相棒

 遠くに見える山々を取り囲む雲は明るい橙色に染まっている。

 夕日はすっかりと隠れているが、その光は雲を通し赤く色付いていた。

 まるで山火事が起きているかのように明るい色で、心地よい風が髪をかす。


 電波塔の上から臨む街の景色はいつもと変わらず、穏やかに流れる人の営みを淡々と映している。


 街を見下ろす吸血鬼、クレア・レスフィールド。

 彼女はある男を待っていた。

 ぶら下げた両足をパタパタと遊ばせて再度眼下がんかの街を見遣みやる。


「遅いなぁ〜」


 鈴を転がしたような声色が空に消えた。

 左手につけた細い腕時計を見る、時間の確認はこれで8回目だ。

 普段から時間にルーズな彼女にはあまり好きな行動ではなかった。


 ─吸血鬼。

 古来から人の血を糧に生きる妖魔。

 多くの国が伝承として語り継ぐ怪異。

 有名ゆえに非常に強力な人外生物であるが、日光を浴びたら灰になる、ニンニクで撃退できるなど数多くの弱点を持っていた。

 怪力や変身擬態、吸血など強大な能力は弱点と共に始祖の発生から、長い時を経て受け継がれていく。

 しかし、怪物は人と交わり子をなしていた。

 血が薄まるにつれて弱点や能力は影を潜め、現在では「嫌悪感無く他人の血が飲めるちょっと頑丈な一般人」程度にまで弱体化していた。

 日光やニンニク、十字架や銀はまったくもって意味がない。

 そして力は少し強い程度の一般人、頭の方は少し残念ではあるが平均的な人間と遜色がない。

 それが15歳にして吸血鬼のクレア・レスフィールド、彼女だった。


「ほんとにおそいなぁ~」


 電波塔の頂上から見下ろす町は繊細のように見えて雑多、まるでジオラマを見ているかのような気分になった。


 今はとある人物からの依頼を受けて、相棒の帰還を待っているところである。

 事前に待ち合わせた時間はとうに過ぎていた。


「新人魔法少女から妖精を奪ってくる…そんなに難しいことだったっけ?」


 彼女は吸血鬼だ。

 血塗られたルーツを持っている彼女は当然として表の世界には馴染めない。

 今も裏の世界に潜む彼らの一員として食いつないでいる。

 そしてそんな彼女に言い渡された仕事が妖精の奪取である。

 裏世界の人間からすると窃盗、誘拐などは簡単な部類に入る。

 今日の任務も例にもれず楽勝だと思っていた、簡単な任務に二人も必要ないよねと話し合い、クレアがこの場に残された。

 じゃんけんで負けた結果だった。


 ちょっと様子を見に行こうかな、心配している訳じゃないのだけど…

 と考えていると雷が落ちたかのような爆発音が聞こえてきた。

 町の一角から白い煙が立ち上がり鉄骨がコンクリートに叩きつけられる音が鋭く響く。

 閑静な住宅街ではお目にかかれない大事故だ。

 しかし、しばらくしても消防や救急、警察の車両が倉庫へ向かうことはない。

 それは魔力的な結界による隠蔽の証左だった。


「やっと終わったか」


 耳をつんざくような爆発音。

 恐らくクレアの相棒、幽鬼ゆうきが大技でも決めたのだろう。

 幽鬼と組んで3年、彼の趣味趣向や行動原理を推測できるまでには十分な時間だった。


 仕事以外では顔も合わせないビジネスライクな関係であるが、そもそも仲は悪くないと思っている。


 彼は変身すると気が大きくなり、粗悪な性格へと変貌する。

 それは身体的にも大きく変貌する事が原因なのだろうか。


 疑問に思った事はあるが聞いたことはない。

 それは彼の根源に関わる事、裏の世界で生きている我らにとって魔法の根源となる情報は仕事道具であると同時に生命線だ。

 余程のことが無ければヒントすら教えて貰えないだろう。

 この世界では誰がいつ敵になってもおかしくはない。

 今組んでいる幽鬼でさえ、金さえ積まれれば明日から標的討伐対象になっていても不自然ではないのだ。

 もちろんそれは自分にも当てはまる。


 だからこそ自分の情報はなるべく漏らさない。

 互いに不干渉、それはこの世界で長生きするマナーでもあった。


 でも気になるものは気になってしまうのだ。

 裏世界のマナーがあるのと自分の気持ちは別だった。


 流石に終わったよね?

 もう見に行ってもいいよね?

