第3話
また朝緋と少し交流出来た事で、晴空は午後の授業も完全に上の空だった。晴空はあのプロテインバーの包み袋を机の引き出しにしまい、時折眺めてはあの『今まで感じたことの無い感情』に浸っていた。
そんなことを続けているうちに午後の授業中が終わり、ホームルームの時間となった。
(あれ、待って…?まだお礼ができてない!)
そう、当初の目的は昨日のお礼をする事。決して朝緋の食べていた物を知るためでは無い。
人間が嫌いと言いながらも、あんな突拍子もない質問にも答えてくれたのだ。今日このまま帰るわけにはいかない。
ホームルームが終わると、朝緋は荷物を持って速やかに教室を後にする。晴空も見逃さないよう後を追う。
(…どこか話せるタイミングを見つけないと…女子に話しかけているところを他の人に見られるのは恥ずかしいし…人がいないところとか…)
しかし、下校中の人がある程度少なくなったにも関わらず、晴空は一向にその距離を縮められずにいた。
(どうしよう…いつ話しかけに行けばいいんだろう…下校してからしばらく経っちゃったし、今話しかけたらずっと後を付いて行ったことがバレちゃうかも…)
完全に話しかけるタイミングを失った晴空は、遂に周りにいる人はいなくなり、2人だけとなった。
しかもここは養護施設から真反対の道。今はそこまで施設から遠くないが、晴空が来たことない場所なのは確かだ。このまま行けばスマホのマップ機能が苦手な晴空にとって、最悪迷子になりかねない。
(もう周りに人はいないし…今話しかけるしかない…!)
晴空は足を早め、朝緋に近付こうとする。
しかし朝緋は突然足を止め、少し古びたアパートの方へと体を向けた。どうやら家に着いたようだ。なんともタイミングの悪い帰宅である。
しかも朝緋は更にくるりと晴空の方へ体を向ける。どうやら気付かれたらしい。
晴空は早めたばかりの足を止め、つんのめった状態で朝緋と目が合う。またもや気まずくなった晴空はその状態から動けなくなった。
「…?ああ、あなた…また何か用?」
朝緋はしばらく見合わせて、ようやく晴空だと気付いたようだ。やはり人嫌いからか、人の顔を覚えるのは苦手らしい。
もう話すこと以外選択肢は無い。晴空は姿勢を立て直し、
「き、木村…さん…えと…昼に、言えなかったことが…あって…昨日の事…なんですけど…」
「お礼とかいらない」
「えっあっ…はい…です…よね…」
正直そう言われるだろうとは晴空も予想はしていたが、面と向かって言われるとこの先はどうしたらいいのか困ってしまう。
悩んでいるうちに、朝緋はアパートの方へ体を向けて帰ろうとしている。
「あ、あのっ!」
「…?」
晴空が呼び止めると、朝緋は顔をこちらに向けて立ち止まった。
「ど、どうして…助けてくれたんですか…」
「…?どういう意味?」
「いや、ただ…人間が嫌いって言ってたのに、いじめから僕を助けてくれたり、僕の話を聞いてくれたり…なにか理由があるんじゃないかって」
どうしても目を見て話すことは出来なかったが、晴空は珍しくスラスラと喋る。言い淀むことも無く、真っさらな言葉。ずっと疑問に思っていたことを正直に聞くことが出来たのだ。
「…そんなこと聞く人初めて…だって知る必要ないでしょ?」
「…僕は…気になる…から…」
晴空は自分の発言に恥ずかしくなり、再び顔を伏せる。相手に『気になる』なんて言葉をかける事は一生縁のないものだと思っていた。しかし正真正銘、晴空はどうしようもなく朝緋が『気になっている』のだ。
「優しくしてるつもりはない。私がしたいことをしただけ。昨日もあのゴミをたまたま見つけたから…」
晴空は顔を上げて朝緋の言葉に耳を傾ける。しかし今度は朝緋のほうが顔を伏せると、怪しげに口元が緩んだ。
「…ああいう…見ると…フッ…したく…だよね…ヒヒッ」
小声で聞き取れないが、時折笑っているように見えて明らかに普通ではない。
「き、木村さん…?」
まだ何か呟いているようだが、晴空は思わず声をかける。晴空の声を聞いた朝緋は急に落ち着きを取り戻した。まだ下は向いているがあの怪しげな様子は治まった。
「大丈夫…とにかく、私が人間が嫌いなのは事実だし、用が済んだならもう関わらないで…」
朝緋はそう言うが、突き放すような口調ではなく今まで通り淡々と答えていた。しかし、
『関わらないで』
その言葉は晴空にとってどんな意味があるだろうか。
諦めて今まで通りの生活に戻るのか。もっと朝緋のことを知るためにこれからも話しかけに行くのか。
どちらにせよ、晴空にとって朝緋は今までの人生の中でも大きな影響を及ぼした。これほどまで晴空の心を動かす出来事はもう無いかもしれない。
沈黙が続く。お互い下を向いて口を開かない。どう答えたらいいのか分からず、そろそろ晴空の気まずさも限界に達している。
「…でも」
先に沈黙を破ったのは朝緋だった。驚いた晴空は朝緋のほうへ目を向ける。朝緋もゆっくりと顔を上げ、
「正直言葉に出してスッキリした。ありがとう」
意外にも感謝の言葉を口にしたのだ。
その時の表情もやはり真顔であるが、どこか微笑んでいるようにも見えた。
しかしそれは一瞬で、朝緋は言い終えてすぐ目の前のアパートへと姿を消してしまった。
結局、疑問の根本的な所まで聞くことは出来なかった。詳しく話を聞くには、やはりもっと親しくなってからでないと心を開いてくれなさそうだ。
晴空はというと、そんなことを考える余裕などある訳もなく、最後朝緋が見せたあの表情、そして『ありがとう』という言葉が頭から離れず放心状態だった。
そもそも晴空は人に何かしてあげようとしたことが無かった。だから『ありがとう』なんて言葉を今までかけてもらったことも無かった。それが意図せず感謝の言葉を貰うなんて、晴空は想像もしなかった上、あの朝緋に言われたのだ。
晴空はしばらく、その場に立ち尽くしてしまった。
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