第2話

 その後、軽い自己紹介と新年度説明会があっただけで、その日は午前中に解散した。放課後、朝緋に今朝の事のお礼を言おうと思っていたが、午後のホームルームが終わってすぐいなくなってしまい、晴空は追いかける勇気を出す暇もなかった。

 なぜなら今まで晴空から話しかけるような相手はいなかったし、どう話せばいいかなんてわからない。

 しかし、気になっている人が偶然同じクラスに転入して来たとはいえ、話しかける意味はあるのだろうか?晴空はその日の夜中まで考え込んでしまった。

 自分から行動しようとしていること自体ほぼ初めてだが、今はなんで自分が話しかけたがっているのかさえ分からないほど話しかけたい衝動に駆られている。


(…とりあえず、昨日の事のお礼を言うところからだよね…うん、お礼だけでも…)


 長考の末、結局話す内容が思いつかないまま翌日の昼休みがやって来てしまった。

 1つ心配なのは、昨日あんな自己紹介をしたとはいえ朝緋に話しかける人は数人いた訳だが、当人は少し相槌するだけで適当にあしらっているようだった。本当に人が好きでは無いらしい。


(話しかけると決心したものの…同じようにあしらわれて、次話しかけようとしても無視されてしまうんじゃないか…もし上手く話せなくて目も合わせてくれなくなったらどうしよう…)


 渦のように次々と嫌な考えが晴空の頭の中を巡る。

 しかし、晴空の足は動いた。まるで本能に操られたかのように教室の右端、つまり出口付近にある朝緋の席へとその足を早める。

 そしてそのまま朝緋の目の前──を通り過ぎて教室を出て、トイレの個室に入っていった。


(無理無理無理!やっぱ話しかける意味ないよ!お礼を言うにしても、あの子はお礼なんてたぶん求めてない!休憩時間のあの態度からして話しかけられれることすら嫌なんだよ!…きっと!)


 晴空は逃げた。『未知の経験への恐怖』という本能に勝てなかったのだ。

 確かに昼前までは話しかけるつもいでいた。しかし嫌な考えが募る度、朝緋に嫌われたくないという気持ちが強くなっていった。

 今、晴空は狂ったかのように感情的だ。こんなに心が揺さぶられるのは初めてだったため、尚更疲れてしまったのだろう。もうどうすればいいのかわからない。話しかけるような気力すら残っていない。

 とりあえず気持ちは落ち着いたので、個室を出て教室へ戻ることにした。

 教室に戻るなり壁へ寄りかかり、スマホを見るふりをして横目で朝緋を見る。どうやらサンドウィッチを食べているようだ。残りを見るにまだ食べ始めたばかりだ。

 晴空にも今朝買ったおにぎりがあるが、ただでさえ少食なのに落ち込んだ気持ちのせいで食べる気にすらならない。


(うう…食べてる時に話しかけるのも悪いし…僕の気持ちの整理の時間も必要だし…とりあえず食べ終わるのを待つか…)


 それにしても晴空がこんなに繊細になるのは本当に珍しいことだ。

 この高校を受験した時は目指すところも特にないため、明生に選ばされた自分より低めのレベルを受けたので気軽だった。

 バイトもあまり人と接しない倉庫の検品をやっているし、黙々とした作業が得意な晴空にとっては苦とは感じていないだろう。

 そもそも向上心の欠けらも無く、何事にもムキにならない晴空にとって落ち込んだり、疲弊なんて言葉とは無縁なのかもしれない。

 だからこそ心を動かした朝緋は晴空にとって特別であり、とても不思議に写っていることだろう。現に今、食事中の朝緋の横顔から思わず目が離せなくなっているほどに。

 ふと、朝緋が晴空の視線に気付いたのかこちらを向いた。


(まずい!さすがに見すぎたかな!?)


 咄嗟にスマホに視線を戻すが、やはり気付かれたようで朝緋がこちらへ向かってくる音がする。

 鼓動が今まで以上に高まる。スマホを持つ手も震えが止まらない。

 優子が晴空の目の前に立った。晴空は何を言われるのかとビクビクしながら、特に代わり映えのないスマホのホーム画面を見つめている。朝緋に気づいていないふりをしているが、どう見ても動揺が隠せていない。


「なに?なんで見てたの?」


 晴空はゆっくりを顔を上げる。が、気恥ずかしくなってすぐにスマホの画面に戻ってしまった。

 このままでは無視になってしまう。返事をしようとするが、震えて声が出ない。


「…?あなた…昨日会った…何か用?」


 顔を確認してから少し間があったが、そんな事より覚えてくれていることに驚き、晴空は思わず顔を上げた。

 その瞬間、2人は初めて目が合った。気まずい空気が流れる。しかし朝緋の表情は真顔だが、律儀に返事を待ってくれているのだろうか。恐らく、余程見られたことが気に触っただけであろう。


(どうしよう…何か話さないと…何か…)


「そ、その…食べてる…えと、何を食べてたのか…気に…なって…」


(はああああ何言ってんだよもうううう!!)


 テンパりすぎて、もはや昨日のお礼を言うことさえ忘れてその場を誤魔化そうとしてしまった。朝緋が具体的に何を食べていたのかなんて少しも気になっていなかったし、知ったところで晴空に利は無い。

 どうしようも無くなった晴空はまた視線を落とし、既にスリープモードで暗くなったスマホの画面を見るしかなかった。

 結果だけを見れば晴空は話題を振って『喋る』事は出来た。しかし、こんな話題で晴空が『会話』する事は出来そうにない。今朝のお礼も、一旦お預けだろう。

 そう思っていた矢先、スマホの画面の前に何かのロゴが入った小さな包み袋が写った。

 しかしそれは現物であった。晴空は包み袋を受け取り、それを持っていた手を辿って視線を朝緋に向ける。


「これをサラダサンドで挟んで食べてた。気になるならその袋あげる」


 そう言って朝緋は席に戻ってしまった。応答はするが、やはり会話を続ける気はないようだ。

 傍から見ればただゴミを渡されたように見える。だが晴空にとっては違うようだった。

 晴空に物欲が無いため、誕生日プレゼントもクリスマスプレゼントも思い入れのあるようなものは貰ったことがなかった。学校の道具やパソコンやスマホは、児童に持たせるように養護施設内で義務付けられたものだ。

 普通はただの包み袋を貰って、正直嬉しいとは言い難い。しかし、また違った感情が晴空の心を暖かく包んでいた。その感情もまた、晴空の知らないものだった。

 視線を包み袋に移すと、そのロゴには見覚えがあった。それはプロテインバーの包み袋だった。


(…サラダサンドに…プロテインバー…か…)


 予想外の昼食センスに、その一瞬で感情が少し冷めたような気がした。

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