第18話 暗殺未遂

 馬車の中では、結局何も聞けずじまいだった。


 というか、セレンは「これを着ろ」とエーデルに黒いローブを渡したきり、ずっと無言を貫いていた。


 やがて、馬車が走りを止める。


 セレンは、自分も同様のローブを着込むと、


「フードも必ずかぶれ。絶対に、誰にも顔を見られるなよ」


 そう言って、馬車の扉を開ける。


 言われた通り、フードを目深にかぶったエーデルが馬車から降りると、眼前にそびえていたのは、飾り気の無い石造りの建物だった。


「……一言も喋るな。自分のすぐ後に続いて歩け」


 入口に立っていた門番に何やら札のような物を渡すと、そのままセレンは建物の中に入っていく。エーデルは彼女の後ろについて、足早に歩を進めた。


 建物の中は、これまた無骨な様相だった。装飾の類は一切見当たらず、ただ等間隔に扉が並んでいるだけだ。


 その中の一つに手をかけると、セレンはゆっくりと扉を開け、エーデルにも中に入るよう促した。


 扉が閉まると、既に部屋にいた人物が、エーデルに声をかける。 


「――よく、来てくれた」


 聞き覚えのある、その声の主は――オルフェリオス・エドワード・アストニアだった。


「……お久しぶりですわ、殿下」


 まさか、王子とまた邂逅しようとは――思ってもいない再会に、エーデルは内心、とても驚いた。


 見ると、オルフェリオス王子の隣にはサーシャの姿もあった。こちらに目を向けると軽く会釈をするも、その表情は硬い。何かに怯えているようでさえあった。エーデルは、その理由に見当がついた。


「……盛られたのですね、毒を」


  サーシャの胸元には、エーデルから贈られたネックレスが付けられていた。しかし、透明の液体が入っていたはずのフラスコは、既に空になっている。


 つまりフラスコの中身――解毒剤を、飲まなければならなかったという事だ。


「熱はもう下がりまして? 体調に変化はありませんか?」


 エーデルに問われ、サーシャは弱々しく頷く。


「はい。もう、大丈夫です」


 そう言いつつも、サーシャはあまり元気が無さそうだった。何せ、殺されかけたのだ。身体が治っても、心はまだ回復していないに違いない。


「使われたのは、いわゆる『テレジア家の毒薬』――肺炎に酷似した症状を引き起こす毒だ。事実、医者も肺炎と診断していた。お前に渡されたという解毒剤が無ければ、危ないところだった。まずは、礼を言わせてもらう」


「いえ、サーシャが無事で何よりですわ」


 そこで、オルフェリオスは声のトーンを下げた。


「ここは貴族専用の会議室――平たく言えば『内密の話』をする場だ。よって、ここで話した内容は、他言無用で頼む」


「なるほど、話に聞いた事はありますが、ここが……それで、防音の魔符が貼られていますのね」


 部屋の四隅に貼られていた札を見回し、エーデルが呟く。


「さすがに目が早いな。ドラクロワ・ルーエンハイムの手による魔符だ。ここでの会話を盗み聞ける者は、恐らくこの国にはいないだろう」


 ドラクロワ・ルーエンハイムと言えば宮廷魔術師の第一席、アストニア王国の魔術師の頂点に立つ存在だ。確かにオルフェリオスの言う通り、この護符を破れる人間は、ほぼいないと言える。


「それで、わざわざこのようなところで話す内容とは何でしょうか?」


 エーデルの問いに、王子は腕を組んで答えた。


「遺憾の極みだが、サーシャを毒殺しようとした犯人は、その手がかりさえ見つかっていない。……そこで、事前に解毒剤を渡していたお前ならば、何か知っているやもと思ってな」