 終わるまで待ってろと言ったのは彼なのだ。

 例え"手の内を晒している仲間には近づかない"という不文律があるとしても、クレアは3年間で降り積もった好奇心には勝てなかった。






 ──────────────────





 廃工場の屋根には換気・採光用の窓ガラスが付いている。

 古く錆ついたアルミの枠に嵌められたガラスは白く濁っていた。

 ガラスに堆積されは油汚れには汚くも古めかしい歴史を感じさせるものがあった。


 しかしクレアにはそんな感性はない。


 汚いものは汚い。

 埃と油で黄色くなった窓ガラスにうへぇ〜と顔を歪めながら足音を消して屋根を伝っていく。

 錆びたトタンの屋根は塗装が剥げていてグリップがとても不安定だった。

 トタンと梁を支えているボルトの突起をスニーカーの土踏まずに噛ませる。


 右足首に負担がかかり攣りそうと思うが、普通より丈夫な身体で生まれたクレアには問題ではなく、この時ばかりは吸血鬼として生まれた自分に感謝した。


 窓枠に両手を添えてゆっくりと中を覗く。


 薄暗い倉庫内はほぼ半壊していて棚や金属片が散らばっているように見えた、大きく壊れた壁…恐らく幽鬼が開けた穴だろう。

 そして近くには狩衣を着た男が3人横たわっていた。

 それはクレアからすると想定外で顔を顰めるには充分な理由だった。


 退魔師、祓魔師の専門家として名高い陰陽師は吸血鬼にとって天敵とも言えた。

 西洋のヴァンパイヤハンターほど狂気に満ちていてもしつこくも無いが…確実に闇に住まう者たちの弱点を突いてくる傾向にある。

 故に会いたくない相手だった。


(陰陽師…?でも、気絶してる…のかな?よく見たら若いし新米っぽいなぁ…幽鬼がやっつけちゃったのかな?)


 事前情報とはかなり異なる状況に少し不安を覚えるが、怨敵とも言える陰陽師が気絶しているのは幸運に思えた。


(しばらく目覚めそうにないし…もうちょっと見よう)


 この運を追い風と捉えて現場視察に思考を切り替えるクレア。


 陰陽師たちから少し離れた場所に2人の人間、男女のペアが何やら話し合っている様子が伺えた、そしてその女の隣には。


(…妖精…っ!まだ捕まえてなかったんだ)


 任務は失敗していたのか?

 だとしたら幽鬼が討伐されてしまったのか、または寸前の所で逃げたのか。

 クレアには状況の把握が難しい状態にあった。


(失敗?!でも逃げたとしたらどこに……っ!)


 そして偶然にも見つけてしまった。

 男女の2人のさらに先、鉄骨に背中を預けてだらりと完全に脱力している相棒の姿を。



(そんな…!嘘でしょ?!まさか新人魔法少女に負けたの?!)



 幽鬼のことはこの3年間で理解しているつもりだった。

 こちらの世界ではクレアよりも経験が長く、同世代よりも頭ひとつ飛び出た実力があると聞いている。

 所謂、中堅上位程度の力はあるだろうと考えていた。

 少なくともクレアよりは経験豊富な実力者が倒されている現実に頭を悩ませる。


(どうしよう…何が起こったの?いや、今は逃げるのが先…?)


 2人1組ツーマンセルの戦術の一つとして前進と監視がある。

 1人が目標に前進して攻撃、後方待機の1人が周囲の脅威を偵察する戦術である。

 例に漏れずクレアたちもその戦術を用いている最中だった。

 経験の浅いクレアは見守り程度の監視であったが、その役割は承知していた。

 この場でのベストな行動は敵の脅威度を確認をして撤退、ベターは幽鬼の回収と撤退だった。

 クレアは脳内でマニュアルを読み直し、重いため息を吐く。


(脅威度の確認って……絶対後方の仕事じゃないよぉ…)


 幽鬼が倒されたという事実で脅威度の確認お終い!お疲れ様でしたー!

 とはならないのが裏世界の面倒な所だ。

 誰が、どのように倒したのか…最低限の情報を持ち帰らないと依頼主クライアントへ顔向けできない。

 何故ならこの仕事は基本的に前払い。

 すでに成功報酬は受け取ってしまっているのだ。


(せめて何か情報を……すごすごと帰っちゃったら私たちの信頼はガタ落ちよ…っ!ここが踏ん張り所なの!クレア!)


 この業界での信用の失墜は仕事の消失を意味する、つまり食っていけなくなってしまうのだ。

 そしてこの手の仕事は総じて金払いが良い、仕事に愛着の湧いてきたクレアからすれば今この瞬間は今後の人生を大きく変える正念場にも思えた。


(見たところ立っている2人が怪しい…1人は魔法少女として…隣の男は誰?)


 未だに新人魔法少女に倒されたなど信じられないクレアだが、疑念と驚愕の感情は後回し。

 目を皿のようにして周囲を見渡した、耳の良い彼女は2人の会話を断片的に捉えていた。


(おじさん?……ねっとり…?一体何の会話をしているの?…もしかして私の知らない第三者がいる?!)


 クレアは乗り出した窓からしゃがんで身を隠し、急いで探知魔法を使用した。

 周囲には自分の目視した人間以外はいないことを確認した。


(やっぱり…誰もいない、本当にあの魔法少女が倒したというの?)


