第19話 もう一つの目的
「理由……ですか?」
言葉を濁すエーデルに、王子は続けて言う。
「お前が貴族の、私の婚約者としての身分を捨て、平民になる事を望んでいたという話は、既にサーシャより聞き及んでいる。その為に、わざと私の不興を買う振る舞いを繰り返し、平民に落とすよう仕向けたというのもな。私をいいように操るとは、まったく大した女だと思ったが――その是非について語るつもりはない」
エーデルは、震えを押し殺してオルフェリオスの言葉に耳を傾けていた。
「しかし、ならば何故、サーシャを救う必要があった? 今、お前を住まわせているのが彼女の両親だからか? ――違う。サーシャがいなくなれば、完全にお前と貴族や王族を繋ぐ糸は切れる。平民として生きる為には、むしろサーシャを見殺しにする方が好都合のはず」
オルフェリオスはもう一度、問い掛けた。
「――何故、サーシャを救った?」
「殿下、何を仰るんですか!? エーデルの善意を疑うなんて、いくら殿下でも許せません!」
サーシャが抗議の声を上げるも、オルフェリオスの表情に揺らぎはない。ただじっと、エーデルを見据えている。
「サーシャ。君が友人を信じたい気持ちは理解できる。しかし、平民になる為に王子を欺く、などという大それた計画を実行する者が、純粋な善意で行動するとは、私には思えない」
サーシャは、エーデルに不安気な眼差しを向けた。
自身の目的を隠し、善意だと言い通すのは簡単だ。サーシャの視線を受けながら、エーデルは考えを巡らせた。
――だが、それは彼女を偽る行為だ。
演技とはいえ、辛辣な態度を取っていた人間を友達と呼んでくれた少女を、自分に信頼を寄せてくれている、たった一人の友人を偽るのか。
「…………」
自問するまでも無かった。
エーデルは覚悟を決め、サーシャに力強い視線を返すと、口を開いた。
「……わたくしがサーシャに解毒剤を渡したのは、純粋な善意が半分――そしてもう半分は、わたくしの目的の為、サーシャに死んでもらっては困るからですわ」
サーシャの目が、大きく見開かれる。彼女の表情に僅かな困惑と疑念が浮かぶのを見て、エーデルは胸を貫かれるような痛みを感じた。
だが、決めたのだ。絶対に、彼女を偽りはしないと。
「エーデル……貴女の目的……とは?」
サーシャの問いに、エーデルはきっぱりと答えた。
「アストニア王国を蝕む貴族主義を滅ぼす事――つまり、この国の『革命』ですわ」
「貴様っ、気でも触れたか!」
激昂したセレンが、椅子を蹴って腰の剣に手をかける。
「革命を口にするなど、明らかな王家への反逆! この場で切り捨てられる事に異存は無いな!」
すらりと抜かれた刃が、エーデルの鼻先にぴたりと向けられる。
「……王家に反逆するつもりは、ございませんわ」
「ふざけるな! この場に及んで見苦しいぞ!」
剣を振りかぶるセレン。
その時、エーデルをかばうように、サーシャがセレンの前に立ちふさがった。
「サーシャ様、お退き下さい!」
「いいえ、退きません!」
「エーデルが友人だからですか!? ならば尚の事、貴女にこの女をかばう理由は無いはず! この女は貴女を利用するつもりと……たった今、自ら申したではありませんか!」
「では貴女は、エーデルが『どう』私を利用するつもりか、説明できますか?」
「え……?」
サーシャの問いに、セレンの動きが止まる。
そこに、オルフェリオスも口を開いた。
「……確かに、私もそこは疑問だ。革命を起こし、王家転覆を企むのならば、それこそ次期王妃であるサーシャを助ける理由が分からない」
「それ、は……そうですが……!」
口ごもるセレン。
「エーデル。話してみろ、お前の計画とやらを。斬るのはそれからでも遅くない。いいな、セレン」