 そして、エーデルの瞳を真っ直ぐ見据えて逆に問う。


「単刀直入に聞く。犯人に、心当たりはあるか?」


「……残念ながら、ありませんわ。しかし状況から、多少の絞り込みは可能ですが」


「ほう。ならば、聞かせてもらいたい」


「ええ、かしこまりましたわ」


 そしてエーデルは、サーシャに人差し指の先を向けた。


「――この国において、毒殺される人間は非常に少数です。何故だかお分かりですか?」


 突然問われたサーシャは、びくりと身震いをさせたが、授業で聞いた事があったのを思い出し、教わったままを答える。


「ええと、魔術が発展したから、です。不確実で発覚しやすい毒よりも、魔術を用いた方が確実で容易なのだと――」


「満点ですわ。さすがですわね」


 手を叩く真似で褒めると、サーシャは照れたように頬をかいた。


「しかし、魔術を用いた暗殺には一つだけ問題がある――それは、殺す者と殺される者の間に、余程の魔術技量の差が無ければ、暗殺は成功しないという事。サーシャの魔術の才は、学院内でも知らぬ者はいない程のもの。よって、『魔術による暗殺』はほぼ不可能と言えましょう」


「なるほど。魔術を以ての暗殺が不可能故に、一時代前の毒殺という手法を使ったか」


「重要なのは、犯人はサーシャへの殺意を持ちながら、あくまで『暗殺』という手段にこだわっている事。つまり、自分が犯人と知られてはならないという思考ですわ」


「……それは当然ではないのか? 罪を犯す人間は、誰しも罰から逃れようと思うものだろう」


 肩をすくめるセレンに、エーデルはちちち、と指を振った。


「恐らく犯人の目的は、サーシャを殺す事ではありませんわ。……まあ、死んでくれれば一番だとは考えているでしょうが」


 三人は、意味が分からないと一様に眉を寄せる。


「目的は、サーシャを王宮から追い出す事。つまりサーシャが殿下と結婚し、王妃の座に着くのを阻止する事が狙いですわ。毒で殺す事ができなくとも、怯えて逃げ出せばそれで良いと思ったのでしょうね」


「何……だと……!」


 ぎりりと歯を軋ませるオルフェリオス。エーデルは尚も言葉を続ける。


「殿下。平民が王族に連なる事を許し難いと考える人間は、貴方の考える以上に多いのです。ですから、いずれこのような手段を取る者が現れるのは容易に想像できました」


「だから、サーシャに解毒剤を持たせたという訳か……」


 エーデルは頷いた。


「もうお分かりでしょう。そんな事を考え、実行する者は貴族――それも、血統を何より重んじる上級貴族しかおりません」


 貴族にも上級と下級が存在し、上級貴族とはより古くから貴族としての家系を続けてきた者達だった。それ故、上級貴族は異常な程に家柄とその名誉にこだわる。平民上がりの馬の骨が自分達を飛び越えて王族になるなど許せない――そう考える者がいてもおかしくはなかった。


 そこで、エーデルはやれやれと頭を振る。


「……と同時に、犯人の捜査も、恐らくは徒労に終わるでしょう。何せ上級貴族への嫌疑など、一歩間違えば絞首刑。警察であっても、好んでやりたがる者はおりませんわ」


 オルフェリオスは暗澹たる気分だった。エーデルの推理はあくまで推理でしかない。だが、可能性としては十分あり得る話だった。


「国を背負う貴族が、そんな理由で少女に毒を盛るか……言葉も無いな」


「同感ですわ。しかし残念ですが、多くの貴族にとって身分はそこまで重要なものなのです。……あ、心配しないでサーシャ。セレンは違いますから」


 いきなり話を向けられ、セレンは戸惑った。


「な、どうして突然、自分の話になるのだ……」


「だって、上級貴族でありながらひたすらに王家への忠誠のみを誓うなんて家、他に聞いた事がありませんわ。貴女、よその貴族に生まれていたら、きっと今頃は地位向上の為に他国の王族との縁談が進んでいましたわよ?」


 エーデルの発言に、オルフェリオスが笑って首肯する。


「……まあ、そうだろうな。フェルナジール家は代々武勇を重んじる家系だ。地位や権力に興味を持たないその無骨さが、今は救いだよ。セレン、お前が信頼に値すると思えるからな」


