第16話 他の異能力者
青年はひとり、地下鉄の線路の上を歩いていた。線路の上を歩くなど普段なら絶対にできない行為だが、ゾンビで溢れかえったこの世界で律儀に地下鉄が運行されているはずが無かった。
壁に囲まれ、天井が空を遮り、電灯が切れて前も後ろも真っ暗。懐中電灯の光だけが彼の行く道を照らすしるべだった。
「地下にこもって生活してる人は……さすがにいないか」
周囲を見渡しながらつぶやく青年の言葉は、薄暗いトンネルに寂しく反響した。だが彼は、たった一人でいる事を寂しいと思ってはいない。むしろ下手に話を聞かない人と一緒にいるよりは生存率が高いとさえ思っている。
おそらく世界中で発生しているであろう、人間のゾンビ化。そしてそれに伴う人類社会の崩壊。そんな悪夢のような世界で生き残るには、他者と協力し、助け合う事が大事だと考えるのが一般的だろう。だが、彼はそうは考えなかったし、実際に今日まで生きている。
二十歳になったばかりの青年がたった一人で今日まで生き延びられたのには、いくつかの理由がある。
まず一つに、彼は人並み以上に用意周到で慎重だった。二つに、彼は実用性を考えて人や物をきっぱりと取捨選択する事ができた。
そして三つに、彼はパンデミックの直前に異能の力に目覚めていた。
(というより、ほとんどこの異能のおかげだな……。これがなければ、いくら準備をしても生き残れないだろう)
能力に目覚めたその時から、そのチカラがどのような物なのかは直感的に理解できた。そしてそれを上手く使って、今日まで無事に命を繋いでいる。
(この異能力は、一体何なんだ……?)
砂利の上は歩きにくい。青年は線路の片方に足を乗せ、その上を歩きながら考える。彼のスニーカーと線路が鳴らす音だけが、暗いトンネルに響く。
この能力を手に入れた時、ついでとでも言うようにいくつかの身体機能が向上した。脚力や腕力なんかの身体能力、傷を治す自己治癒力、動体視力や反射神経など、それらが以前よりも強化されたような感覚なのだ。
(異能力を得て、からだのあちこちが強くなって……まるで別の生き物にでも進化しているみたいだ)
結局、真実を何も知らない青年にできるのは憶測だけだ。彼はすぐに思考を断ち切り、前方へ意識を向けた。何かの気配がする。
ザリッ……と、砂利を踏み締める音がする。それを聞き、青年が発していた足音が止まる。砂利の音はゆっくりした間隔で鳴り、他に音を発する物のいない地下鉄内に反響する。青年は右手に持つ懐中電灯を前方へ向けた。
「……まあ、一体くらいはいるよね」
青年が照らす先には、あちこちが破けたスーツを着た、大人の人影。ただしその肌は青黒く変色しており、全身から血を流している。言わずもがな、生存者ではなくゾンビである。
(一体か……やれるか?)
懐中電灯を左手に持ち替え、彼は着ているロングコートのポケットに右手を入れた。たくさんのポケットが備え付けられているそのコートには、様々な小道具が入っている。その中にはゾンビと戦うために入れた武器もある。そのうちの一つ、鋭く尖ったアイスピックを手に取ろうとした。
「……いや、やめておこう。油断は禁物だ」
しかし彼はポケットに入れた手を戻す。いくら一対一だからといって、わざわざ危険を冒して積極的にゾンビを狩る必要はない。彼はずっとこのようにして、ゾンビと一度も戦わず生き延びていたのだ。
(もしかしたらゾンビの処理方法は身に沁み込ませておいた方がいいのかもしれないけど、僕にはこっちの方が合っている)
彼は向かって来るゾンビを見据えながら深呼吸をした。
そして、異能力を使った。
今まで確かに青年をターゲットしていたはずのゾンビが、急に立ち止まった。そして誰もいないあらぬ方向へ歩き出し、やがてトンネルの壁に衝突。そしてそのゾンビは、何が何でもその先に行きたいかのように壁を引っかき始めた。目の前にいる、生きている青年などまるで眼中にないようだ。
青年は急に奇行に走ったゾンビから足早に距離を取り、たっぷり五十メートルは離れた辺りで振り返り、追って来ていない事を確認した。ほっと息を吐き、彼は歩みを再開させる。
(やっぱり僕の異能力は、戦う事より逃げる事に役に立つ。慣れない戦闘なんてするんじゃないね)
この世界で生き伸びるのに必要なのは慎重にいる事。そして自分の実力をよく知っておく事。いわゆる『分をわきまえる』という奴だ。身の程を知り、出来ない事はしない。それが彼が自分なりに編み出した、長生きの秘訣だ。
(身の程を知るって意味では、まだ僕はこの異能力の限界を知らない。何体までを対象に出来るのか、それはどのくらいの強度で使用できるのか。試したいのはやまやまだけど、今までチャンスが少なかったからな)
異能力を武器として使いこなすにはまだまだ経験が足りない。安全に異能力を使える機会があればいいが、一人で行動し続ける限りはその機会も少ないだろう。
地下鉄の線路を歩き続けているうちに、プラットホームに辿り着いた。ここも電気が通ってないのか真っ暗で、懐中電灯の明かりだけが頼りだった。
(ちょっと地上に出てみるか。そろそろ何か食べたいし)
異能力によって多少強引に進んでも大丈夫だと分かった時、彼は身軽さを重視して食料を持ち運ばない事に決めた。なので今持っている食料はもしものためのクッキー型の栄養食品だけ。そろそろ食事をしないとコンディションが悪くなってしまう。全力で逃げなければならなくなった時に走れなかったりしたら命取りだ。こんな世界だからこそ、食事は大事である。
改札を越え、警戒しながら地上へ向かう階段を上っていく。そこでふと、小さな音が聞こえた。連続して聞こえるその音は、地上が近づくにつれ大きくなっていく。
(何だこの音……まるで映画で聞く銃声みたいだ。こんなに連続で響くとなると警察の拳銃じゃなさそうだし……もしかして自衛隊? 救助が来たのか……?)