 再びゆっくりと窓から顔を覗かせるクレアは先程の2人を組と妖精を見る、何やら話し合いが続いているようだが、古武術やらおじさんやら要領を得ないでいた。


 せめて顔でも男の方に視線を向けた瞬間だった。


(…なっ!)


 目が合った。


 一瞬思考が空白で埋まる。


 すかさず窓から指を外し伏せる。

 心臓がうるさいほど早く回る。

 蝸牛かぎゅうに響く鼓動は警鐘のようにドクドクと止まらない。


(こっち見た!絶対こっち見た!ちらっと横目で見てきた、絶対見られてるぅ……)


 目算150m以上は離れていたはずだ、先程発した探知魔法も原理的にはクレア以外察知出来ないはずだ。

 つまりこれが偶然では無かったら純粋に、気配で見つけられた可能性が高い。

 理解してしまうと得体の知れない者に手を出してしまったからか気持ち悪さが込み上げてきた。


(150m以上離れてる上に死角に居たのよ!何でこっち見たの?!気持ち悪っ!偶然?それに目が合っても表情一つ変えないなんてことある?絶対わかってたでしょ!)


 目が合った瞬間、死神が鎌を振り上げているような幻視をしてしまったのは気のせいだと思いたかった。


 とりあえず同じ場所に居続けるのは危険だと判断した。

 足に消音魔法をかける、特に念入りに…2回もかけた。

 波打つトタン屋根をゆっくりと伝って反対側へ降りる。


 心を落ち着かせゆっくりと深呼吸、うるさい心臓を黙らせて再び窓から顔を覗かせる。


(このままじゃ帰れない…!何か少しでも情報を…っ!)


 クレアはやけになっていた。


 先程とは違うアングルから見える魔法少女と謎の男、近くには気を失いっている幽鬼の姿が見えた。


(良かった…移動してないみたい、やっぱりさっきのは偶然だったのかしら…)


 どうやら2人で幽鬼を取り囲んで何かをしているようだ。

 クレアは聞き耳を立てて会話を拾おうとした。


『……った方が…』

『…でも鼻血……突っ込ん…』

『…めだめ!……汚れ……』

『……なら大丈夫……じゃない?』


(鼻血?突っ込む?幽鬼の前で一体何の話をしているの?……)


 何となく、全ての会話を理解するのは怖い気がした。

 クレアは魔力を目に集めて視力に支援バフをかけた。

 双眼鏡を覗いた時のようにグンと視力が上がり、遠方の動きがより細かく鮮明に写る。


 先程の男が手に持ったピンク色の細い棒をゆっくりと幽鬼の鼻に突っ込んでいた。

 グリグリと音が聞こえそうなほど力強く、そして確実に鼻の奥まで突っ込んでいる。


(ああああ…!痛い痛い痛い!見てるだけで痛い!何してるのあの子!)


 クレアは思わず鼻を押さえてしまうほどおぞましい光景だった。


(やめてあげて!幽鬼は粘膜が弱いの!花粉症だし鼻を噛むとたまに血が出ちゃうくらい弱いのよっ!)


 クレアの声は届かない。

 男は遠慮することもなくグリグリグリグリと何かを探るように幽鬼の鼻をほじっている。

 気絶している彼が眉間に皺を寄せて痛そうな顔をしていた。


(拷問かしら!もうこれ拷問じゃないかしら!見てるこっちが痛いのよ!やめてあげてよぉ!)


 男は幽鬼の鼻に入れた棒を止めると勢いよくズボっと引き抜いた。


 当然、幽鬼の鼻からは勢いよく血が吹き出てきた。


『うわぁぁぁ!』

『きゃあぁぁぁぁ!』

『キュォォォ!』


 近くにいた2人と妖精は驚いたように声をあげて叫ぶ。


(なぜ元凶のアンタらが叫んでる!)

(幽鬼かわいそう…)

(一体何されてたの?!)


 短時間で色々なことが起きすぎて思考が分裂し始めたクレア、もう涙で前が見え辛くて仕方ない。


 魔法少女が鞄からテッシュを取り出して懸命に鼻に詰めていた。

 妖精は治療魔法をかけているようだ。


(拷問にしても酷すぎるよぉ…もうやだ…帰りたい…)


 男の方に目をやると頭を掻いて魔法少女と話しているようだ。


(とりあえずもし幽鬼が無事に帰れたら、労ってあげよう)


 クレアは心に決めて再び2人の観察に戻る。


 しばらくすると出血が止まったのか安心した様子を見せる魔法少女、良かった…生きてる。


 そして先程まで背中を向けていた男がゆっくりとこちらを見て完全に目が合った。


 蛇に睨まれた蛙のように身動きが取れなくなるクレア。


『───みぃつけた』



 死神が鎌を振り下ろしてきた。


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