幕間

第54話 とある歩みと現実

 音と光が遠くから近づいて来るように、意識が現実へと引き戻される。

 閉じた瞼を開くと、目の前に広がるのは見慣れた真っ白な天井。聞こえるのは、心電図モニターなど生命維持装置が発する電子音。


「あ、起きたよ!!」


 そして、歳の近い少女の声。

 その声を皮切りに、次々と見知った顔が集まって来た。


「あ、れ……みんな……?」


 ベッドで仰向けに寝ている彼女は瞬きをしながら、首を動かして周囲を見渡す。壁も床も天井も、全て無機質な白で覆われた部屋。彼女の体には生命維持装置から伸びる細い管がいくつも付けられており、その中にはすでに停止された睡眠薬投与装置もあった。そこでようやく、彼女は理解が追い付いた。


「みんな、なんでここにいるの!?」


 驚きの声と共に上体を勢いよく起こしたが、長い間眠っていたため体が固まっていたのだろう。背中からバキリと嫌な音が響いた。


「あいたっ!!」

「落ち着けアカネ。大丈夫か」


 深紅の長髪の上から背中をさする少女――アカネに、心配するような声色で声がかけられた。灰色の髪をした少年だった。彼を知る者にとってはおなじみの無愛想な無表情だが、その前髪の隙間から見える紫色の瞳には、無事に目を覚ました事への安堵の色が見て取れた。


「お前は三か月以上眠り続けてたんだ。どこかおかしな所はないか?」

「おかしな所と言えばあなた達よ。シオンもみんなも、どうしてここにいるの? サイト01にいるはずじゃ……」


 超能力が暴走し旧サイト01を焼き尽くしたアカネは、組織の隔離施設で眠らされていた。そして彼女以外の子供たちは新しいサイト01にてプロジェクトに使われていたはずなのだ。


 だが、アカネの知るサイト01の九人全員が、今こうして彼女のもとに集っている。不思議そうにしているアカネへ、シオンが代表して答えた。


「俺たちはサイト01から脱走したんだ」

「脱走!? そんな、今まで不可能だと思ってたのに」

「俺達も幸運だったんだ。どうやら世界中で大混乱が起こってるらしくて、それに乗じて抜け出した」

「そう……追っ手は? 機動部隊が来るんじゃないの?」

「それが全然なのよねー」


 シオンより先にそう答えたのは、彼の隣で心電図モニターにもたれかかっている、スズという名の少女。アカネが目を覚ました時に最初に声を上げた少女だった。


「サイト01に駐屯してた警備部隊以外は誰も来てないのよ。本部に応戦を要請してる素振りはあったけど、結局機動部隊が来る前に抜け出せたわ」

「そんなに……? その『世界中の大混乱』って、一体何なの?」


 機密保持に関してはやりすぎなほど徹底しているスターゲートの内でも、造り出した超能力者を育てるサイト01はさらに厳重な警備が敷かれている。そこから抜け出し、本部からの武力行使も無いなんて、組織に属する者には考えられない事態だ。


 自分が眠っている間に世界に何があったのか。少なくともただ事ではないのは、この僅かな情報だけでも十分すぎるほど分かる。しかし、彼女の問いに答えようとシオンが口を開いた時、それを遮るように誰かの腹の虫が鳴った。


「……ごめん。その前に何か食べさせて」


 九人の視線が集まる先は、三か月以上栄養剤だけで生命を保っていた――要するに何も食べていない深紅の少女。恥ずかしさからか、その顔まで赤みを帯びていた。そのうち顔から火が出るかもしれない。もっとも彼女は念発火パイロキネシスの使い手なので、それも比喩ではなくなってしまうのだが。





     *     *     *





「ふぅん。動く死体……ゾンビねぇ」


 隔離施設内の職員用食堂に場所を移したアカネは、シオンたちの話を聞きながらインスタント味噌汁を飲んでいた。本人は同じ棚にあったインスタントハンバーグが食べたいと強く主張したのだが、数か月ぶりの食事に食べるには消化に良くないからとシオンに止められた。


「ウイルスによってゾンビ化は広まってるらしい。もう普通の人間は一人も見当たらないほどには深刻化してる」

「もう世界の終わりじゃないの、それ。ていうかそんな状態なのに私もあなた達もみんな無事なのね」

「ああ。俺達は遺伝子を書き換えられた人間……いや、厳密には人間ですらないからな。病原菌やウイルスに高い耐性があっても不思議では――」

「そんな事言うんじゃないわよ」


 シオンの言葉を遮ったアカネは、ぐっと味噌汁を飲み込み、諭すように続けた。


春人はると先生や陽名ひなさんも言ってくれてたでしょ? 私たちは造られた人間だけど、人間と変わりないんだって。先生たちがそう言ったんだから、せめて私たち自身は自分を人間だと思い続けましょうよ」

「……そうだな。悪かった」

「や、別に悪いとまでは言ってないわよ」


 素直に謝られてバツが悪そうに視線を彷徨わせるアカネ。一つ咳払いをしてから強引に話題を変えた。


「それはそうとあなた達、私が眠ってる間も元気してた? 特にシオン、あなた最年長だからって無理ばっかしてないでしょうね」

「いや、特に」

「おや、アカネは鋭いねぇ。そうなんだよシオンったら、サイト01の大人たちもほとんど一人で片づけて、そっからここまでの道のりも面倒ごとは全部一人でやっちゃってさー。私たちは遊び感覚でゾンビふっとばす以外にやる事が無かったぐらいよ」

「やっぱり……」


 アカネの隣に座ってやれやれと肩をすくめるスズを見て、アカネはため息をついた。そして手に持った割り箸をシオンへ突き付けた。


「あなた今日から八時間は寝なさい。ふかふかのベッドで夜更かしせずに毎日寝なさい。両手足縛り上げてでも安眠させるわよ」

「そんな脅迫は初めてだ」

「先生たちもいなくて誰も頼れないのは分かるけどさ、そんな時こそスズや私たちを頼りなさいよ。ね?」


 炎のように赤い瞳に見つめられ、シオンは僅かに沈黙する。


「分かった。これからは皆にも手伝ってもらう。だが八時間睡眠は納得できない」

「なんでよ。ショートスリーパー?」

「もしもの時のために夜は見張りに立たないと。スターゲートの機動部隊が夜襲を仕掛ける可能性も――」

「そういう所! やっぱりふん縛ってでも寝かす!」


 その後もしばらく、懲りずに働こうとするシオンとそれを全力で止めるアカネとの論争は続いた。

 アカネは長い眠りから覚めて早々、疲れ切った顔をしていたが、それでも久々に再開した友人たちとの会話は、彼女にとってこの上ない楽しみでもあった。

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