第45話 減刑
迷宮探索から一週間後。
病室の扉を開けて入ってきたのは、オルフェリオスとセレンだった。
「お久しぶりです、殿下」
エーデルとサーシャは、揃ってベッドから起き上がった。
「二人とも、元気そうだな」
安心したように、オルフェリオスは笑顔を見せる。
「もうとっくに全快しておりますわ。わたくし達は、一体いつまで入院していなければなりませんの?」
不服そうに漏らすエーデルに、セレンがかぶりを振る。
「そうぼやくな。宮廷魔術師第一席が殿下の婚約者の暗殺を企むなど、前代未聞の事件なのだ。貴様とサーシャ様の安全を第一に考えての措置なのだぞ」
ドラクロワに呼応する貴族が、サーシャの命を狙うとも限らない――オルフェリオスはそう考え、事が落ち着くまでは二人を入院させる事にしていた。
「だが先程、ドラクロワが全てを自供したと連絡があった。迷宮探索の時に、帰還の魔符を配っていた職員を尋問し、全て白状したのが決め手となった。……これ以上の言い逃れは無駄と判断したのだろう」
職員は、ドラクロワの命により、サーシャにだけ他の者とは異なる魔符を渡したと自白したらしい。もっとも、サーシャの殺害という目的までは知らされていなかったようだが。
「これで刑が確定すれば、彼は王宮での立場を失う。彼に追従する貴族達も、馬鹿な真似を起こしはしないだろう」
安堵に表情を緩ませるサーシャ。しかしエーデルは、逆に眉間に皺を刻んで言った。
「――量刑は、どれ程になりそうですの?」
その言葉に、オルフェリオスの顔が曇る。
「……最高でも、禁固5年といったところだろう」
二人の眼差しに不穏なものを感じ、サーシャは首を傾げる。
「それは……そんなに軽いものなのですか?」
エーデルは、深く息を吐きながら答えた。
「貴族の禁固刑は、『外出禁止』程度のものなのです。収監もされず、ただ敷地内から出てはならないというだけですわ。ルーエンハイム家は上級貴族の中でも指折りの名門――屋敷には常時500人を超える使用人が住み込みで働いているそうですわ。そんな家の当主が禁固刑を受けたところで、運動不足にすらなりませんわね」
「……刑が軽過ぎるという点には、私も同意する。だが、サーシャもエーデルも今は平民――王国の法では、貴族による平民の殺人未遂は、とても軽い量刑が設定されている。盗聴や彼の孫――アンドリアナへの催眠魔術の行使といった余罪を含めても、現行法ではそれが限界なのだ」
しかし、エーデルは腹に据えかねると言わんばかりに、
「わたくしとサーシャを殺そうとしておきながら、その程度で済まされるのには納得がいきません」
そう言って、口元を尖らせた。
「お前の気持ちは分かるが、法で定められた以上の罰を与える事はできない。間違っても、復讐など考えるなよ」
オルフェリオスが釘を差す。
「…………」
しかし、しばしの長考の後、エーデルは不敵に笑った。
「――そんな真似をするつもりはございませんわ。むしろ、逆です」
「……逆?」
不思議がる三人に、エーデルは言い放った。
「ええ。わたくしは今回の被害者として、『減刑』を歎願致します」
「ドラクロワ様。面会を希望する者が……」
監獄の中。看守はうやうやしい調子で、牢の中のドラクロワに言葉をかけた。
事件の後、ドラクロワは監獄に収監されていた。もっとも、刑が確定するまでの間である。今回の罪状を全て明らかにされたところで、禁固より重い刑にならない事は分かっていた。
「……分かった。応じると伝えろ」
看守は深々と頭を下げると、扉の向こうに消えていった。
恐らく、サーシャ・イスールへの暗殺未遂が明らかになった事で、宮廷魔術師からは確実に追放されるだろう。だが、ドラクロワにとって、そんな事はどうでも良かった。
国の為にサーシャを殺す――それは、彼の本心だった。彼は、貴族こそがこの国の根幹だと考えていたし、国を治める者に最も重要なものは血筋だと信じて疑わなかった。だからこそ、下賤な平民の少女が王族に――それも王妃になるなど、許せるはずが無かった。
ドラクロワ・ルーエンハイムはまだ、サーシャの殺害を諦めてはいなかった。
面会に来たという者も、恐らくは彼と志を共にする貴族の誰かだろう――そう思っていた彼が目にしたのは、思いも寄らぬ人物だった。
「ごきげんいかがですか? ドラクロワ様」
看守に連れられて牢の前に現れたのは、エーデルだった。
「……儂に、何の用だ」
格子の向こうの少女を睨み、ドラクロワがぼそりと呟く。
「今日は、朗報をお持ちしましたの」
「朗報?」
にこりと微笑むエーデルに、ドラクロワは眉根を寄せた。
「ええ。今回の件で、ドラクロワ様が禁固刑に処せられるとうかがいまして……これまで王国の為に尽力された宮廷魔術師の第一席であるお方に、そんな罪は重過ぎる――と、オルフェリオス殿下に直接、歎願致しました」
「……何だと?」
ドラクロワは、エーデルが何を言っているのか全く理解できなかった。
「お前……まさか儂に取り入ろうとでも思っているのか?」
そうでもなければ、殺されかけた人間が、殺そうとした相手の減刑を歎願するなど、有り得ない話だ。
しかし、エーデルは首を振った。
「いいえ、滅相もございません」
そして再び口を開いた彼女は、氷のように冷たい瞳をドラクロワに向ける。
「殿下も承諾くださいましたので、貴方が禁固刑に処せられる事は無いでしょう。……その代わり、ずっと軽い罪――貴族法第六条によって、裁かれる事になりますわ」
「な――――」
貴族法第六条。「貴族にあるまじき言動を繰り返し、且つそれを改めぬ者は、貴族の身分を剥奪し、その身を平民とする」。
ドラクロワは、頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。
鉄格子を掴み、怨嗟のこもった言葉をエーデルに投げつける。
「おのれ、おのれおのれおのれ……! 貴様はこの儂を! 宮廷魔術師第一席にしてルーエンハイムの当主を! 下等な平民に堕とすつもりか……っ!」
怒りのあまり、彼の声は震え、掠れていた。しかしエーデルは平然と、そして冷徹に口の両端を吊り上げてみせる。
「ええ。その通りでございますわ。――では、どうか穏やかな余生をお過ごしくださいませ、ドラクロワ『さん』」
「くそぉっ! くそっ! この小娘がぁっ!」
口汚い罵声を背に受けて、エーデルは牢獄を後にした。
獄中の老人は、いつまでも憎悪に満ちた叫びを上げ続けた。
外に出たエーデルは、ふと監獄を振り返り、収監されているドラクロワに思いを馳せた。
エーデルがドラクロワにわざわざ面会に行ったのは、直接会って溜飲を下げたい思いが半分、そしてもう半分は、彼に微かな期待を抱いていたからだった。
貴族第一主義に染まり切った人間が、平民として生きればあるいは、その考え方を変えるかもしれない――万が一の可能性だが、エーデルはそれに賭けてみたいとも思った。
「……ドラクロワ。願わくばもう一度、ゆっくり貴方と話をしてみたいですわ」
それきり、彼女はもう振り返らず、足早に歩き出した。
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