第70話 リアルゲーム

「進化型……お兄ちゃん大丈夫かな」


 小さく零れる唯奈ゆいなの呟きは、彼女自身が握る拳銃の銃声によってかき消される。放たれた弾丸は寸分の狂いもなく、狙った頭部のど真ん中に命中。そのままゾンビは倒れ、動かなくなった。


「これで、最後だ……!」


 固まって歩いている三体のゾンビを、あおいが投げた手榴弾がまとめて吹き飛ばす。それを最後に、立っているゾンビはいなくなった。


「お、終わりましたね……お疲れさまです」


 戦闘に参加していなかった黒音くおんは、せめて戦い以外で補助をしようと、すぐに飲料水の入ったペットボトルを二人に渡す。今まで積極的にゾンビと戦った事の無い三人だったが、それでも順調にゾンビの群れを倒しながら進めていた。


「虹枝さん、無事に終わりました。他のゾンビは近くに確認できますか?」

『五十メートルほど先に三十体前後の群れが見える。だがまだ先だ。少し休憩しても大丈夫だぞ』

「僕は大丈夫ですけど……」


 通信機をはめている耳を抑えながら蒼が振り返る。電柱にもたれかかって水を飲んでいた唯奈は、視線に気付いて弱々しくサムズアップした。


「私なら……大丈夫ですよ……」

「無理しないでください……!」


 強がる唯奈だったが、黒音にもバレてしまうほど疲れが見てとれた。

 ゾンビに家を攻められ、サバイバル生活を始めてからはずっと外を歩き続けていた唯奈だったが、彼女も伊達に何年もインドアライフを送っていない。基礎体力はもともと無いうえに、蒼や黒音とは違って異能力者ではないので、異能力の覚醒と共に身体能力が向上した二人よりも早めに疲れが出て来ていた。


「ゾンビはまだ来ないみたいだし、ちょっと休憩しようか」

「すみません……」


 息が上がっている唯奈は短く謝り、その場に腰を下ろした。

 やられても残機がひとつ減るだけのゲームとは違う。実際に自分の命がかかっているというだけでも、十分緊張を感じていた。

 それもゲームで競い合ってる時の心地よい緊張感ではない。まるで心臓を冷たい手で掴まれているかのような、息苦しいものだった。


(お兄ちゃんや隻夢ひとむさんは、ずっとこんな気持ちで戦ってるのかな……)


 唯奈が疲れている原因は体力の無さよりも、精神的な圧迫によるものがほとんどだった。自分も皆と一緒にゾンビと戦って生きて来たつもりだったのだが、本当の意味での戦いを経験してなどいなかったのだ。


「だ、大丈夫、ですか……?」

「うん。ごめんね心配かけて」

「いえ、そんな……でも、無理だけはしないで、くださいね」


 心配してくれる黒音に、感情を顔に出すのが得意ではない唯奈は、不器用なりに精一杯安心させるように笑みを浮かべた。


「休憩、私はもう大丈夫です」

「いけそうかい?」

「はい」


 少し休んだおかげか、力強い返事を返す事ができた。死が身近になった世界での戦いに慣れてきたのだろうか。彼女はやはり間違いなく、あの朱神あかがみ勇人ゆうとの妹だ。頼もしい立ち姿に、蒼は頬を緩めた。

 そこに、虹枝からの報告が飛んでくる。


『蒼、唯奈、黒音。気を付けろ。ゾンビの集団が近付いている。先ほどよりも数が多い』

「隠れてた奴がいるって事ですか」

『だろうな。ゾンビと一括りに言っても、知能には若干の個体差があるらしい。個々で人間を襲うより集団に合流する方が確実だと考える事のできるヤツが一定数、身を潜めていたのだろう』

「脳が腐ってるのによく考え事が出来るね」


 唯奈はため息混じりの愚痴を零し、バイザー越しにゾンビの集団を確認する。その先頭には、他のゾンビよりも動きがぎこちない個体がいた。まるで重い鎧を着ているかのように、動きが鈍い。直感的に、他のものとは違うと唯奈の本能が察知した。


