第27話 夏季休暇

 平穏に季節は過ぎ、やがて夏が訪れる。


 第一学期の最終日。オルフェリオスは、校舎の中を玄関に向けて歩いていた。


 明日から夏季休暇とあって、学院内は明るい雰囲気に包まれている。誰も彼も、休暇中に何をするかといった話で盛り上がっていた。


 休暇、か――と、彼は一人ごちる。


 王族、しかも次期国王であるオルフェリオスは、既に数々の公務を任されている立場だった。多忙な日々故、サーシャと共に過ごす時間さえあまり取る事ができない。


 その事に、不満は持っていなかった。王になれば、より多くの公務に忙殺されるのだから。多少なりとも学院に通えている今は、まだ幸せと言えた。


 しかし、そのせいでサーシャの護衛をセレンとエーデルに任せきりにしてしまっている事。そして命を狙われる身として、サーシャに様々な我慢を強いている事は、心苦しく思っていた。


 物思いにふけりながら、玄関を抜け、校庭を行き過ぎ、御者を待たせる停車場に出る。慣れた足取りで馬車へ近付いていくと、そんな三人の声が何故か、停まっている馬車の中から聞こえてきた。


 どうやら、エーデルとセレンが言い争っている様子だ。


「――だから、何度も言っているだろう! 絶対に無理だ!」


 声を荒げるセレン。しかし、エーデルも負けじと声を張り上げる。


「いいじゃありませんの少しぐらい! 気を張り詰めてばかりいたら、精神が参ってしまいますわよ!?」


 困ったように二人の様子を見守っているサーシャに、馬車の中へ顔を出したオルフェリオスは、声をかけた。


「……どうしたのだ、これは」


 王子の姿を認め、エーデルもセレンも言い争いを一旦、止めた。


 サーシャが、苦笑しながら成り行きを説明した。


「実は、この夏季休暇中、何処かへ遊びに行きたいと、エーデルが言い出しまして……」


 セレンは眉を吊り上げて言った。


「サーシャ様の置かれている立場を考えたら、とても許容できません!」


 そしてエーデルへ向き直ると、呆れ果てたとばかりに首を振る。


「まったく、ひとを馬車へ連れ込んだかと思えば、そんなくだらない話など……殿下もおいでだ、もう降りろ」


「くだらないとは失礼ですわね! たまには息抜きも必要と言っておりますでしょう! サーシャだって、時にはぱーっと遊んでみたいですわよね?」


 サーシャを仲間に引き入れようと目論むエーデルに、彼女は言葉を濁した。


「え、ええと……」


 そんなやり取りを眺めつつ、オルフェリオスは「ふむ」と顎に手を当てる。


「――では、こうしようか」


 オルフェリオスの提案に、一同は目を丸くした。




「海! ですわぁーっ!!」


 両手を高く掲げながら、水着姿のエーデルとサーシャは海に飛び込んだ。


 そんな二人を、オルフェリオスは砂浜から微笑んで眺めていた。


 その隣で、セレンが眉をひそめる。


「……よろしかったのですか?」


「皆には無理をさせているからな。エーデルの言う通り、たまの息抜きは必要だろう」


「しかし、プライベートビーチに平民を入れたなどと知られたら、何を言われるか分かりませんよ」


 そう、ここは王族専用のプライベートビーチだった。広い砂浜に、彼等の他には一人の客もいない。無論、安全のために、王子が信を置く護衛を配置してはいるが。


「お前の言う通り、さすがに混雑する浜になど連れて行く訳にはいかないからな。それに、まさかここで襲ってくる者はいないだろう。羽を伸ばすには絶好の場所だ」


「……まあ、それはそうですね」


 ばしゃばしゃと水をかけ合う二人の少女を見て、セレンは少しだけ、表情を綻ばせた。


 確かに、いつ命を狙われるとも知れない緊張感の中で日々を過ごす少女には、この程度の息抜きがあっても罰は当たらないのかもしれない。


「セレン、お前も一緒に遊んできたらどうだ?」


 オルフェリオスの申し出に、セレンは不思議そうな顔をした。


「何を訝しむ。これは、お前にとっての息抜きでもあるのだぞ」


「……いえ、自分はいついかなる時でもサーシャ様をお守りする使命を頂いておりますので」


「……それで、お前はその恰好か」


 オルフェリオスに言われて、セレンは自らの水着に目を落とした。


 エーデルやサーシャが着ている可憐な装いの水着と違い、セレンが着用しているのは、手足までを覆う、まるで潜水服のような一枚布だった。


「あ、いえ……自分はその……ああいう肌を露出する服装は、あまり得意ではなく……」


 恥ずかしさに、セレンは頬を赤らめる。


「……まあいい。では、オルフェリオス・エドワード・アストニアが命じる。お前もあの二人と遊んでこい」


 オルフェリオスの言葉に、セレンは一瞬、きょとんとした表情を見せたが、すぐに敬礼の姿勢を取った。


「はっ! ではセレン・フェルナジール、粉骨砕身の覚悟を以て、遊んで参ります!」


「……行ってこい」


 頭を抱えるオルフェリオスに背を向け、セレンは二人の元へ全力で駆け出した。




 波打ち際で水をかぶりながら、エーデルは満足げな笑みを浮かべていた。


 平民になったらやりたい事リストNo.237、『夏の海で遊ぶ』――脳内で、その項目に完了のチェックを付ける。


 本当は、大衆でごった返す海水浴場にも憧れていたのだが、まあサーシャの身に何が起こるか分からない以上、仕方ない。


 それに、エーデルにはまだ、絶対に成し遂げたい目的があった。それを達成するには、人がいない方がやりやすいかもしれない。


「二人とも。この後、一緒に付き合って頂けません? わたくし、どうしてもやりたい事があるんですの」


 エーデルは、サーシャとセレンにそう声をかけた。

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