第三章

第25話

 美しい。『死』というものは、なんとこんなにも美しいのだろう。

 『死』はこんなにも神秘に包まれている。『死』はこんなにも謎に満ち満ちている。


 魂とはどこに行くのだろう。生命の源とはどこにあるのだろう。

 嗚呼、なんと素晴らしいことか。『死』は私たちにこんなにも好奇心を与えてくれる。


 そしてこの私に、至高の悦楽を与えてくれる。

 今こうして目の前で怯えた表情かおを見せる哀れな少女も、きっとすぐに素晴らしい『死』を受け入れてくれるだろう。その時、恐怖は悦びへとその姿を変える。


 何故なら彼女は『世界』とひとつになるのだから。この研究の成果が得られれば、そう――誰しもが憧れる〝世界の真理〟が見える。そして『死』とは、我が崇高な理想を体現するための糧となるのだ。


 私は今や『死』をも操る存在となった。

 嗚呼、そうだとも。私にはその力がある。


 ――ジョルジュ・アルヴァレスとは、そういう男だった。


「さあ。私と共に出かけよう。真理を求む、壮大なる旅路へと!」


 アルヴァレスが告げると、少女の眼前を、永久に広がる漆黒の闇が包んだ。

 悪夢の中で凌辱の限りを尽くし、生命力を吸い尽す。


 好奇心と快楽を貪る。そして殺害に至る――

 今宵もまた、惨劇の果てに新たな犠牲者が加えられた。だが、彼の凶行はこれで終わりではない。狂気に駆られた悪魔の医師は、次なる獲物を定めていた。


 先日のパーティーで見た、あの〝美しいお嬢さんマドモワゼル〟……彼女もきっと、それは素晴しい『死』を見せてくれるに違いない。それに、ジェームズ氏から何かを受け取ったのは間違いなく彼女だ。


 何故なら、この手紙がその正確な情報を、自分だけに伝えてくれているのだから。

 アルヴァレスはさも嬉しそうに、口元を歪めて妖しく微笑んだ。


……君は実に優秀な子だ」


   ◇◆◇◆◇◆◇


 あれからドミニクの提案により、しばらくの間アンリの店で待機することになっていたのだが、獅宇真は苛立ちを隠せずにいた。


 現在、アンリの店の周囲は警官が警備してくれているし、ジルベールによれば何者かが魔術を用いて侵入しても、霊質の変化で察知できる〝仕掛け〟を施してあるらしい。不特定多数の人間が出入するホテルよりは、こうして特定の場所だけの方が確かに警備もし易いだろう。


 しかし、「安全が確保できるまでは、なるべく外出は避けるように」とのことだったが、その〝安全〟とやらがいつ確保できるのか、明確な答えはまったくなかった。明日かも知れないし、一週間後かも知れない。このまま長引けば、年をまたいでしまうかも分らないのだ。


 そもそも、あのマフィアのような連中が、本気で武力行使してきたとしたらどうなる? 相手が魔術師であろうとなかろうと、こんな警備じゃ元も子もないじゃないか。そんな、どうしようもない不安は次から次へと湧き出して、獅宇真の苛立ちをさらに煽った。


 そうした少年の心情をよそに、アンリはと言えば、先ほどから厨房に籠って何やらせわしなく動いている。獅宇真が出入口から覗くと、彼は調理服を着て前掛けを結び、オーブンを温めたり食材や調理具の準備などをしていた。明らかに作業を始めるつもりだ。


「こんなときに、呑気に菓子作ってる場合かよ!」


 獅宇真は腕組みをし、マイペースに仕事に取り掛かろうとする青年を睨んだ。


「こんなときにだからこそだよ。事件は警察に任せておけばいいのさ。それが彼らの仕事なんだし。僕らには、僕らにしかできない事があるでしょ? キミも手伝ってくれるよね?」


 いちいち尤もだと思う。確かに、ここで不安を募らせていても、何かが解決できるわけじゃない。何かを解決しようと動こうにも、今の自分に一体何ができるだろう。


 ――現に、自分はあのとき何もできなかった。できることはあったのに。


 決してこの悔しさが消えるわけではない。自責の念が消えるわけでも。けれど、少しでも気を紛らわすことができるなら、それもいいのかもしれないと、獅宇真は嘆息した。


「……わかったよ。俺はどうすればいい?」


「ありがとう。それじゃあ、下準備を頼むよ」


「何を作る気だ?」


 獅宇真の問いに、アンリはしばし考え込んだ。ここまで調理具や材料などを用意しておきながら、その実なにも考えていなかったのだろう。もしかしたら、さっきの尤もらしい言葉も単なる思い付きなのかもしれない。


 いつもながら、この男の適当さ加減には恐れ入ると、獅宇真は呆れたように苦笑した。すると、アンリは何か閃いたようにひとつ手を叩き、


「――そうだ。フォンダン・オ・ショコラなんてどうだろう?」


 くすりと楽しそうに微笑みながら、片目を閉じてみせた。

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