第43話 小さな太陽
「はぁっ……はぁっ……!」
エーデルは、荒い息を吐きながら地面に手を付いた。
「エーデル!」
駆け寄ってきたサーシャに、エーデルは弱々しく笑いかける。
「どうにか、なりましたわ……痛っ……!」
毒の作用による痛みに、エーデルはうめきを上げる。不安げなサーシャを見て彼女は言った。
「心配、いりませんわ……ただ死ぬほど痛いだけ、ですから……」
「そんな……! 早く殿下達と合流して、セレン様に治癒の魔術を使ってもらいましょう!」
「治癒の魔術で治るものか、分かりませんが……そうですわね」
サーシャに手を借り、エーデルはどうにか立ち上がる。
その時、白煙の中から声が聞こえた。
「……まだだ」
ドラクロワが、再び姿を見せる。
「なっ……! まだ元気ですの!?」
不死身か、この老人は――
ぎりり、とエーデルは歯を噛み鳴らす。
「元気なものか。危うかったぞ……魔術を防御に切り替えるのが一瞬遅れていたら、やられていたかもしれん」
ドラクロワは肩で息をしながら、こちらへ歩み寄って来る。それなりに負傷していると見え、その足取りはおぼつかない。
「……しかし」
言葉を止め、彼はエーデルを指差した。
「その力、何度も使えるものではなかろう」
「……っ!」
たった一度の戦闘で、そこまで見抜かれるとは。宮廷魔術師第一席は伊達ではないと、エーデルは舌を巻いた。
「自らの魔力量を爆発的に肥大化させる――それはつまり、『見えざる手』を無理矢理巨大化させるという事だ。目には見えぬが、この『手』も我々の身体の一部……そんな無理が、何度も出来るはずが無い」
エーデルは、サーシャから手を放し、再びその前に立った。
「だから、言いましたでしょう……命を賭けると」
身体のどこもかしこも、激しい痛みに悲鳴を上げている。毒によって無理を強いた『手』も、目には見えないがひどく損傷している感覚があった。
しかし、それが何だというのか。何もしなければ二人とも殺される。それに今のドラクロワは、万全の状態では無い。自分が命を捨てれば、あるいはサーシャだけは助かるかもしれない。
ならば、迷う事など無い。
エーデルは、再び右手をドラクロワに向ける。
だが――
「……エーデル」
その腕を、サーシャが掴んだ。
「……離してくださいませ。わたくしは、命に代えても貴女を――」
「その『毒』……私に飲ませてください」
思いも寄らぬ発言に、エーデルはその目を見開いた。
「……いけません。これはわたくし自身にしか試した事がありませんの。貴女が服用して、同様の効果が出る保証は無いのです」
「……飲ませてください」
頑として譲らないサーシャに、エーデルは首を振った。
「飲んだ途端、気が遠くなる程の激痛が身体中を走りますわ。今もわたくし、気を抜くと倒れそうですのよ」
「……それでも、飲ませてください」
ぐっ、と、エーデルは言葉を詰まらせた。
確かにこの毒は、貧弱なエーデルの魔力量をドラクロワと拮抗するまでに跳ね上げる。サーシャにも同じ効果を発揮すれば、彼を遥かに凌ぐ魔術を行使できるだろう。しかしそれは、『発揮すれば』の話だ。
エーデルが躊躇している間にも、ドラクロワの魔力が高まっていく。こちらより先に、何か仕掛けてくるつもりだろうか。
「エーデル……私は貴女の大切な友達です。だから、貴女だけ死なせるつもりはありません。お願いです、私に、」
サーシャの声色に、焦りが滲んでくる。エーデルは覚悟を決めた。
「……めっっちゃくちゃ痛いですわよ!」
流れる血を握り締め、魔力を集中させる。
その時。
エーデルの両手を、激痛が襲った。
「ぐっ……!」
毒の痛みではない。ドラクロワの魔術によるものだった。
「……やらせんよ。それだけはな」
眉を吊り上げ、ドラクロワが呟く。
「手が使えなければ、魔術は使用できまい」
魔術師は皆、『見えざる手』を自らの手と同一に扱えるよう、訓練を重ねる。だから誰しも、魔術をその手から発動させるのだ。
翻せばそれは、手が使えなくなれば、『見えざる手』も使えなくなるという事である。
痛みと衝撃によろめきながらも、エーデルは歯を食いしばって踏みとどまった。
そして、サーシャに呼びかける。
「サーシャ! こっちを向いて!」
言われるまま、サーシャは声の方を向いた。
眼前に、エーデルの顔があった。そして彼女の口元には、確かな魔術の輝きがあった。
「――――っ!」
その勢いのまま、エーデルはサーシャと唇を重ねる。
