第46話 平民エーデル

 宮廷魔術師第一席、ドラクロワ・ルーエンハイムがオルフェリオス王子の婚約者を暗殺しようとした事、そしてその罪を問われて貴族の身分を剥奪された事は、貴族にとっても平民にとっても大きな衝撃だった。


 貴族達はその身分の剥奪を恐れ、声高に王子とサーシャ・イスールの婚約を批判する者はいなくなった。


 そして平民の中には、サーシャにこの国を変える希望を見出す者、更には、自らの手で王国を変えようとする者も、少しずつ、だが確かに数を増していった。


 それは、エーデルの思惑の内か外か。


 アストニア王国はその水面下で、徐々に変革に傾いていきつつあった。


 そして、そんな不穏な気配とまるで関係の無いここ、イスール夫妻の店では――


「――では、サーシャとエーデルの全快を祝って、乾杯!」


 サーシャとエーデルの全快祝いが開かれていた。


「今日は店を休みにしてるから、遠慮しないで騒いでおくれよ!」


 言いながら、オルガは酒器になみなみと注いだ麦酒を一息にあおった。


 テーブルの上には、バルカスとオルガが腕を振るった料理が、所狭しと並んでいる。


「あ、でもあんた達は未成年だから酒はダメだよ。ねえ、王子さん」


「ええ、当然です」


 オルフェリオスは笑って、果実水に口をつける。


 ドラクロワがサーシャを殺そうとした事は、イスール夫妻に黙っておく訳にはいかなかった。そもそも、報じられればいやでも知られてしまうのだ。


 そのせいで夫妻が娘の婚約に反対しないかと、エーデルは内心、気が気で無かったが、事実を告げられたオルガの反応は、


「大丈夫さ、王子さんも騎士さんも、それにエーデルだってついててくれるんだから!」


 そんなものだった。


 まあ、隣のバルカスは、心臓が潰れるのではないかという程に娘を心配していたのだが。


 そんな訳で今夜は、二人の快復祝いと、サーシャを守ってくれたオルフェリオスとセレンへの謝礼を兼ねての宴会と相成ったのだった。


「私は、特に何もしていないのだが……」


「そんな事はありません、殿下。サーシャ様とエーデルが消えた時、殿下が『必ず近くにいるはず』と判断なさったからこそ、こうして皆、無事でいられるのです。我々が駆けつけるのが遅れていたら、どうなっていたか……」


