第42話 副作用
木々の間をすり抜けながら、エーデルとサーシャは走り続ける。
「エーデル、何処へ向かっているのですか……!」
息を切らせながら、サーシャが問う。
「……とにかく、森を抜ければ助かる道はありますわ。殿下もセレンも、恐らくそう遠くない所にいるはずです」
断言するエーデルに、サーシャは目を丸くした。
「ここが何処なのか、分かっているんですか?」
しかし、エーデルは首を振った。
「全然。……ただ、迷宮の近くである事だけは確かですわ」
枝を避け、エーデルは話を続ける。
「貴女の魔符は、よく見なければ気付かない程、わたくしのものと似ていました。帰還の魔術が刻まれた魔符には、帰還先の座標も当然、刻まれている。つまり――」
サーシャは、「あっ」と声を上げる。
「……魔符の紋様が似通っているなら、互いの座標も近いはず――そういう事ですか」
エーデルは、満足そうに頷く。
「恐らく、発動前に偽物だと知られるのを恐れたのでしょう。さあ、何としてもこの森から出て、殿下達と合流しましょう。ドラクロワも、さすがに殿下の前でわたくし達に手出しはしないはずですわ」
二人は手を取り合い、全力で走る。
「つっ……!」
その時、サーシャが足を止めた。
「サーシャ!」
「ご、ごめんなさい……傷が痛んで……」
苦しそうに、脚を抑えてうずくまる。
あれだけの炎の魔術を受けて、無傷で済むはずが無かった。
「わたくしに、治癒の魔術が使えれば……」
治癒の魔術は、『適性』を持つ者でなければほぼ使用出来ない高難度の術である上、『適性』のある人間も極めて少なかった。エーデルの知っている中でも、治癒の魔術に心得があるのはセレンぐらいだった。
「セレンなら、きっと傷を治してくれますわ。少しだけ、我慢して」
サーシャに肩を貸し、エーデルは森の先を目指す。
その時、前方から声が聞こえた。
「――治癒の魔術をご所望かね」
ドラクロワが、彼女達の前に立っていた。
「しかし、今から死ぬお前達には不要だろう」
「どうして……!?」
追いつかれたのならまだ分かる。しかし何故、先回りされているのか――
「ここは儂にとって庭のような場所でな。木々の並びも、全て頭に入っておる。お前達の逃げる方向から、おおよその道筋は予想可能という訳だ」
「しかし、いくらこちらが手負いとはいえ、老人に回り込まれる速度で走っていた訳では……!」
うろたえるエーデル。ドラクロワは「ふむ」と軽く肩を回す。
一瞬後、彼はエーデルの眼前まで迫っていた。
その勢いのまま放たれた拳が、エーデルの胴に突き刺さる。
「ぐっ……!」
弾かれたエーデルは、背にあった大木に、身体をしたたかに打ち付けた。
「あっ……がっ……!」
「儂は万の魔術に通じると言っただろう。肉体強化の魔術も、一通り修めておる。……まあ、後で腰にくるのでな。あまり使いたくないのだが」
そして、固まっているサーシャに向け、脚を振るう。強化された肉体による一撃は、いとも簡単にサーシャの身体を吹き飛ばした。
「ああっ!」
うずくまる二人に向けて、ドラクロワが口を開く。
「お前達の推理は正しい。確かにここは、あの遺跡からほど近い場所にある。だがな、助けが来るとは思わない事だ」
そして、空を指差した。
「あれは……」
空が、薄い紫色に染まっていた。
「結界だ。この森一帯に、既に張っておいた。この結界は人も、音も、魔力も通さぬ。つまり今は何者も、この森には入れんし、出られんよ」
サーシャの瞳が、絶望に染まる。
戦っても勝機は無い、逃げる事も出来ない。それではもう――
「理解したようだな。万に一つも、お前達が生き残る可能性は無いと」
「それでも……ここで殺される訳にはまいりませんわ」
よろめきながら、エーデルが立ち上がる。
そして、ドラクロワを睨み据えた。
「……何か、策があるとでも言うのか?」
首を傾げるドラクロワに、エーデルは言った。
「……わたくしは、革命を諦めますわ」
「……エーデル?」
まさかの発言に、サーシャは驚きを隠せなかった。