セレンは納得いかない様子だったが、ひとまず剣を収めてオルフェリオスの後ろに直った。
「エーデル、私にも聞かせて下さい。貴女の『革命』について」
エーデルは頷きを返すと、王子に視線を向けた。
「……殿下。三年前、マリンデン地方にて大規模な干ばつが起こったのをご存じですか?」
「……突然、何の話だ?」
「では去年、モンデルクにて農民の反乱が鎮圧された話は?」
「だから一体、何の話かと聞いている。どちらも、そんな報告は聞いた事が無い。虚言を弄するならば、その首は落ちると思え」
苛立たしさを隠さないオルフェリオスに、エーデルは溜息で返した。
「どちらも、事実でございます」
「馬鹿を言うな。マリンデンもモンデルクも、毎年変わらぬ税が王家へと納められている。そんな問題が起こっていたなど、有り得ない話だ。それとも――」
そこでオルフェリオスは、苦々しく口元を歪めた。
「――まさか、諸侯が王家に、虚偽の報告をしていると?」
「ええ。殿下がご存じでないのであれば、そうなりますわね」
「……馬鹿馬鹿しい。仮に真実だとしても、王家に隠している情報をどうしてお前が知り得るというのだ」
しかし、エーデルは不敵に笑って、オルフェリオスに答えた。
「殿下。サンドライト家の使用人には、地方出身の者も多数おりますのよ?」
オルフェリオスの眉が、ぴくりと動く。
「彼等の話を聞けば、地方の実状はおおよそ把握できますわ。皆、課せられる重い税を嘆いておりました。賃金を家に送って家族を養っているという者も、一人や二人ではありませんでしたので」
そこに、サーシャも同意の声を上げた。
「……私も、両親の店を手伝っていた時に、そんなお客さんが来た事が何度もあります。家族の為、王都へ出稼ぎに来たと――」
エーデルとサーシャを見渡し、オルフェリオスが眉をひそめる。
「諸侯の公的な報告よりも、平民の声を信じろと?」
「ええ。殿下が良識ある為政者であるならば」
エーデルの返答に、彼は言葉を詰まらせ、
「……つくづく嫌な女だな、お前は」
大仰に嘆息してみせた。
「……信頼できる者に、改めて地方の調査を命じよう。しかしエーデル、私が聞きたいのはそんな話ではない。勿体ぶらずに計画を話せ」
「失礼致しました。ですが、この国に革命が必要な理由は、まずお伝えしておかねばと思いましたもので」
確かに、貴族達が平民を虐げ、それを王家に隠匿しているのなら、大きな問題である。エーデルの『この国を蝕む』という言葉も、大袈裟な言い回しではないだろう。
「……理由としては足りんな。不正を働く貴族が問題なら、革命など起こさずとも、王族がそれを正せば良いではないか」
しかしエーデルは、はっきりと言い切った。
「……それでは意味が無いのです。権力者が悪人を椅子から引きずり降ろそうとも、次にその椅子に座る者が同じ行いをするのでは、何も変わりません。この国に必要なのは、もっと根元からの変革なのです」
「だから、革命を起こすと言うのか? 革命と言えば聞こえはいいが、実際に起こるのは貴族と平民の内乱――多くの血が流れるだろう。お前は、それも必要な犠牲と言うつもりか?」
オルフェリオスの声には、明らかな怒気が含まれていた。それは、無為に民が傷付く事への怒り。民を想う心を王子が変わらず持っている事に、怒りを向けられながらもエーデルは安堵を覚えた。
しかし、エーデルは首を振って答える。
「いいえ、殿下。民に犠牲を出すつもりはありませんわ。無論、王族にも。何故なら、わたくしの目指す『革命』とは――無益な血を流さない、言わば『無血革命』なのですから」
「無血……革命?」
聞き慣れない言葉に、エーデル以外の三人は揃って眉に皺を寄せた。
「暴力による権力の簒奪や支配者の排除ではなく、人々の意識を変え、更には国の在り方を変える――それこそが、わたくしの求める『革命』ですわ」