サーシャの口内に、冷たい液体が流れ込んできた。
「まさか……手ではなく自らの口で、魔術を使用したのか……!?」
ドラクロワは、エーデルの技術に驚嘆を隠せなかった。誰もが肉体の手と『見えざる手』を同期させるべく修練を積むというのに、まさか『見えざる手』を単独で動かすなどという事を考える者がいようとは――
「……っはぁ」
サーシャから唇を離したエーデルは、その足元にどさりと倒れ込んだ。
「後は……貴女次第、ですわ……」
サーシャの身体が、びくんと跳ねる。
「あ、あ、あ……」
虚ろに開いた口から、震える声が、
「あああああああああああっ!」
耳をつんざくような悲鳴が上がった。毒の痛みに、サーシャは身をよじらせる。
毒は効いた。問題は、『副作用』が出るかどうか――
「…………そうはさせん! 二人まとめて、骨まで焼き尽くしてくれるわっ!」
ドラクロワが、またもその手に炎を呼ぶ。己が全魔力を以て、二人の少女を確実に殺す為に。
「今度こそ、死ねいっ!」
しかし、その炎がこちらに届く事は無かった。
それどころか、まるで初めから存在しなかったかの如く、彼の手に燃え盛っていたはずの炎は、かき消えてしまった。
「な、に……?」
何が起こったのか見当もつかず、ドラクロワは己の手に視線を落とした。だが、どれだけ魔力を込めても、その手には僅かな火さえ灯りはしなかった。
そこで、はたと気付く。
「……寒い、だと?」
倒れ込んでいたエーデルも、地面が異様に冷たくなっている事に気付いた。
まるで真冬の――いや、それどころではない寒さだった。
訳も分からず、エーデルは空を見上げる。
サーシャの真上、空高く――『それ』は存在していた。
火球と呼ぶのも憚られる。業火と言ってもまだ足りない。『それ』はもはや――小さな太陽だった。
「降参……してください」
全身を走る激痛のせいだろう、サーシャはきつく目を吊り上げ、ドラクロワに降伏を迫った。
「は……ははは……」
ドラクロワは、笑っていた。しかしどうして笑いが起こるのか、自分でも分からなかった。
突然、びきびきと何かがひび割れる音が辺りに響いた。
「この音は……!」
空を見上げたままのエーデルは、あっと息を呑んだ。
「空が、割れて――いいえ、違う。あれは……」
割れているのは、ドラクロワの結界だった。
「ま、まさか……」
今まさに破られようとしている己が結界を見つめたまま、ドラクロワは叫んだ。
「あれだけの炎を生み出しながら、まだ足りんと……まだ熱が足りんと言うのか……お前の『手』は!」
そう、ドラクロワの結界を破っているのは、サーシャの『見えざる手』だった。魔力を通さぬ結界によって遮られていた『手』は、より多くの熱量を求め、結界の外へ向かおうとした。それを邪魔する『障害』を破壊して、より遠くから熱を集めようとした。
ばきん、ばきんという鳴動と共に、結界は砕け、やがて霧散した。
遮るもののなくなった『手』は、更なる熱を集め、頭上の太陽は肥大化していく。
「まったく、今日は何という日だ……魔術に人生を捧げたこの儂が、いまだ至らぬ境地に……お前達が、お前達のような小娘が……!」
「降参、してください……っ!」
苦悶の表情を浮かべ、サーシャは再度、ドラクロワに告げた。
「これ以上の、制御は……不可能です……! だから……早く降参してくださいっ!」
「――降参だと? この儂に、宮廷魔術師第一席に! ドラクロワ・ルーエンハイムに! 降参しろと! 思い上がるなっ!」
両手を突き出し、魔術を発動させる。
氷の魔術。サーシャが周辺一帯の熱を根こそぎ奪ったのなら、逆に冷気は十分に存在している。
瞬く間に、ドラクロワの前に分厚い氷の壁が築かれた。
「……勝負だ、小娘」
「……っ!」
もはや、言葉で止める事はできない。
サーシャは、その右手を掲げ、一息に振り下ろした。
極小の太陽は、ドラクロワへと一直線に下降する。
「ぐっ、ぐううう……!」
あっと言う間に溶けていく氷を、ドラクロワは絶えず魔力によって補強し、サーシャの炎を防ごうとする。
だが、炎は止まらなかった。
「ならば……っ!」
魔術を氷から土に切り替え、地面を掘り起こして土の壁とする。
が、その土も一瞬で食い破り、炎は尚も勢いを止めずに突き進む。
「――――っ!」
そして、ドラクロワを呑み込み、轟音と共に爆ぜた。
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