第11話

 晴空は虫が苦手だった。小さい頃、誰かにセミの死骸を机の中に仕込まれて以来、セミのみならず虫全般見ることすらままならない。

 何十回と同じようないじめを受けていたら慣れていたかもしれないが、生憎それっきり虫によるいじめは受けていない。

 もちろん無い事に越したことはないかもしれないが、晴空が今まで受けたいじめの回数は何十回の変化があったところで心が休まる問題では無いのだ。

 とはいえ、巨大な虫が出ようとしている裂け目に向けて猛スピードで衝突しそうな今の晴空では、いくら虫が苦手でも避けられようがなかった。


 ガコーン!!


 気づいた直後にはもう衝突していた。幸い、晴空の硬鋼の翼が前に出ていたため頭部をぶつけるような事はなかったが、無論強い衝撃が体を走る。

 巨大な虫は衝撃でゆっくりと倒れ、晴空ははたかれた羽虫のようにヒラヒラと落ちてゆく。

 それを見かねたのか、舞冬が素早く晴空の所まで飛んで来て、晴空を抱えてまた素早く他の仲間の所へ戻る。

 相変わらず晴空の抱え方は乱暴だったが、晴空にとってはもう気にならない。


「大丈夫?いきなり飛んできて何事かと思ったわよ!?」


(それはこっちも知りたい…なんだったんだ今の…)


 それに訳の分からない存在に無理矢理背中を押されてきた。なんて言えるわけがない。

 舞冬に地面へ降ろしてもらったが、どう反応したらいいのか迷った晴空は、舞冬と目を合わせることが出来なかった。

 ところが目を逸らした先には、あの空間の裂け目が閉じ、巨大な虫が今にも起き上がろうとする光景が写った。


(うう…どこを向いても直視出来ない…)


 細目ではあるが改めてその巨大な虫を見ると見上げるほどの丈があり、この世に存在しているものとは思えない。

 全身の形は頭が大きく後ろ足が長い。晴空の知り得る虫の中ではいなごに似た姿をしている。

 それにしてもこの巨大な蝗の外骨格は相当硬いようだ。弾丸のように飛んできた晴空の翼に当たったにも関わらず、少し凹みが出来た程度だ。

 しかし、もっと驚くべきなのは晴空の翼の方だろう。硬鋼なのはさる事ながら、あの衝突において目立った外傷がひとつも付いていない。

 霊獣ファントムの力で直ぐさま回復していたとしても、晴空に支障が無いほどの衝撃しか来なかったということは、さほど硬さ負けしていなかったということになる。


「ギギギ…ギギギ…!」


 巨大な蝗は立ち上がり、甲高く奇妙な鳴き声を上げて身を震わしている。どうやら威嚇しているようだ。

 刹那、巨大な蝗はその巨体からは考えられないほど高く飛び上がり、天淵樹の方へ向かって晴空達を飛び越えていった。どうやら舞冬達と戦う気は無く、狙いは他にあるようだ。


「そうはいかないわ!!さあ、晴空くんは下がってなさい!英霊隊エインヘリヤル桜金旋刃レーヴァテイン!」


「りょーかーい!」


 舞冬の掛け声とともに、どこからともなく声が聞こえ──


 ガキーン!


 飛び上がった巨大な蝗の足元で、金属同士が激しくぶつかるような音と共に一線の光が走った。

 巨大な蝗はその光が脚に命中したのか、飛び上がった勢いを失いそのまま墜落した。

 舞冬はその期を見計らい巨大な蝗へ走っていく。


 シュタッ!