 殊勝な言葉を吐きながら、セレンの前には空になった皿が積まれていく。


「……相変わらず、遠慮の無い胃袋ですわね」


「折角の祝いだ、遠慮する方が失礼だろう」


「それはまあ、そうですが――って、わたくし達の分まで取らないでくださいまし!」


 奪われかけた鳩のローストとグラタンの皿を必死に引き寄せつつ、エーデルが声を荒げる。


「ほらサーシャ、早くしないと食べ尽くされてしまいますわよ!」


 焦るエーデルに、サーシャは笑いながら頷く。


「ええ。殿下も是非、召し上がってください。両親の料理は、最高ですよ」


「ああ。以前、学院で昼食を分けてもらった時も思ったが、どれも確かに絶品だ。王宮に入って、その腕を振るってもらいたいものだよ」


 頷くと、オルフェリオスは優雅な所作でクリームソースのペンネを口に運ぶ。


新たに蒸し上がったメバルの皿を手に、オルガが「あはは」と笑った。


「ごめんね、王子さん。料理を褒めてくれたのは嬉しいけどさ。あたし達はやっぱり、この街が好きだからね。ここにずっといたいのさ」


「ええ。王族になる事も拒まれたので、そこは承知しています」


 オルフェリオスは微笑んで、そう返した。


 彼等の様子を見ていて、エーデルは安堵した。どうやらこの飾らない夫婦を、オルフェリオスは好いているようだった。未来の夫と義父母の仲は、今のところ良好らしい。


「エーデル。これ、好きでしたよね?」


 サーシャが子羊のオーブン焼きを取り分け、エーデルの皿に乗せた。


「ええ、大好物ですわ。よく覚えてましたわね」


「それはもう!」


 胸を張るサーシャがおかしくて、エーデルは笑いを堪えた。


 そして、「ふう」と息を吐く。


「……ほうひは?」


「……セレン。飲み込んでから喋ってくださいと、度々申し上げているはずですが」


 半眼のエーデルを意に介さず、ごくん、と口の中の物を飲み込むと、セレンはまた言葉を繰り返した。


「……どうした?」


「ああ、いえ……ちょっと、その、わたくしの『目的』について考えておりまして」


 オルガとバルカスのいる手前、『革命』という言葉は使わずにおいた。


「正直、自分でも実現できるか不安だったのですけれど――皆さんを見ていたら、どうにかなりそうな気がしてきましたわ」


 国を、民を変え、貴族主義を終わらせるという、大仰な目的。


 その始まりは、大切な一人の女性を喪った事。


 けれど――と、エーデルは思った。


 自分が望んでいるのは、決して貴族や父への復讐ではない。己の罪滅ぼしの為でもない。望むのはただ、かつて彼女と自分が出来なかった事を、誰もが出来るようにする事。


 王族も、貴族も、平民も。皆が同じテーブルで同じ物を食べ、互いに笑い、語り合う。そんな平和で、穏やかな光景。


 それこそ、自分が本当に望むものだと、思った。


きっと彼女も、頷いてくれるだろうと、思った。


そして――エーデルの夢想は、今この場ではもう、実現していた。


「ねえねえ、エーデル。食事中に悪いんだけどさ、ちょっといいかい?」 


 声をかけられ振り向くと、オルガが何やら書類を手にやって来た。見るとバルカスまで、調理の手を止めてこちらに来ている。


「お二人とも、どうされました?」


 首を傾げるエーデルに、


「これだよ、これ!」


 オルガが持っていた書類を、エーデルに手渡す。


 それは、養子縁組の申請書だった。


「あんた、平民になってからファーストネームしか無いだろ? だったらいっそ、うちの娘になってくれないかと思ってさ」


「……まあ、お前さえ良ければだが」


 照れ臭そうに、バルカスが呟く。


 確かに、サンドライト家との縁が切れたエーデルは、名乗るべきファミリーネームを持っていなかった。


「……でも、よろしいのですか?」


 バルカスもオルガも、そしてサーシャも、揃って頷いた。


「では僭越ながら、私とセレンが見届け人となろうか」


「殿下、養子縁組に見届けなど不要なのでは……?」


「構わんだろう。こういうのは、雰囲気が重要なのだ。――さあエーデル、承諾するなら、今ここでサインするといい」


 サーシャがそそくさと店の奥からペンを取り、エーデルに手渡した。


「……本当に、人の好い方々ばかりですこと」


 書類には、既に必要な項目は書かれていた。あとはエーデルが、養子の欄に署名するだけだ。


 エーデルは微笑んで、養子名に己の名を書いた。


 その瞬間、周りから歓声が上がる。


「これで、あんたも今日から本当の家族だよ!」


 家族、という言葉に、エーデルは目を丸くする。


 イスール家の一員となったという事は、つまり。


「これで、サーシャとわたくしも、姉妹という訳ですわね」


「ふふ。何だか変な感じですけど……そうですね」


 姉妹。共に兄弟のいない二人の少女は、その響きに心のどこかで憧れていた。


「そうか、私に――」


 サーシャは、恥ずかしそうに笑った。


「そうですわね、わたくしに――」


 エーデルも、はにかんだように微笑んだ。


「「妹が」」


 そこで、ぴたりと二人の動きが止まる。


「……え、サーシャ? わたくしが姉ですわよね?」


「いえ、エーデルが妹ですよ? だって私の誕生日、翠玉月の15日ですもの。エーデルはいつです?」


「……蒼玉月の、3日ですわ……! 嘘でしょう!? わたくしが妹になるんですの!?」


「ふふ、お姉様と呼んでくれてもいいんですよ、かわいいエーデルちゃん?」


 勝ち誇ったように笑うサーシャに、エーデルはぎりぎりと歯を鳴らした。


「やめですわ! やっぱり養子になるのは取り止めます! わたくしがサーシャの妹なんて、何か嫌ですわ! それにエーデル・イスールってちょっと名前の据わりが悪くありませんこと!?」


 よく分からない事で憤慨するエーデルに、オルフェリオスが苦笑混じりに告げる。


「見届け人がいる中で書類にサインしたのだ。取り消しは不可能と思え」


「全くだ。サーシャ様の妹として、これからも姉君を盛り立てるのだな」


 セレンにまで言われて、エーデルは声の限りに叫んだ。


「後生ですから、取り消させてくださいませぇぇっ!!」


 こうして喧噪の中、王都に一人の平民――エーデル・イスールが生まれたのだった。

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