第41話 サーシャを狙う者
気付くと、エーデルとサーシャは見知らぬ森の中にいた。
「ここは……?」
場所は分からないが、迷宮の入口でない事は確かだった。
不安そうなサーシャに肩を寄せて立ち、エーデルは周りを見渡す。
「……分かりませんが、わたくし達はまんまと術中にはまったようですわね」
その時、
「よく言うわ。本当は、イスールだけを転移させるつもりだったものを」
木々の陰から苦々しげな声が聞こえた。
「……誰ですの!?」
声のする方にエーデルが叫ぶ。
落ち葉を踏みしめて姿を現したのは、気難しげに眉間に皺を寄せ、見事なまでに白いあご髭を蓄えた、齢70は超えていようかという小柄な老人だった。
「あの魔符は一人用だぞ? それを二人で使うなど……非常識にも程がある。おかげで少々、座標がずれたではないか」
「……貴方は」
片眼鏡越しにこちらを睨み付ける、青黒い瞳。サーシャもエーデルも、その老人に見覚えがあった。いや、アストニア王国の人間であれば、例え会った事が無くとも、その名は誰もが知っているだろう。
「宮廷魔術師第一席――ドラクロワ・ルーエンハイム……!」
千を下らない王国の魔術師達、その頂点に座する男が、そこに立っていた。
「まあ、どうせいずれは二人とも始末するつもりだったのだ。手間が省けたと、前向きに考えるとするか」
まるで茶飲み友達と話すかのような、鷹揚とした口調で呟く。しかしそこには、こちらへの明確な殺意がこもっていた。
エーデルは一歩踏み出し、サーシャの前に立った。
「……理由を、お聞かせ頂きたいですわ。何故、我々を殺す必要があるのか」
エーデルの問いに、ドラクロワは髭を揺らした。どうやら、笑っているようだった。
「それは愚問というものだな。お前の考えている通りだよ。平民から王妃が生まれるなどあってはならない――そう考えている者の一人が儂という訳だ。それに――」
ドラクロワは深く嘆息すると、エーデルを睨み据えた。
「――『革命』など目論む輩は、法に照らしても死罪が順当だろう」
「…………っ!?」
エーデルとサーシャは、驚愕に目を見開いた。
「どうして、それを……!?」
二人も、もちろんセレンもオルフェリオスも、絶対に口外などしていないはず。
「……誰から聞いたのですか」
エーデルに問われ、ドラクロワは肩をすくめた。
「誰から、か……無論、『お前達』からだよ」
「何ですって……?」
「お前達が話をしていた『密議の館』――あそこに貼られた魔符を作ったのが誰か、忘れた訳ではあるまい」
サーシャが、震えながら声を発した。
「じゃあ、あの部屋での会話は全て……」
「そう。王族の内密な話も、儂にだけは筒抜けという訳だ」
エーデルは歯噛みした。
「……アンドリアナ様に催眠の魔術をかけ、サーシャの護衛の話を伝えたのも、やはり貴方でしたか……!」
分かってしまえば単純な話だった。
アンドリアナに魔術をかけられるのは、魔術の技量に優れているだけでなく、彼女に怪しまれず近付ける人物。
アンドリアナはあの性格である。不特定多数の人間と広い付き合いを持ってはいないだろう。ならば、親類縁者のような、極めて近い立場にいる人間に容疑者は絞られる。
「アンドリアナはフェルナジールの娘にいたく執着しているようだったのでな。その想いを魔術で増幅し、お前を憎むよう操ってみたが……やはり催眠の魔術は使い勝手が悪い。儂はお前を殺すように命じたのだぞ? それを監禁などという中途半端なやり口に変えた挙句、失敗しおって」
平然と言うドラクロワに、サーシャが怒りを露にする。
「自分の孫にエーデルを……人殺しをさせようとしたんですか……!」
「王国の為だ。仕方あるまい」
「そんな……っ!」
エーデルは髪を撫でると、ドラクロワに向き直った。
「宮廷魔術師第一席にそこまで執着されるとは。魔術を学ぶ者として光栄ですわ」
しかしドラクロワは、呆れたように首を振る。
「白々しいな、サンドライトの娘よ。塵芥のようなお前の魔力に、誰が執着などするか」
そこでドラクロワは言葉を切り、深く息を吐いた。
「……最初は、あの毒で簡単に片が付く問題だと考えていた」
エーデルとサーシャの目が、鋭く尖る。やはり、サーシャに毒を盛ったのも彼だったのだ。
