第2話 日常と非日常
何事にも終わりはある。なら、世界にはどうだろうか。
世界の終わりとは、本当にあるのだろうか。
確かに今の世界は崩壊寸前だけど、俺はまだ生きてるし毎日を普通に過ごしてる。いや、普通ってのは撤回。今までと比べたら普通じゃないな。
だけどまあ、人間というのは案外生命力の高い生き物らしく、特別何かに優れていた訳でもない俺でも生き残っている。俺よりずっと優秀な妹がいるというのも大きいだろう。とにかく、最後まで生きるのを諦めないっていうのはかなり大事。
まあそんな感じで生きてる俺こと
一言で簡潔に言うと、敵の襲来だ。
「お兄ちゃんそっち行った!!」
「くそっ、すばしっこい!」
その姿には誰もが恐怖する、まさに人類の敵。そんな『ヤツ』が今、俺たちの家にも現れた。
「
俺は大声で妹へ知らせながらヤツを追い、右手に持つ武器の感触を確かめるように強く握る。こんなのじゃ一撃で倒せはしないだろうけど、無いよりずっとマシだ。
ここで逃がせば、またいつ現れるか分からない恐怖と共に過ごさなければならない。絶対に見つけてやる。
「いた!」
俺がリビングに突撃した時、ちょうどヤツはテーブルの下で動きを止めていた所だ。
それで隠れてるつもりか? 馬鹿め、丸見えだ。
「……お兄ちゃん大きな声出さないでよ。逃げられちゃうでしょ」
「あ、スマン」
追い付いた唯奈に小声で怒られ、俺は今更口を押える。しかしやはりと言うか、ヤツは俺たちの存在に気付いたようで、俺たちが待ち構えているリビングの出入口から離れるように移動を再開した。
「アイツ窓から逃げる気だよ!」
「させるかッ!」
俺は武器を握る右手に力を入れ、ヤツめがけで駆け出した。ヤツは確かにすばしっこいが、見失わなければ人間の方が速い。
そして俺の攻撃範囲内にさしかかった、その直後。
「ぎゃあああああ!!」
右足の小指をテーブルの脚にぶつけた。
物凄い激痛が走り、俺は思わずしゃがみ込んで足を押さえる。
「指折れてる!? 折れてないよな!?」
「もう! バカお兄ちゃん!!」
縮こまって右足の小指をさする俺の横を唯奈が走り抜ける気配がした。俺より二つも下の少女だというのに、恐るべき『ヤツ』へ何の迷いも無く勇敢に立ち向かったのだ。自慢の妹だよ。
「せいっ!」
いつの間にか俺が持っていたはずの武器は唯奈の手へ移ったようだ。ヤツへ追いつくと同時にそれを高く振り上げ、床を這うヤツへと容赦なく振り下ろした。
水っぽい何かと乾燥した硬い何かが潰れるような気色の悪い音を最後に、ヤツはぺしゃんこに潰れた。
「うわ、まだ生きてる」
「やっぱ一発じゃ駄目なのか」
しかしヤツはしぶとく、まだ息があるようだ。
小指の痛みを意識の隅へ押しやり、俺はどうにか立ち上がる。唯奈のもとへ行くと、ちょうどほとんど動かなくなったヤツへ唯奈が二度目の攻撃を繰り出していた所だ。ベシンッと子気味の良い音とべちょりと身震いしそうな音が同時に響き、ついにヤツは動きを止めた。
「や、やったか……」
「それフラグじゃない?」
「いやいや、さすがにこんなに潰して生きてるなんて事はないだろ」
「そこまでがフラグだって」
武器を構えて未だ警戒している唯奈をよそに、俺はヤツの死体を片付けるべく大きめのちりとりを持って来た。上手に死体をすくい、窓の外へ捨てようとしたその時。
「ぎゃああ生きてるううう!!」
ヤツはちりとりの上でカサカサと動き出した。俺は叫びながら死に損なったヤツを庭へと放り捨て、上からちりとりをぶん投げてしまう。そして続くのは「プチッ」という生命の絶える音。
「ちょっと何してるのお兄ちゃん! ちりとり駄目になったじゃん!」
「ハッ!? しまったつい……」
唯奈に言われて我に返ったが、時すでに遅し。ちりとりはカサカサ動くヤツに直撃し、トドメを刺した後だ。二度と使われなくなる事を代償に。
ちりとり君はヤツの体液によって無残にも汚染物質となってしまった。ありがとうちりとり、君の健闘は忘れない……二日ぐらいは。
「ま、まあ何にせよ無事に退治できて良かった良かった」
犠牲はちりとり君と俺の右足小指だけ。ちくしょう、思い出したらまた痛み出した……。
「ねえお兄ちゃん、次の物資調達の時に殺虫剤も持って帰ろうよ。ヤツを――ゴキブリを仕留めるだけでこんなに苦労してちゃ、時間とか体力とかいろいろ無駄な気がする」
唯奈はヤツの死骸がある庭を指さしながらそう訴える。まあその意見はごもっともだ。
「けど殺虫剤よか、少しでも多く水や食料を持って帰った方がいいんじゃないか? ヤツだってそうそう現れる訳じゃないし」
「……前もそう言って何日か後にゴキブリ出たじゃん」
「うっ……あれは俺の左足小指がやられた時か……」
俺の足指負傷しすぎ問題。これがサバイバルってヤツか……。まあ家からほとんど出てないんだけど。
「取りあえずバルサンの事は一旦置いておこう。俺たちの目標はゴキブリの駆逐ではなく生き残る事だ」
「大雑把なお兄ちゃんはそれでいいかもしんないけど、私は虫とか嫌いだし殺虫剤は欲しい」
「丸めた新聞紙で容赦なく叩き潰してたのによく言うよなまったく……いや何でもないです」
ヤツを仕留めた武器を持つ唯奈の右手に力が入り、新聞紙がくしゃりと悲鳴を奏でた辺りで口を閉じる事にした。あれで殴られたらいろいろやばい。
はぁ……でも確かに、唯奈の言う通りだ。ゴキブリ一匹相手になんでこんなに苦労せにゃならんのだ。人類は滅びかけてるってのに、どうしてゴキブリは平常運転なんだよ。圧倒的な生命力の差を見せつけられている。
「まあ殺虫剤の件、考えといてね。それより食料の話。もうすぐ無くなるよ」
「マジか、調子に乗って食べ過ぎたか……結構節約してたつもりだったんだけどなぁ」
「お兄ちゃん燃費悪いもんね」
「お兄ちゃん的にそこはフォローして欲しいな。でも気を付けます」
「冗談。明日にでも食料調達に行こ」
「そうだな」
そこまで話し合って、唯奈は手を洗う為に洗面所へ行った。ゴキブリエキスのついた新聞紙は生ゴミ入れに放ってある。俺もやる事をやろうとリビングから立ち去ろうとし、その時ちらりと窓の外を覗いた。
「まあ、普通にいるよなぁ……」
表通りには、ゆったりしたペースでのそのそと歩いている人影がいくつも見える。しかしそれは、ゴミ出しのおばあさんでも買い物帰りの主婦でも鬼ごっこをしている子供達でもない。
ある者の肉は腐食し、またある者は腕が千切れて肉が見えている。下半身が無く地を這って進んでいるのだって見た事がある。その悲惨な姿は様々だが、皆一様にして言える事がある。
それは、彼らが生きていないという事。
彼らは人間を食べ、そして食べられた人は『彼ら』になるという事。
この街は――いや、この世界はいつの間にか、そこらじゅうでゾンビがうろつく死のサバイバルワールドになってしまったのだ。
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