 誰かが上から降りてきた音が横から聞こえ、晴空は思わず横を向く。


「やぁ!さっきぶりー」


 そこには晴空に向かって満面の笑みで手を振るかえでがいた。

 どうやらさっきの光はかえでが高速移動をして繰り出した攻撃だったようだ。


(あれだけ強い攻撃のが出来るならこんな所で手を振ってる場合じゃないでしょ…)


 ふと、桜は何をしているのかと思い晴空は桜を見る。

 なんと桜は武器であろう刀は鞘にしまったまま傍らに置き、目を瞑り正座をしていた。あの祭壇の前でしていたように。

 一体何をしているのだろうか?傍から見れば今まともに戦っているのは舞冬1人のみ。

 と思いきや、舞冬の方を見れば巨大な蝗の脚をあの銀色の物質で固め拘束していた。


「ほうら!こっち来なさい!!」


 そしてその固まった銀色の物質を引っ張り、じたばた暴れる巨大な蝗をこちら側へ引きずり始めた。

 確かにあの暴れる巨体を引きずる力は凄まじいが、一向に攻撃をする素振りを見せない。


(何をする気なんだろ…まさかあのおっきい虫を捕まえようって訳じゃないよね…?)


「もしもーし?そろそろ下がった方がいいよー?」


 かえでの声が聞こえたので振り返ると、桜の周囲が先程までの雰囲気とはまるで一変していた。

 勢いよく吹き荒れる旋風。カラカラと硬い物同士がの擦れる音。キラキラと反射する金色の光。

 その光景はまるで桜の周りに金色の旋風が吹いているようで、その美しさに晴空でさえ一瞬目を奪われる程だった。

 晴空はかえでに警告された通り確かに桜の脅威を感じ、かえでがいる桜の後方へと移動した。

 直後、桜は鞘を持ち正座からゆっくりと立ち上がると、刀の柄を持ち居合切りの構えをした。

 吹き荒れていた金色の旋風は、桜の動きに呼応するように鞘に集まる。やがて全ての旋風が鞘に集まり、その形はまるで更に大きな鞘で覆っているかのようだ。


「かえでっ!今よ!」


「りょーかいっ!」


 舞冬の掛け声の後、かえでは巨大な蝗の方へと向かう。しかし、今回は瞬間移動ではなく並の速さで、それも人間基準の速さで走っていた。

 舞冬の方を見れば、もう巨大な蝗をすぐ近くまで引きずって来ている。

 かえでが巨大な蝗の近くまで来ると、『情報空間』から札が付いたクナイのような物を取り出し、巨大な蝗の足元に投げつける。

 するとそのクナイが刺さった場所から青白い光が瞬き、そこから木の根のように太い茨が無数に飛び出した。

 それと同時に巨大な蝗を拘束していた銀色の物質が消失し、顕になった脚に茨が透かさず絡みつく。

 猛獣の爪の如く鋭い茨の棘が巨大な蝗の足に食い込む。そして茨の先が砂に深く突き刺さり、巨大な蝗は完全に砂原に固定された。


「さあ!勝利の時だー!」


「余計なこと言わないの!」


 かえでと舞冬が既視感のあるやり取りをしながらそれぞれ反対方向に捌けていく。

 2人が充分に離れた瞬間、桜がカッと目を見開き、構えていた刀を鞘から引き抜いた。

 その刀の動かし方は無駄がなく、瞬く間に刀は巨大な蝗の方へと向けられていた。

 金色の旋風より何倍もの輝きを放つその刀身は、昼の太陽のような暖かな黄金色をしていた。

 ところが桜はその場から少しも動いておらず、刀は相手に掠りもしていない。そもそも相手は目の前とは言え、居合と言うには些か遠すぎる。

 しかし、その疑問が浮かぶどころか、刀を観察する隙もなく決着の時は現れた。

 桜の鞘に纏っていた金色の旋風が一斉に巨大な蝗へ飛んで行き、あの強固だった外骨格をまるで砂を崩すかのように削って行ったのだ。


「……!?」


 晴空は何が起こったのかすぐには理解出来なかった。

 目の前であれほど存在感を放っていた巨大な蝗が、一瞬にして跡形もなくなってしまったのだ。

 その事実がその目でハッキリと写っていても、信じ難い事だろう。

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