「しかし、今もイスールは五体満足で生きている。何故か――お前がいたからだ。殿下も、フェルナジールの娘も、出し抜こうと思えば簡単にできる。だが……お前だけは別だ。下手に動けば、逆にこちらの存在を明るみにされかねない。結局、手をこまねいたまま、こうして儂自らイスールを殺しに来る羽目になった」
やれやれと、大仰にかぶりを振ってみせるドラクロワ。恐らくこの老人にとって、サーシャやエーデルを殺すのはちょっとした面倒事くらいの感覚なのだろう。エーデルは冷や汗を拭いながら、口元を引きつらせて返した。
「……そのまま、諦めてくださればよろしかったのに」
「儂もお前に対して同じ気持ちだよ、サンドライトの娘。お前が大人しく殿下と結ばれ、王妃としてつつがなく生きるのであれば、こんな真似をする必要は無かった」
そしてドラクロワは、二人に殺意のこもった視線を向けた。
「……さて、問答はこれぐらいにしておこう。そろそろ、死んでもらう」
「そうはさせませんわ!」
エーデルが、火球をドラクロワへと投げつける。
「……何だ、これは。児戯と言うのも憚られる威力だ」
ドラクロワは右手を差し出すと、事も無げに火球を打ち払った。
「サンドライトの娘は魔力に乏しいと聞いていたが、まさかここまでとは――む?」
と、ドラクロワが突然、地面に膝をつく。
あの時と同じ――サーシャは悟った。
炎の魔術で相手の気をそらし、その隙に毒の魔術を放つ――ダゴネットに対してエーデルが用いたのと同じ戦法だった。
「即効性が最優先でしたので、身体を麻痺させる程度の効果ですが……しばらくは、思うように動けないでしょう」
「毒の魔術か。格上に相対するなら、なかなかの良策だ。だが――」
ドラクロワは震える手を自らの胸に押し付け、魔術を発動させる。一瞬後、彼は何事も無かったかのように立ち上がった。
「――儂を相手取るなら、この程度では話にならんな」
その手のひらには、球状に固められた液体が浮かんでいる。手を振ると、液体は地面に舞い散った。
「なっ……! まさか、既に効果の出ている毒を、体内から抽出したというのですか!? 何て出鱈目な……っ!」
「万の魔術に通じていなければ、宮廷魔術師の第一席は務まらん。……では、次はこちらの番だ」
その言葉と共に、ドラクロワの右手が熱を帯びる。
「エーデル! 避けてください!」
背後から掛けられた声に、エーデルは横に飛び退いた。
両手を前に出したサーシャは、炎の魔術を発動させる。
エーデルのものとは比較にならない威力の炎は、渦を巻きながらドラクロワへと殺到した。
「サーシャ・イスール――お前の『適性』は炎か。悪くない威力だ」
ドラクロワは、魔力を集中させた右手でサーシャの炎を受け止めた。
「だが、不運だな。……儂の『適性』も、炎だよ」
ドラクロワの手から放出される炎が、サーシャの炎をじりじりと押し戻していく。
「くっ……」
押し返そうと、更に魔力を集中させるサーシャ。しかし、ドラクロワが放つ炎は、次第にこちらを浸食していった。
「――同系統の魔術の撃ち合いは、砂山の砂を取り合う子供の遊びに似ている」
まるで講義でもするような口調で、ドラクロワは話し始めた。
「より『手』の大きな方が、より大量の『砂』を奪い、勝利する。炎の魔術であれば、『砂』はつまり『熱』を意味する」
「う、くっ……!」
歯を食いしばって魔術を発動させ続けるサーシャだが、彼我の威力の差は歴然だった。
「実に単純な理屈だが、現実は得てしてそんなものだ」
「あああああっ!」
遂にサーシャは、ドラクロワの炎に吹き飛ばされた。
「サーシャっ!」
地面に倒れたサーシャの元に、エーデルが駆け寄る。
「大丈夫ですの!? 動けますか?」
「え、ええ……どうにか……」
サーシャを抱え起こしたエーデルは、ぎっ、と唇を噛む。
「……なら、逃げますわよ!」
そう叫ぶなりドラクロワに背を向け、サーシャと共に木々の中へと走り出した。
残されたドラクロワは、
「……躊躇いもなく逃走、か。やはり、厄介な小娘だ」
そう呟いて、再び魔力を集中させた。
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