第26話
リビングのソファに座る二人の少女に会話はなく、ただ時が過ぎるのを静かに待っているかのようだ。昼間だと言うのに窓には厚いカーテンが閉められ、部屋の中は薄暗い。照明も何も点けられず、カーテンから僅かに零れる日差しだけが、ただゆらゆらと揺れていた。
結羽はこの光景に見覚えがあった。フランスに着いて最初の夜。僅か一日の中に色々なことがあって、周囲に翻弄される自分をまるで尻目に懸けるかのように、ひたすらくるくると回り続けるシーリングファンを眺めていた。――あの時と、同じだ。
何故こうなったのか、何故こうなってしまうのか。自問自答したところで、答えが見つかるはずもない。これが運命だというのなら、なんて残酷なことだろう。結羽がそんな風に悲観に暮れていると、ソフィアがおもむろに口を開いた。
「すみませんでした……私のせいで、結羽さんを危険な目に遭わせてしまって……」
「そんなことない! ソフィアちゃんは何も悪くないよ!」
申し訳なさそうに俯き唇を噛むソフィアの手を、結羽は両手で包みこむように、やさしく握る。そして、彼女の水晶のように澄んだ青い瞳を見つめながら、おもむろに告げた。
「確かにわたしは、突然で、わけわからなくて、怖いって思ったし……もう嫌だとも思ったけど……でもやっぱりそれって、自分だけじゃないんだよ。ソフィアちゃんの方が、わたしなんかより、ずっと嫌だって思ってるはずだもん」
本当は自分が一番辛いはずなのに、この可憐な英国人少女はまったく関係のないわたしを、わたしなんかを気遣ってくれている。だからこそ、その気持ちに報いたい。彼女に何かしてあげたい。心からそう願い、結羽はそれを言葉に表した。
「何の取り柄もないわたしだけど、それでも何か力になれたらって思う。わたしなんかがこんなこと言っても迷惑かもしれないけど、それでもわたしは、ソフィアちゃんの力になってあげたい! だって、それは〝お互い様〟だから!」
結羽の真っ直ぐな想いに、ソフィアは思わず目を潤ませる。
「どうして……どうして結羽さんは、そんなに優しくなれるんですか?」
「それを言うなら、ソフィアちゃんの方だよ!」
結羽は握る手に熱がこもるのを感じながら、にこりと微笑んだ。
と、その時、部屋の照明が唐突に点灯した。
同時に、チョコレートの甘い香りがふんわりと漂ってくる。
二人がハッとして振り返ると、そこには調理服を着た獅宇真の姿があった。
「あ、悪い。驚かせちまったか?」
先ほどからアンリと獅宇真が作業をしていたのは知っていたが、どうやらそれが完成したらしい。獅宇真は皿に盛り付けられたそれをトレイでテーブルまで運び、それぞれの席へと置いた。見るとそれは、円筒形をした可愛らしいチョコレートケーキだった。
「獅宇真、これどうしたの?」
「どうしたって、アンリが作ったんだよ。お前らがあんまり沈んでるもんだから、元気づかせようと思ったってさ」
さっきまで自分も不安で沈みそうだったなんてことは棚に上げながら、獅宇真はにやりと笑う。そのうしろから、当のアンリが食器などを携えて姿を現した。
「ま、そゆことだね。不安がっていても仕方ないし、ここらで一息入れて休憩でもしよう」
彼はくすりと微笑み、テーブルに人数分の食器を並べ始めた。同じくして獅宇真も仕上げの盛り付けや準備を始める。
「あ、わたしも手伝います!」
それを見て結羽が声をかけるが、すぐに獅宇真に制された。
「いいっていいって。
「フン。見習いがもうプロ気取りか? 少年!」
獅宇真の言葉に対し、結羽はジルベールの口調を真似るように皮肉気に返した。
「う、うるせぇ」
「あはは。でも、ありがとね」
そう言って結羽は、嬉しそうに笑って見せた。
獅宇真は照れくさそうに目を逸らし、食器を並べながらみんなに問い掛ける。
「ったく……ああっと、飲み物はどうする? ソフィアは、やっぱり紅茶だよな? アンリと結羽はカフェ・オ・レでいいか?」
「んー、そうだねぇ。お茶には心を落ち着かせる効果もあるし、今日は英国式でいこうか」
「あ、それ賛成!」
「おっけ。じゃあ、ティーポット用意してくるよ」
するとまるで示し合わせたかのように、三人はソフィアへと向けて優しく微笑みかける。
それは、みんなが自分を気遣ってのことだというのはソフィア自身、よく分かっていた。
厄介者であるはずの自分に、こんなにも優しさをくれる。たとえこれが幻でもいい。偽りだって構わない。それでもこんなにも、胸の奥から嬉しさが込み上げてくる。
ソフィアはそれほど心を動かされていた。もしこれが一瞬だとしても、今この時に、皆の優しさに、心からの感謝を捧げよう。
――ソフィアの頬に、一筋の光が流れた。
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