはずなのに、死の淵に立った俺は、こんなにも合理的な判断を下せられるのか。自分で言っていて寂しくなるほどに冷たい。


 大怪我と痛みによるものか、それともゾンビ化がもう始まっているのか、息が荒くなっていく。俺はゆっくりと目を伏せ、冷たい銃口の存在感を肌で感じ取る。

 右手だけで綺麗に脳を撃ち抜けるかな。まあ、今まで散々ゾンビをぶち抜いて来たんだ。最後の一匹くらい、綺麗に仕留めてやるさ。


「唯奈を、よろしくお願いします……」


 声が震えていた。右腕の動きも定まらない。何震えてんだよ……俺は。


 ――死ぬのが怖いのか?


 当たり前だ。怖いに決まってる。


 ――皆を守るためだと、分かっていてもか?


 それでも、俺はこんな形で終わりたくない。皆を守るっていうなら、きちんとこの手で守りたい。少しでも多くの人を救いたい。


「……くそ」


 死にたくないのも、誰かの助けになりたいのも、人としてごく普通の考えだ。異能力があろうがなかろうが、そこは変わらない。

 引き金に当てていた人差し指を静かに離す。拳銃を握る右手の震えが少しずつ引いていく。死への恐怖を上書きするような、新たな感情によって。


 ――ゾンビに噛まれたから即ゲームオーバーだって? 笑わせるなよ。こんなのは遅効性の毒に過ぎない。現に、


「そうだよ……なに柄にもなくしおらしくなってんだよ」


 本当に皆を守りたいなら、ここでリタイアするのは正しくない。ゾンビになる一歩前まで、人間としての朱神あかがみ勇人が死ぬギリギリまで、戦うべきだろうが。異能力も使えないただの手負いの人間となり果てた俺でも、やれる事はあるはずだ。

 生きている限り、戦う事を諦めちゃ駄目だ。希望が見えないのなら、自らの手で造ればいい。


「……やってやるよ」


 ――無から有を造り出す。それが俺の異能力だろう。ここで勇気ひとつ生み出せないで、何を作れるっていうんだ。


 俺の根っこに巣食うもう一人の俺が、折れかけていた心を鼓舞するかのように語りかける。

 そうだよ。往生際悪く死ぬまで足掻き続けるような、そんな泥臭い勇気でいい。元々、そうやって生に縋りつくのが人間らしさでもあるんだから。


「俺だって死にたくねぇよ」


 爆発に巻き込まれた顔面を押さえて苦しそうに唸る『パワードイーター』を睨む。

 鋭い眼光の先に、さっきまでの弱気な俺を重ねる。自分の内側に、再び闘志がみなぎるのを感じた。


 俺一人が人柱になった所で、ゾンビになりそうな人間がひとり減るだけ。そんなものはマイナスがゼロになるだけだ。プラスを生みたいのなら、せめて目の前の化け物ぐらい仕留めて見せろ。


「死にたくねぇなら……」


 壊れた左腕を意識から外す。右手でしっかりと拳銃を構え、銃口を『パワードイーター』に向ける。


「死んでもいいって思えるまで生きてから死ね! 朱神勇人!!」


 咆哮を乗せて、銃声を轟かせた。『パワードイーター』の右脚から僅かに血が噴き出る。


「おおおおおおおおおおおおッ!!」


 立て続けに引き金を引き、ヤツが接近するよりはやく、俺は『パワードイーター』の右脚へと全弾発射した。

『パワードイーター』はゾンビを喰らう事で傷を塞ぎ、その肉体をより強靭なものへと強化する特性を持つ。逆を言えば、一度も負傷せず一度も治していない所は、元の防御力のままなはず。

 その予想は的中し、ただの拳銃による銃撃にも関わらず、『パワードイーター』の脚に傷を負わせる事が出来た。


「駄目だ、足りない……」


 だが、腐っても進化型パワードゾンビ。生前の肉体強化手術の賜物か、拳銃程度じゃ片脚を機能しなくなるまで壊す事は出来ない。


『脚を狙えばいいんだな』


 耳にはめた通信機からの声と同時に、三台のブレインドローンが俺の傍に集まり、搭載された小型銃が一斉に火を吹いた。それらは全て、俺が狙った右脚へと集中している。


『血迷った時はどうなる事かと思ったが、もう大丈夫なんだな』

「……はい。もう、死ぬまで死ににげません」


 異能力も使えない。左腕は噛まれて千切れかけなうえに、ゾンビウイルスに感染している。進化型とタイマン張って戦うのはまず無理。

 けれど、片脚さえ壊すことが出来れば、虹枝さんが呼んだという増援が来るまで耐え切る事が出来るはずだ。


 ブレインドローンの小型銃の残弾が無くなったのと同時に、『パワードイーター』がぐらつき、右脚から血を吹き出しながら片膝をついた。なまじ知能の欠片が残っているせいか、進化型は大きな傷を受けると動きが鈍る。ショッピングモールで対物ライフルをお見舞いした時に気付いた事だ。


