始まりの旭光

第1話

 今日は晴空の高校2学年始業の日である。

 始業の日といえば一般的に、また学校に通わなければならない憂鬱さを抱えながら、久しぶりに会った友達、そうでもない友達と再開して、1学年上がりまた一段と成長した事を共に称え合う日なのだろう。

 しかし晴空の場合は…


「おら食えよ!」

「早く口開けろや」


 小学生の頃から晴空をいじめている筆頭であり、今は同高校の同級生。近藤こんどう明生あきお率いるいじめグループ3人に囲まれていた。

 1人の手には得体の知れない赤い実。道端で拾った物なのか薄汚れていて臭い。どう見ても買った物とは思えない。

 もう1人は晴空の腕を掴み、太腿を定期的に膝蹴りしている。筋肉を刺激されることで立てなくなるほどの痛みが走るが、痣すら残らない。いじめでよく使われる暴行だ。

 そして明生は、晴空の口をこじ開けて赤い実を入れようとしている。


「ーー!」


 晴空は抵抗しようと唸る。しかし今は登校時間朝8時前の人があまり通らない道端。大声でも出さない限り人は来ない。

 と言っても、晴空はただ食べたくないと抵抗しているだけ。助けてもらえるとも助けて欲しいとも思っていなかった。


(どうせ大声を出しても誰も応えてくれない…助けを求めても誰も助けに来てくれない…)


 晴空の性格上そう考えてしまうのだ。期待や希望なんて抱くわけが無い。何せこれが晴空の普通なのだ。そう、『普通』であれば助けは来ない。


「…なにしてるの?」


 突如冷たい声がその場を凍らせた。晴空、そしていじめていた3人も思わず声のする方へ顔を向ける。

 眼鏡を掛け、ブロンズかかった髪をヘアクリップで後ろをまとめている、同い年くらいの少女がそこに立っていた。


「は?お前誰だよ邪魔すんな」


 明生が顰め面で少女の方へ歩き目の前で止まった。

 少女は彼らと同じ高校の制服を着ているから同じ高校のはずなのだが、普段人と話さない晴空はともかく、人脈の広い明生でさえ知らない人のようだ。

 1学年はまだ入学していない。なら3学年のあまり関わりの無かった先輩だろうか?


「あなた達みたいなゴミに名乗る名前は無い」


 再び冷たい声が走った。無表情のまま顔色1つ変えず明生を見つめる。その威圧感に思わず明生は1歩下がった。そしてそのまま振り返って晴空のほうへ歩き出すと、


「ちっ…白けちまったな…腹いせに一発…!」


 晴空の腹に向けて拳を構える。他2人に腕を掴まれて避けようにも身動きがとれない。

 しかし、暴力はとっくに慣れている。今までに何度腹を殴られた事か。抵抗は一切せず衝撃に備える。


 ドサッ!


 しかしすぐ聞こえてきたのは腹パンの音ではなく、少女がカバンを投げ捨て、明生を拘束する音だった。しかもどこからともなく取り出したカッターナイフが首に当てられていた。

 その一連の流れはまるで手馴れていて、一瞬の出来事だった。

 明生の仲間も呆気に取られ、ただ見ていることしか出来ないようだ。


「ホントにゴミとしてここに捨てられたくなかったら、さっさと消えて」


「そ、そんなこと出来やしないくせに」


 ギュウ…


 少女が明生を締めている腕の力を強める。ガタイのいい明生を抑えているのだ。相当の力があるのだろう。


「イテテテテ!ギブ!ギブだよ!わかったよ!やめりゃいいんだろ!」


 その言葉を聞いて許したのか、少女は痛みで藻掻いている明生を放す。

 明生は少女から離れ、自分の荷物を取ると、晴空に一切顔を向けず足早にその場を去った。仲間たちも晴空を放し、明生に続く。

 少女は明生達がいなくなったことを確認すると、カッターナイフの刃をしまい、晴空に顔を向ける。その顔は相変わらず無表情だ。


「あなたも気を付けて。あんなゴミに関わってもいい事なんてない」


 少女は踵を返し投げ捨てられたカバンを拾うと、そのまま路地裏を出ていってしまった。

 さっきまで騒がしかった路地裏が突如として静かになる。しかし逆に晴空の心に騒がしい感情が現れていた。


(これは疲労感?喪失感?いや違う。なんでだろう…胸の鼓動が高まってる…わからない)


