第30話 エーデルワイスとセレン 前
翌朝。早々と目が覚めてしまったサーシャは、朝の海でも眺めようと砂浜にやって来た。
すると、そこには既に先客――木剣で素振りをしているセレンがいた。
セレンはサーシャに気付くと、剣を収めて深々と頭を下げた。
「おはようございます、サーシャ様」
「おはようございます。邪魔をしてしまいましたか?」
「いえ、ちょうど切りのいいところでしたから。それより――」
そこでセレンは、決意のこもった表情でサーシャに言った。
「昨夜は申し訳ございませんでした! このセレン・フェルナジール、今後は身命を賭して恋愛する所存にございます!」
「い、いえ……そんな覚悟を持つ必要はありませんので……」
顔を引きつらせながら、サーシャは言葉を返す。
「しかし、それでは自分の気が済みません……! サーシャ様にご満足頂けるような恋愛談義をしなければ……っ!」
「ええと……」
どうにも手段と目的がこんがらがっている様子のセレン。困ったサーシャは、どうにか話題を他に反らせないかと考え――
「そ、そうですセレン様。エーデルとは、どういったご関係なのですか?」
「は?」
頭をかきむしっていたセレンは、その発言にぽかんと口を開けた。
「エーデルとの、関係ですか?」
「ええ。お二人ともよく喧嘩をしているので、失礼ながら、あまり仲が良くないと思っていたんですが……違うのですよね?」
「……ああ、昨日の一件ですか。確かに、そうですね」
話題を変える事に成功したサーシャは、安堵に胸を撫で下ろしながらセレンに訊ねた。
「実際、お二人はどういう関係なのですか?」
「……別に面白い話ではないと思いますが、お聞きになりたいですか?」
セレンの言葉に、サーシャは目を輝かせる。
「はい、是非聞かせてください!」
セレンは微笑むと、「かしこまりました」と頷いた。
「自分とエーデルが知り合ったのは、十年程前の事です――」
今から十年前。
「――セレン。失礼の無いようにな」
父に言われ、幼いセレン・フェルナジールは、こくりと首を縦に振った。
ここは、サンドライト家の庭。
こんな所を訪れている理由は、この家の一人娘との親交の為だった。
サンドライト家の令嬢がオルフェリオス王子の婚約者に選ばれている事は、セレンも聞き及んでいた。つまり、彼女は未来の王妃という事になる。
王族になる為の教育の一環として、他の上級貴族とも親交を深めていくべきと、サンドライト家の当主は考えたらしい。それで、かねてより付き合いのあるフェルナジール家の娘に白羽の矢が立ったという話だった。
正直、セレンは気が進まなかった。
武を重んじる家系に生まれたセレンは、幼い頃から剣が好きだった。
昔から毎日の鍛錬は欠かさなかったし、今では王国騎士団長を務める父の供として、騎士団の訓練にも参加する程だった。
そんな日々を送ってきたセレンは、上品で優雅な貴族の雰囲気が苦手だった。
大体、このドレスというものが嫌だ。ごわごわして動きにくいし、変に胸や腰を締め付けてくるし――
玄関まで来ると、使用人が恭しい所作で扉を開ける。
「やあ、ようこそ。無理を聞いて貰って申し訳無い、フェルナジール卿」
中にいたのは、サンドライト家の当主と――まるで絵画の中から飛び出てきたような、可憐な少女だった。
「はじめまして。エーデルワイス・サンドライトと申します」
流れるような所作でこちらに挨拶する少女に、セレンは目を奪われた。
「セレン。お前も挨拶しなさい」
父に言われ、セレンはぎくしゃくした動作で頭を下げる。
「セレン・フェルナジールです。本日は、お招きありがとうございます」
サンドライト卿は微笑むと、セレンに謝辞の言葉を述べる。
「セレン。今日はありがとう。エーデルワイスと仲良くしてやってくれ。ではエーデルワイス、セレンを部屋に案内してあげなさい」
「かしこまりました、お父様。……セレン様、こちらですわ」
エーデルワイスに促されるまま、セレンはその後をついていった。
「お茶とお菓子を用意させましたの。お口に合えばよろしいのですが」
テーブルの上には、既にカップに入って湯気を立てる紅茶と、山ほどのクッキーが乗っていた。
椅子に腰を下ろすと、
「冷めないうちに、どうぞ」
エーデルワイスはそう言って、自ら紅茶に口を付けた。
「……いただきます」
セレンも紅茶を飲み、クッキーをかじる。
「……美味しい」
さくさくとした小気味良い食感と、鼻に抜けるバターの芳醇な香りは、セレンがこれまで食べたどのクッキーよりも上だった。
「お気に召されたなら良かったですわ。うちのシェフが手作りしたんですの。身内びいきかもしれませんが、王宮御用達のお菓子よりも美味しいと思いますわ。さあ、いっぱい召し上がってください。沢山ありますから」
幼い少女は、山と積まれたクッキーの魅力に抗う事は出来なかった。
セレンは次々とクッキーを口に放り込む。エーデルワイスは微笑みながら、そんな彼女を眺めていた。
「セレン様は、剣術の才能がおありだとうかがいましたわ」
ふと、話し始めたエーデルワイスに、セレンはその手を止めた。
「いえ……自分など、まだまだです。才能があるなどど、とても言えません」
「でも、もう既に騎士団でも訓練されているのでしょう?」
「……父の供として、連れて行って頂いているだけです」
「お父様も、セレン様の腕前をお認めになられているから、騎士団での訓練をお許しになっているのでは?」
「それは……まあ、そうかもしれませんが……」
十にも満たない少女が大人に混じって騎士団で訓練をするなど、有り得ない話だった。事実、エーデルワイスの言う通り、セレンの父は娘に剣の才がある事を見抜いていた。
しかし、周りの人間はそうではなかった。
親の七光り――騎士団で剣を学ぶセレンに、そんな視線を投げかける者も少なくない。そしてセレンは、周りにそう思わせる己の未熟が、悔しくて仕方無かった。
セレンの胸中を見透かしたように、エーデルワイスは微笑んで言った。
「焦る事はありませんわ。セレン様はきっと、この国を守る立派な騎士になりますわよ」
セレンは何だか照れ臭くなり、
「エーデルワイス様は、ご趣味などあるのですか?」
思い付いた言葉を口にした。
「……ええ。馬術を少しばかり。と言っても、お見せできるような腕ではございませんが」
「それは凄い。自分も騎士になったら馬に乗らなければならいのですが、一向に上手くなりません」
「まあ。でしたらいずれ、一緒に馬を走らせましょうか」
「はい。その時に恥をかかぬよう、精進致します」
セレンとエーデルワイスは、共に笑い合った。
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