 セレンは凛とした表情で、厳かに頭を下げた。


「殿下のご信頼に報いるよう、命を賭けてサーシャ様をお守り致します」


「ありがとうございます、セレン様」


 ぎこちないながらも、サーシャは微笑みを浮かべた。少しは気持ちが落ち着いてきただろうか。


「――エーデル。お前の推理、非常に興味深く聞かせてもらった」


 王子は皆を見渡すと、改めてエーデルに向き直る。


「捜査を打ち切る事はしないが、我々に重要なのは犯人の捜査より、サーシャの安全だ。そこでお前に――サーシャの護衛を頼みたい」


「……護衛?」


 降って湧いたようなオルフェリオスの発言に、エーデルの目が点になった。


「剣も振るった事のない、わたくしを? 何の冗談ですの? そもそも、セレンが護衛に就いている以上、わたくしが役立つ事などありませんわ」


 エーデルのもっともな疑問に答えたのは、セレンだった。


「……サーシャ様が毒を盛られたと発覚してすぐ、殿下は自分をサーシャ様の護衛に任命された。以後、自分は昼夜無くサーシャ様をお守りしているのだが、一つだけ問題がある。それが、魔術学院への通学だ」


 なるほどと、エーデルは手を打った。


「殿下もセレンも、同じ学院の生徒とはいえ、サーシャとは学年が違いますものね。最上級生がサーシャの教室にいたら、さすがに他の生徒も、何事かと思うでしょう」


「婚約者が毒殺されかけたなど、大っぴらにはできない。どんな波紋が広がるか分からないからな」


 オルフェリオスが頷いて答えると、セレンも口を開いた。


「だから自分は、サーシャ様がこれ以上学院に通う事は危険であると判断し、殿下にもそう具申した。しかし――」


「私は、サーシャにこれまで通り、魔術学院に通って欲しいと考えている。知っての通り、サーシャには稀有な魔術の才がある。このまま学び続ければ、必ず将来、この国に益をもたらす優秀な魔術師となるだろう。だから私は、彼女にここで学びを止めて欲しくはないのだ」


「……それで、わたくしをサーシャの護衛に?」


 オルフェリオス王子は頷き、話を続けた。


「魔術学院は、貴族だけでなく私のように王族も通う学院だ。サーシャを狙う者がいたとしても、表立って行動を起こしはしないだろう。サーシャの隣に誰かがいるだけで、危険はぐっと下がる。それに――」


 そこで、オルフェリオスはサーシャをちらりと見た。


「サーシャが、お前ならば信頼できると強く言うのでな」


 首をぶんぶんと縦に振るサーシャ。


「しかし、わたくしはもはや貴族ではありません。復学は不可能では?」


「確かに、エーデルワイス・サンドライトは既に除籍処分となっている。しかしエーデルという女は別だ。そこはこちらでどうにかしよう」


 言葉を切ると、オルフェリオスは真っ直ぐな視線をエーデルへ向けた。


「どうだ、受けてくれるか?」


 エーデルは頷いた。


「それでは、お受け致しますわ。サーシャの身が危ない以上、承諾しない理由はありませんし、また学院に通えるのはわたくしとしても願ってもいない幸運ですもの」


 それは、本心からの言葉だった。サーシャの身を案じるのはもちろん、彼女は魔術を学ぶのが好きだった。


「ではこれから、エーデルと一緒に学院へ通えるのですね!」


 サーシャは満開の花の如き笑顔で、エーデルとオルフェリオスを交互に見た。


「……サーシャも、元気が出たようで何よりですわ」


 安堵の表情を浮かべるエーデル。そこに、オルフェリオスがまた口を開いた。


「――では最後に、もう一つ答えてもらおう」


 それは、一瞬前までとは別人のような、冷たい声だった。


「エーデル。お前がサーシャに解毒剤を渡した理由だ」

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