「虹枝さん、閃光弾を……!!」


 俺の意を察していたのか、声をかけたその時には、ブレインドローンによって『パワードイーター』の目の前へ閃光弾が投げ込まれていた。

 目と耳を塞いだ直後に、鋭い音と閃光が弾けた。右耳しか塞げなかったので左半分の聴覚が麻痺しているが、直撃した『パワードイーター』ほどじゃない。俺はすぐに踵を返し、ヤツに背を向けて走り出した。


「片脚が死んだアイツとの駆けっこなら、両脚が無事な俺に分がある――」


 考えが浅かった。進化型であり変異種でもある『パワードイーター』は、言わば現時点における最上級のゾンビ。対人用の閃光弾一つで感覚を潰せるほど、この化け物は甘くなかった。


 走りながら振り返った俺の視界に飛び込んで来たのは、『パワードイーター』の剛腕によって投げられた、前半分だけになった自動車の残骸。直線を描いたそれは目と鼻の先の地面に着弾し、そのままの勢いで滑るように俺へと突っ込んだ。


「がァ……!?」


 一度地面に落ちた事でだいぶ速度は殺されてたが、ボロボロの俺を吹き飛ばすにはあまりに十分だった。弾き飛ばされた俺は地面に背を付け、アスファルトの道路を転がった。


「あのヤロウ、ゴリラかよ……」


 やはり規格外の強さだ。異能力の有無はあれど、こんなヤツ相手に時間を稼げていたあおいはやっぱすげぇよ。


「……駄目だ、足が動かねぇ」


 左腕の激痛が強すぎてて気付くのに遅れたが、左足の膝から下が変な方向に折れ曲がっていた。これで『パワードイーター』とはイーブン……いや、俺の方がダメージが大きいな。一転して不利になってしまった。

 限界まで意識を研ぎ澄ますが、右手には何の光も宿らない。無事な右半身を使って逃げようにも、立ち上がる事すらままならない。


 右脚を引きずるようにして、『パワードイーター』は近づいて来る。もう走る事も大ジャンプもできない様子だが、無事な両腕を使って体を支えている。俺を捻り潰すくらい朝飯前であろう両腕を使って。


 諦めちゃ駄目だ。逃げ切るための策を考えろ。心ではそう言っていても、頭ではすでに答えを導き終えている。八方塞がりだ、と。


「ちくしょう……」


 少しでも時間を稼ごうと、ブレインドローンが特攻していくのが見える。しかし、爆発の直前に腕で振り払われ、大した足止めにもなっていなかった。

 人の形をした死が、迫って来る。


「こうなりゃ、噛みついてでも一矢報いて……」


 最期まで戦う。そう自分に誓ったんだ。

 道路に倒れ伏す俺が弱音を嚙み砕き、決意を固めるように歯を食いしばった、その瞬間。


 一瞬だった。

 紙くずを丸めるかのように『パワードイーター』の体が捻じれ、潰れた。


「へ……?」


 瞬きをしていれば見逃していたレベルでの、刹那の決着だった。大量の肉をすりつぶす水っぽい音と機械やプロテクターの潰れる破砕音が同時に響いた頃には、そこに黒々とした塊が浮いていた。

 全方位から均等に莫大な力で圧縮された『パワードイーター』だったモノは、文字通りの肉塊となってポトリと地面に落ちる。断末魔すら上げる事はなかった。


「間に合った」


 驚愕と困惑で声も出ない俺の耳に、少女の小さな声が滑りこんで来た。声はすぐ後ろからだ。俺は奇怪な最期を迎えた『パワードイーター』から目を離し、声のした方を向く。

 手術衣のような服を纏っている、薄紫色の髪の少女がそこに立っていた。いや、その足は僅かに浮いている。


「お前は……」


 スターダストの廊下で一度すれ違っただけだが、虹枝さんから聞いた話のインパクトが大きかっただけに、しっかり覚えていた。

 スターゲートが生み出した人間兵器、超常能力者ハイエンド・サイキック。増援っていうのは彼女の事だったのか。『HP-A』とか呼ばれていたけど、確か名前もあったはず。


「スミレ……だったっけ?」

「外の人、私を知ってるの?」


 外の人、というのはスターゲートの外から来たって意味かな。スターゲートで産まれてスターゲートで育った彼女にとっては、外というのは俺たち以上に大きな意味を持つように思える。


「ああ、話に聞いてたんだ……俺は朱神勇人。助けてくれて、ありがとな」

「ごめん。間に合っては、なかったかも」


 俺の姿を見たスミレは、申し訳なさそうに謝罪する。見るに堪えない大怪我だが、彼女が謝るような事じゃない。


「いいや、命を助けられたのは事実だよ。本当に助かった」

「そう? それなら、どういたしまして」


 お礼を言われ慣れていないのか、スミレはどこかぎこちなく声を返した。

 ちょうどその時、上空から救護ヘリが近づいて来る音が聞こえた。なんとか助かったと安堵する半面、ゾンビに噛まれたという事実に変わりはなく、気が重くなるのも確かだった。


「念動力で運ぶから、ちょっと我慢……大丈夫?」


 少女の声が遠のく。視界が黒くぼやけていく。

 俺はこれからどうなるのだろうか。薄れゆく意識の中で、俺は生き延びた喜びを嚙みしめる事は出来なかった。

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