助けが来たかもしれない。そんな逸る気持ちを押さえながら、警戒を解かずに上る。ゾンビは基本的に音に反応して集まって来る。なのでこの銃声の元にも集まっているだろう。そうして出口を抜けてたどり着いた地上。そのちょっと先の光景を見て、青年は思わず固まってしまった。
どこにでもいそうな男子高校生が、機関銃を持ってゾンビの群れを撃ちまくっていた。
「なんだ、これ……」
響き渡る銃声によって固まった思考は引き戻され、再度現状を確認する。
まず、避難中であろうジャージの少年が機関銃をぶっ放しているのがもうおかしい。その隣にはバットを持った少女とウインドブレーカーを着ている少女がいるが、彼女たちは普通だ。銃は持ってない。そしてその先。おびただしい量のゾンビが銃弾の雨を受けながら少年たちに向かっていた。少なくとも三十以上はいる。
(……地上に出るんじゃなかったな。あの少年が何者なのかは気になるけど、僕は逃げさせてもらおうか)
マシンガンボーイには悪いが、ここで助けに入るなどと無謀な事は考えない。自分にとって益になり得ない事は切り捨てなければ、この世界は生き残れないのだ。ゾンビの大群VS銃を持った少年というゾンビ映画のクライマックスのような光景に背を向けて、元来た階段を降りようとした。
しかしその時、ふと視界に入った光景に、彼は足を止めた。
機関銃を撃っている少年の隣にいたフードをかぶった少女が、あり得ない速度でゾンビの群れに突っ込んで行くのを見た。そして彼女が触れた物全てが、見えない力によって弾き飛ばされていく。あれはどう見ても――
「異能力……!!」
自分の他にも異能力者がいた。その事実は青年にとって『利益』となる情報だった。この異能についてはもっと知る必要がある。それはきっと生き延びるために必要な事だ。
そうと決まれば行動は速かった。異能力について聞くためには彼女たちを助ける必要がある。でもどうやって?
(地下鉄の駅に逃げてシャッターを降ろせば、おそらくゾンビたちと分断できる。だけどここで大声を出せば確実にゾンビにも聞こえてしまう。あれだけの物量だとシャッターも持たないだろうし……。異能力を使うか……?)
少年の機関銃と少女の異能力によって数を減らしつつあるゾンビの群れを確認する。少女の異能力でも倒しきれなかったゾンビの一部が、機関銃少年に向かっている。数は十体前後。
(今まで能力の対象にしたゾンビの最大数は六体……いけるのか? いや、異能力の限界を知るという意味でも、大量のゾンビへ試す価値はある!)
そう決めた青年は、機関銃の少年とバットの少女へ集まるゾンビへ意識を集中させた。少年の手にはいつの間にか刀が握られている。先ほどの機関銃は影も形もない。もしかして彼も異能力者なのだろうか。そんな事を考えながら、青年は異能力を発動させた。
大量のゾンビたちは一斉に動きを止めた。その腐った目は何もない場所へ向き、その場で回ったり空へ噛みついたりし始める。どうやら無事に、全てのゾンビに異能力がかかったようだ。
(上手くいった……! 意外と多くを能力の対象にできるのか。あとは……)
ちらりと視界の端を見やると、騒ぎを聞きつけたのか新たなゾンビの群れが遠くから迫っていた。もはや迷ってる暇はなさそうだ。青年は戸惑う少年らへ向けて、久々に出す大声を張り上げた。
「君たち、こっちだ! 早く!」
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