 晴空は今まで何度もいじめから助けてもらった経験があるが、助けてもらった後にこんな感情を抱いたのは初めてだった。

 変わった助けられ方をしたことは確かなのだが、理由はそれだけでは無いと晴空の直感がそう言っている。そもそも晴空の心が動いたことすら珍しい。最後はいつだっただろうか。

 徐ろに時計を見ると、ホームルームの時間が迫っている。こんな場所でボケっとしている場合ではない。



 晴空の通う高校の教室に小走りで到着した。ホームルームの時間ギリギリになってしまったが、何とか間に合うことには成功した。

 しかし席に着いても未だに胸の鼓動は治まっていない。理由は走ってきたわけでも、焦っていたからでもない。

 というよりなぜ焦っているのか。小走りすれば着く時間だったというのに。普段の晴空ならそのくらいで焦るような性格では無い。そう、これは焦っているのでは無い。その理由に気付くのにそう時間はかからなかった。


(僕は…あの子のことが気になっている…?)


 助けてもらった時のあの少女の姿が脳内から離れない。(また会えるかな?)(いつ会えるかな?)という考えが浮かんでは、恥ずかしくなって考えを消し、また浮かんでを繰り返している。

 晴空は基本的には他人に無関心だ。何をされようが、晴空の気を引くことは出来なかった。しかし、今回は明らかにあの少女のことを考えている。

 しかし気になっているとはいえ、話しかける勇気なんて無いし、そもそもどのクラスにいるのかさえわからない。というより晴空が1度でも勇気を出したことなどあっただろうか。

 一向にモヤモヤした気持ちが拭えないが、先生が教室に入ってくる。ホームルームが始まるのだ。


「えー、2-Bの担任はわたくし、平野が担当する。みんなよろしく」


 平野ひらの和見かずみ先生。1学年の時も晴空の担任をしてくれていたのだが、生徒からの評判は可もなく不可もなく。普通の先生といった印象である。ましてや晴空の知ったことではないのだが。


「とまあ俺は自己紹介したが、まだクラス全員のことは知れていないし、みんなもお互いの事を知りたいだろうがその前に。転入生を紹介する。入っていいぞ」


 先生の合図とともに教室の扉が開かれた。

 教室が騒めく中、その転入生は教室へ入り黒板の前へと進む。

 ブロンズかかった髪で、ヘアクリップで後ろをまとめていて、眼鏡をかけた美少女…


木村きむら朝緋あさひです。嫌いなものは人間です。よろしくお願いします」


 時が止まったかのように教室が静まり返る。青柳先生も思わず少女の方へ振り返り、少女の名前を書くチョークの手を止めた。

 あまりにも自然に言い放った訳の分からない自己紹介。だが彼女の顔は朝見た時と同じ、やはり無表情のままだ。

 凍りついた教室。しかしその真ん中に暖かな視線がひとつ。


(さっきの子がここの転入生…こんな、事って…)


 晴空にとってはまるで、どんよりとした空の隙間から旭光きょっこうが差し込んだかのようだった。彼女の今朝の動き、今の言動、全てが輝いて見える。

 晴空は今までネットなどで似たような人達はたくさん見てきたが、どれも気を張っているようにしか見えず共感を得られなかった。

 しかし今は、なんの曇りもなく毒を放つ朝緋の姿から目が離せないのだった。彼女こそが晴空の初めての光であり、唯一の光となった。

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