そして、エーデルはサーシャに微笑みかけた。
「サーシャ。貴女がいれば、この夢想も現実になる――わたくしは、そう確信しておりますのよ」
「わ、私には、そんな大それた力なんて……」
どぎまぎと慌てふためくサーシャ。しかしエーデルは、その肩に手を置いて言った。
「まずは、皆の意識を変えるきっかけがあれば良いのです。平民も貴族も、自らの立ち位置を見つめ直す、そのきっかけが」
「そ、それはどういう意味です……?」
訳が分からないと、サーシャは困惑の表情を浮かべる。そこに声を上げたのは、オルフェリオスだった。
「……参ったな。どこまで計画の内だったのだ、エーデルよ」
頬杖をつくと、溜息と共に言葉を吐き出す。
「――私とサーシャの婚姻を『革命』の礎とするつもりか」
「さすが殿下。ご明察ですわ」
にやりと笑い、エーデルは続けた。
「前例の無い『王族と平民』の婚姻、そして平民から王妃の座に就くサーシャの姿は、己の身分を不変のものと考えていた人々の意識に、大きな変革をもたらすでしょう。――ですから、殿下とサーシャには、何としても無事に結婚し、そして末永く幸福になって頂かなくてはならないのです」
そして、王子へと恭しく一礼する。オルフェリオスは軽く頷いた。
「つまりお前は、王族に弓を引くつもりは無いと?」
「はい。王家はこの国の民にとって心の拠り所――事実、貴族に不満を持つ者であっても、王家に対しての不満は聞いた事がございません。それはひとえに、王のお人柄かと」
オルフェリオスの父、現アストニア国王は、何よりも民を第一に考え、争いを好まぬ温和な人柄で有名だった。まあ、その人柄を悪意ある貴族に利用されてもいるのだが――
「わたくしの目的は革命――ですがそれは、王家の崩壊を意味しません。この命に誓って」
きっぱりと言い切ったエーデル。オルフェリオスは改めて彼女に向き直ると、
「……エーデルよ、お前が今申した言葉に偽りなく生きる限り、私はお前を罪に問いはしない。国の為に尽くすその心、断罪すべきではないと私は考える」
そう、告げた。
エーデルもサーシャも、揃って安堵に表情を緩める。
「殿下……よろしいのですか?」
いまだ剣の柄に手をかけたままのセレンが、オルフェリオスに問う。しかしオルフェリオスは、苦笑して言った。
「よろしいも何も、ここまで平和な革命など、革命とは言えん。それに――」
と、エーデルの手を握り、彼女の無事を喜ぶサーシャに向けて、顎をしゃくった。
「あれを見ろ。サーシャは既に、エーデルに協力するつもりだ。エーデルを斬るとなれば、彼女も共に斬らねばならなくなる」
「……なるほど。それは確かに、参りました」
セレンは微かに口元をほころばせ、困ったように返した。
「さて――ではエーデル。お前の本音を聞けたところで、話題を戻すとしよう。サーシャの護衛についてだ」
オルフェリオスの声に、エーデルは弛緩していた顔を引き締める。
「改めて、引き受けてくれるな?」
「もちろんですわ。わたくしにとっても、サーシャは無事でなくてはなりませんもの。ね?」
エーデルが笑いかけると、サーシャは、ふんすと鼻息を荒げた。
「ええ! 私、頑張って生き残ります!」
少し不安の残る発言だが、その意気込みは伝わってきた。
願ってもない展開。エーデルにとって、想像していた以上に幸運な状況だった。
しかし、自らの計画が順調に進んでいる事よりも、サーシャと共に学院に通えるようになったという、そちらの方が、エーデルの心を弾ませていた。
ただ、彼女自身は、そんな自分の感情に、まだ気付いてはいなかった。
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