「――だから、命だけは助けろと?」
しかし、ドラクロワは首を振った。
「それは無理な相談だ。儂はお前達を殺すと決めた。何を条件に持ち出そうとも、それを覆すつもりは無い」
だが、エーデルは笑って、ドラクロワの前に立ちはだかる。
「勘違いしないでくださいます? わたくしが革命を諦めると申し上げたのは、ここで貴方と刺し違えてでもサーシャを守る――そういう意味ですわ」
「そんな……エーデルっ!」
エーデルに駆け寄ろうとしたサーシャを、彼女はその手を上げて止める。
「……サーシャ。貴方は希望ですわ。わたくしがどうなろうと、貴方を死なせる訳にはいきません。例え、命を賭けようとも」
「……泣かせる友情だな。しかし、儂とお前の魔力量は歴然だ。命を賭けようと、この差が埋まる事は無い。刺し違えるどころか、お前は儂に傷一つ付けられんよ」
そう言いながらも、ドラクロワの頬を一筋の汗が伝う。彼がアンドリアナにエーデルを殺させようとするに至った理由は、ひとえにエーデルの頭脳を恐れたからだった。彼女の機転と洞察力、そして執着心は、宮廷魔術師第一席をして、恐怖させる程のものだった。
やると決めたなら、この小娘は必ずやり遂げようとする。どんな手段を用いても、どんな犠牲を払っても――
「そのお言葉、後悔しないよう……!」
エーデルはそう言うと、自らの親指を口に挟み、がり、と噛み付いた。
「……何の真似だ?」
ドラクロワの問いに答えず、エーデルは鮮血の流れる手を差し出し、魔力を集中させる。光を放ちながら、流れる血は琥珀色の液体へと変化していく。
毒の魔術である事は確かだった。しかし、自らの血を素材として生成する毒など、ドラクロワは聞いた事が無かった。
「どんな効果があるかは知らんが、毒である以上、体内に入らねば効果は無い――防ぐ為の手段など、いくらでもあるわ」
「いいえ、防げませんわよ。何故なら――」
エーデルはにやりと笑い、
「――こうしますので」
手中の毒を、自らの口に流し込んだ。
「なっ……!?」
「え……!?」
ドラクロワもサーシャも、共に驚愕の表情を浮かべた。
生成した毒を自ら口に含む――二人とも、彼女の意図が全く理解できなかった。
「かっ……はぁっ……!」
毒が身体に回り始めたのだろう、エーデルは苦悶に顔を歪める。
「……何のつもりか分からんが、どのみち殺すまでよ……!」
魔力によって集められた熱が、手の上で炎と化す。
「死ねいっ!」
ドラクロワの言葉と共に、渦を巻く炎がエーデル目掛けて疾走する。
燃え滾る火炎は、たちまちエーデルを焼き尽くし――は、しなかった。
「な……何だと……っ!」
エーデルのかざした右手、その手から放たれた炎が、ドラクロワの炎を押し戻していた。
「エーデル、その魔力は一体……!?」
信じられないと、サーシャが叫ぶ。
ドラクロワも、同じ思いだった。
極めて少ない魔力量しか持たないこの娘が、こちらの炎に拮抗するだけの力など、出しようがないはず。
「魔力量を隠して――いや、そんな事をする意味は無い! 何なのだ、何なのだこれは!?」
狼狽するドラクロワに向け、エーデルは口を開く。
「――ドラクロワ様。副作用、という言葉をご存知かしら?」
副作用――医薬品を服用した際に起こる、副次的な作用。
「薬と毒は表裏一体。副作用を起こす薬があるように、本来の目的とは異なる作用を引き起こす毒もあるのですわ」
「まさか、まさか……!」
「この毒はわたくしの血を素材とした、わたくしだけのオリジナル。効果は全身の神経への激痛。そして副作用は、魔力量の一時的な――しかし爆発的な上昇!」
エーデルの炎が、更に勢いを増す。
「ぐ、ぐぐぐ……有り得ん、有り得ん……!」
「現実に起こっているのですから、有り得るのですわっ!」
押し返された炎の渦は、ドラクロワにじりじりと迫り、
「がっ……!」
遂に、その身体を呑み込んだ。
「ぐああああっっっ!」
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