第44話 白き一対の「手」

 オルフェリオスとセレンがその場に辿り着いた時には、既に全てが終わっていた。


 満身創痍の少女二人と、その先に倒れている宮廷魔術師。


「サーシャ、エーデル、大丈夫か!? ――セレン、治癒の魔術を!」


 頷いたセレンは跪くと、二人に手を向け、魔術を使用する。


 エーデルとサーシャの身体が、薄い緑色の光に包まれた。


 動かなかった両手が動く事を確認して、エーデルは安堵の表情を浮かべた。毒の痛みも、少しは緩和されているような気がする。


「自分の術では傷を完全に癒す事はできません。すぐに病院に向かいましょう」


「そうだな。……何があったのか聞きたいところだが、まずは二人の治療が先だ」


 向こうで倒れているのは、確かに宮廷魔術師第一席――そう思うオルフェリオスだったが、今、それを二人に訊ねている暇はない。


 サーシャはオルフェリオスに、そしてエーデルはセレンに肩を借りて、立ち上がる。


「サーシャ、まだ痛みますか?」


 エーデルの声に、疲労困憊といった様子で、しかしサーシャは笑顔を見せた。


「セレン様の魔術のおかげで、楽になりました。それよりちょっと、疲れが……」


 立ち上がりはしたものの、身体に力が入らないようだった。


 あれだけの魔術を行使したのだから、当然か――エーデルは一人ごちる。


 目には見えなくとも、『手』は身体の一部である。度を越して酷使すれば、それだけ疲労も負傷もするのは実際の身体と変わらない。


「さあ、急ごう」


 オルフェリオスに促され、エーデルもサーシャもよろめきつつ歩き始める。


 ふと、エーデルは背後を振り向いた。


 視線の先には、地面に倒れ伏したままのドラクロワ。


 だが――エーデルは、その姿に違和感を覚えた。


 ドラクロワは倒れたまま、ぴくりとも動かない。なのに何故、その指先が、こちらを向いているのか――


「サーシャっ!」


 弾かれたように走ると、エーデルはサーシャを突き飛ばした。


 瞬間、一筋の閃光が走る。


「――――あ」


 ドラクロワの指先から放たれた光弾が、エーデルの胸を貫いた。


 どさり、と地面に崩れ落ちるエーデル。


「え――エーデルっ!?」


 悲痛な叫びを上げるサーシャ。


「おのれ……やはり最後まで、お前が邪魔を……っ」


 苦渋に満ちた表情で呻くドラクロワは、そこで意識を失った。


「エーデル……エーデル……! セレン様っ……エーデルに、魔術を……!」


 大粒の涙をこぼしながら、サーシャは地面に座り込むと、その膝にエーデルの頭を乗せた。


 胸に空いた穴からは、とめどなく鮮血が溢れてくる。


 セレンは必死に魔術をかけ続ける。しかし、エーデルの傷が塞がる様子は無かった。


「セレン……! 魔術は、治癒は効かないのか!?」


 焦るオルフェリオスに、セレンはほぞを噛む思いで答える。


「やっています! しかし、治癒の魔術は生きている肉体の回復力を強化して傷を癒す魔術……失われゆく命を繋ぎ止めるものでは……っ!」


「そん、な……」


「エーデル、お願い! 目を覚ましてください! エーデルっ!」


 サーシャの声に、エーデルの目がうっすらと開いた。


「……サー、シャ……」


「エーデル! 良かった、気が付いたんですね! すぐにセレン様が傷を治してくれますから! 必ず助かりますから!」


 ぼろぼろと涙を流し、サーシャはエーデルに呼び掛けた。しかしオルフェリオスもセレンも、ただじっと歯を食いしばっている。


 エーデルの肌は、もう既に生気を失っていた。


「サーシャ……お願い……あの、約束、を……」


 約束――共同墓地でエーデルが託した、あの言葉。


『わたくしが死んだら、ここに埋めて頂けるかしら』


 エーデルは、微笑んで呟いた。


「頼み、ました……わ……」


 そして、糸が切れたように、力を失ったエーデルの身体は、そのまま動かなくなった。


「嫌、です……! 嫌、嫌……」


 サーシャは、声の限りに叫びを上げた。


「嫌ぁあああああああぁあああっ!!」


 その瞬間、彼女の身体に、白い輝きが灯った。




「ぐっ……!?」


「ああっ……!」


 オルフェリオスとセレンは、突然の衝撃に弾き飛ばされた。


 何が起こった――とサーシャを見やると、巨大な一対の『手』が、まるで翼のように、サーシャの背から伸びていた。


 サーシャの背丈の、ゆうに数倍はあろうかという大きさのそれは、天を衝くかの如くその指を空に向けて伸ばしている。


「あれは、まさか……『見えざる手』か……?」


 信じられないと、オルフェリオスが呟く。


 不可視であるはずの『見えざる手』が、可視化している――それほどまでにサーシャの魔力量が桁違いなのか、あるいは別の理由か。


 オルフェリオスには判断が付かなかった――しかし、その『手』が恐ろしい程の魔力量を秘めている事だけは、容易に理解できた。


「あの姿はまるで……御使い……!」


 セレンも、呆けたように一人ごちた。


 翼のような『手』を背負い、白く輝くサーシャは、神の命を受け、地上に降り立つ神の僕――伝説に語られる神の御使いそのままの姿だった。


 そして、二人は悟る。自分達を吹き飛ばしたのは、物理的な力でも、魔術でもなく、あの『手』――翼の如き『見えざる手』が顕現する衝撃によるものだったのだと。


「――エーデル」


 サーシャは目を閉じ、静かにその名を呼ぶ。


 すると、彼女の言葉に呼応したのか、両の『手』がまるで羽ばたくように動く。


 ばさり、ばさりとその『手』が広がり、閉じる度に、サーシャの――いや、横たわったまま動かないエーデルの胸元に、光が集まっていった。


 オルフェリオスもセレンも、その光が何なのか、すぐに分かった。


 あれはきっと、エーデルの『命』――あの『手』は、エーデルの身体から漏れ出る『命』をすくい取り、集めているのだ、と。


 土気色をしていた肌は、徐々に赤みを取り戻していく。


「……これは、もはや魔術と呼べる代物ではない」


 オルフェリオスの言葉に、セレンも首肯した。


 死者の『命』を集め、蘇らせる。それはもう、神の御業――『奇跡』と呼ぶべきものだった。


「う、ん……」


 エーデルの口から、微かな呻きが漏れる。


「サーシャ……? いいえ、お迎えがいらしてくださったのかしら……?」


 薄く開いた目で、エーデルはぼんやりと声を上げる。


 サーシャはそんな彼女に首を振ると、


「エーデル……良かった……」


 そう囁いて、ふっ、と気を失った。


 顕現していた『手』はかき消え、ぐらりと倒れた上体は、エーデルの上に覆いかぶさった。


「え、ちょ……サーシャ!? くっ、苦しいのですけれど!」


 膝と上体でがっちりと固められたエーデルは、身動きが取れずにじたばたと手足をばたつかせる。


「殿下! セレン! は、早くどうにかしてくださいまし!」


 オルフェリオスもセレンも、目に涙を浮かべながら、その光景を見て笑いを上げた。


「いや、笑ってないで早くっ!」


 喚き散らすエーデルの胸元で、サーシャはすうすうと穏やかな寝息を立てていた。

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