第32話 ペア

 夏季休暇が終わり、再び学院での生活が始まった。


 相変わらずの平穏な日々。もしかしたら誰も、サーシャの命を狙おうなどと考えてないのかも――そんな考えが頭をよぎってしまうぐらい、日々は平和に過ぎていった。


 そんなある日。今日は珍しくオルフェリオスとセレンも学院に来るからと、サーシャが二人とエーデルを中庭でのランチに誘った。


 そして迎えた昼食の時間。食事の手を止め、サーシャが皆に問い掛ける。


「何だか最近、そわそわしている人が多いようですが、何かあったのですか?」


 その疑問に答えたのは、オルフェリオスだった。


「恐らく、もうすぐ『迷宮探索』だからだろう」


「迷宮探索……あの、来月にある行事、ですよね?」


 迷宮探索とは、俗に『迷宮』と呼ばれる古代遺跡を探索する、言わば魔術の実戦訓練である。とは言え、別段危険がある訳では無い。上級貴族から王族まで在籍する学院で催されるのだ、当然、安全第一である。


「皆さん、その行事を楽しみにしているのですか?」


 遺跡の探索に、遠足気分を味わえるような年齢でも無いだろうと首を傾げるサーシャに、キッシュを食べ終えたエーデルが答える。


「サーシャ、貴女も説明を受けたでしょう? 皆が浮足立っているのは、この行事がわたくし達第二学年と、最高学年でそれぞれペアを組むからですわ」


「ええ、覚えていますが……でも、それで何故……?」


 サーシャは、まだぴんとこないらしい。ますます首を捻っている。


 そんな彼女に、エーデルは指先を立てて言った。


「つまり多くの貴族にとっては、王族や上級貴族との結び付きを作る好機なのです」


「! なるほど……そういう事ですか」


 ようやく得心がいったという表情で、サーシャは手を打った。平民である彼女には無い感覚だが、迷宮探索は、中級以下の貴族が上級貴族や王族と『お近付きになる』絶好のチャンスと言う訳だ。


「ねえ、お二人とも?」


 エーデルは続けて言うと、オルフェリオスとセレンに意味ありげな視線を送った。視線を受けた二人は微妙な表情を浮かべ、互いに顔を見合わせる。


「どうされました、お二人とも」


「ああ、いや……」


 言葉を濁すオルフェリオス。サーシャの問いに、二人に代わりエーデルが応じた。


「オルフェリオス殿下やセレンには、去年はさぞ大量のラブコールが届いた事でしょうね?」


「そうだ。去年は大変だった……王族として、角が立たないよう収めねばならないからな」


 当時、第二学年だった王子は、最高学年の生徒達から数え切れない程の申し出を受けていた。その一人一人に断りを入れた過去を思い返し、オルフェリオスはその顔をひきつらせた。


「ひふんはひひはむ……」


 口いっぱいにパンを頬張りながら何かを喋るセレンを、エーデルが手で制止する。


「食べながら話さないで下さいと、何度申し上げれば分かるんですの!」


 セレンは動じず、物凄い速さで咀嚼と嚥下を済ませると、再び口を開いた。


「自分は、一番最初に申し出て頂いた方とペアを組みましたので、そういった苦労はありませんでした」


 さらりと言うセレンを、オルフェリオスは半眼で睨み付ける。


「……お前、その後に100人以上の申し出を断っただろう」


「断る理由が明白でしたので、特に問題無く処理致しました。……自分と組んだ方は、周りからの恨みつらみで大変だったと、後から聞きましたが」


 きっと彼女は、その100人以上が自分自身への好意を抱いているとは露ほども思わず、フェルナジール家と繋がりを持ちたがっているからと本気で考えているのだろう。


 夏の海で恋愛話をした時からまるで変わらない鈍感さに、エーデルは呆れて言葉も無かった。


「きっと皆、誰とペアを組むか、自分の求める相手とペアを組めるかで気もそぞろなのだろうな。……だが」


 と、オルフェリオスはそこで、安堵の表情を浮かべた。


「私については、今年はそんな心配は無用だろう。サーシャ、君との婚約を発表したのだから。……どうだ、私とペアを組んでくれるか?」


「はい、もちろんです!」


 にこりと笑い合う二人を横目に、エーデルはにやにやとセレンに言った。


「いやー、平民には分からない苦労ですわ。まったく、上級貴族様は大変ですわねぇ。今年もやっぱり、早い者勝ちにするつもりですの?」


 しかし、問われたセレンは当然とでも言うような口調で返す。


「何を言っているのだ。自分のペアはお前だ」


「…………は?」


 目を点にするエーデルに、オルフェリオスがやれやれと口を挟んだ。


「迷宮探索は学院の行事だが、実施場所は校外だ。もしもサーシャの命を狙う者がいるなら、この機に仕掛けてくる可能性は十分にある」


「いっ……嫌ですわ! 先程のセレンの話をお聞きになったでしょう!? ただでさえ周りから疎まれているのに、どうしてわざわざ恨みを買うような真似をしなくてはなりませんの!」


「サーシャ様の護衛の為だ。諦めて恨まれろ」


 ぽん、とエーデルの肩に手を置いて言うセレン。


「嫌っ、ですわあああああああ!!」


 中庭に、エーデルの絶叫が響き渡った。

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