「あれ、恐らく変異種ですね」

「……本当だね。あのぎこちない手足の動き、『アーマー』かな」


 極度な皮膚の硬質化により、機動性と引き換えに高い防御力を得た変異種、『アーマー』。少し前に勇人と隻夢が倒した硬い変異種である。


「私が撃ち抜きます」


 唯奈は拳銃を腰のホルスターに仕舞い込み、ベルトで肩に下げていたポータブルレールガンを両手で握る。


「蒼さん、『アーマー』を中心にゾンビの位置を誘導できますか?」

「やってみるよ」


 距離はおよそ十メートル。蒼がゾンビの群れを正面から見据え、意識を集中させる。集団の先頭辺りにいる十体ほどのゾンビが彼の異能力にかかり、進路を変える。ふらふらと吸い寄せられるように、『アーマー』の周りに集まった。


 アサルトライフルより長く、スナイパーライフルよりは少し短い。そんなポータブルレールガンを両手で構える唯奈は、片膝を立ててしゃがみ、体を安定させる。蒼の誘導によって普通のゾンビが『アーマー』にまとわりつくように集まり、進行は完全に止まった。


「いける」


 引き金を引いた。電気を帯びた銃身のスリットから青い燐光が零れる。電磁気力によって超加速した弾丸が空を裂き、『アーマー』の頭部を貫いた。

 そのまま背後にいたゾンビ三体もまとめて屠り、弾丸は通過する。


「やりましたっ!」

「お見事」


 思わず、小さくガッツポーズをする唯奈。ポータブルレールガンの冷却にかかる数秒の隙を埋めるように、そのまま蒼はゾンビへ発砲した。


 勇人が『アーマー』に放ったサブマシンガンの弾丸は、ほとんど硬い体表に弾かれていた。だがこのポータブルレールガンなら、そんな『アーマー』すらも一撃で仕留められた。

 普通の銃とは比べ物にならない威力。おまけに反動も少なく扱いやすい。命を預けるに値する新たな相棒を撫で、唯奈は無意識に笑みを浮かべる。


 冷却完了を知らせるランプが光り、唯奈はすぐに射撃体勢に入る。蒼の銃撃によって着実に数を減らしているゾンビ群だったが、後ろの方に変異種が隠れているかもしれない。まだまだ油断は出来ない状況だ。


「み、右の花屋さんから、走るのが来ます……!!」


 異能力で未来を見たのであろう黒音の声を聞き、唯奈はポータブルレールガンの銃口を右斜め前にある花屋へと向ける。


 味方と報告し合い、的確に戦況を整えていく。ゲームの中で何百回と繰り返して来た唯奈は、報告の意味を理解し対処法を考えるまでの思考が、ほぼ反射で行われていた。


 黒音の報告から二秒後。花屋のガラス戸が割られ、中から『ランナー』らしきゾンビが姿を現す。その時には既に、唯奈は引き金に指をかけていた。


 僅か五メートル先で、赤い血肉が弾けた。

 冷却を始めたポータブルレールガンをすぐさま左手に持ち替える。右手で腰に下げていた手榴弾を掴み、割れたガラス戸へ投げ込んだ。直後に爆炎と共にガラスが粉々に砕け、今まさに外に出ようとしていた、花屋のエプロンを着たゾンビは前のめりに倒れた。


 引き抜いた拳銃を向けたまま五秒ほど警戒する。花屋からはもう、他のゾンビが出て来る気配は無い。


「ふぅ……」


 ほっと一息ついた唯奈は、振り返り、黒音へ向けて低く手を掲げた。何かを察した黒音は、同じく右手を上げて駆け寄る。


「ナイス報告レポート

「ナイスヒット、です」


 唯奈と黒音はハイタッチを交わす。二人とも、緊張のほぐれた笑みを浮かべていた。唯奈の中で、命がけの緊張感は徐々に、ちょっとショッキングなゲームをしているかのようなドキドキへと変わっていた。


「蒼さん、終わりましたか?」

「ああ。こっちも無事、掃討完了だ」


 視線の先では、先ほどから大して進んでいない位置に、数多のゾンビが倒れていた。蒼の異能力にかかれば、『進化型パワードゾンビ』でもない限り、足止めからの殲滅は容易いものだった。


 Aチームの主戦力ではないこの三人だが、個々の能力や才能を活かし、着実に場数を踏んでいる。

 総合的な戦闘能力こそ他に劣るものの、成長速度で言えば、間違いなくこの三人が一番優秀であると言えるだろう。

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