第15話 ヒロイン・王子・悪役令嬢 後

「ご機嫌麗しゅうございます、殿下」

 エーデルワイスは、苦々しい顔を隠そうともしないオルフェリオスの態度に、内心ほくそ笑んだ。

 彼女の思惑通り、王子の心はこちらから離れ、サーシャへと惹かれている。このまま行けば婚約破棄、そして貴族の身分を剥奪されるところまで達成できるかもしれない。

 オルフェリオスが王国法を熱心に学んでいるのは、既に調査済みだった。正義感の強い彼ならば、きっと法を遵守した上で、エーデルワイスの行いを罰しようとする――そう確信していた彼女は、貴族法第六条以外が適用されない、ぎりぎりの範囲内でサーシャを苛めていた。

「……エーデルワイス」

 オルフェリオスは、挨拶を返さず彼女の名を呼んだ。

「サーシャへの態度を、改めるつもりは無いのか?」

 何度聞かれたか分からない、その質問。エーデルワイスは自らの髪を撫でながら、これまでと同じ答えを返した。

「ええ。ありませんわ」

「……彼女が、お前に何をしたというのだ?」

「何もされてはおりませんわね」 

 エーデルワイスは、平然と言った。

「ならば何故、サーシャに卑劣な態度を取る。そんな理由など――」

「幾度もお答えした通り。彼女が、平民だからですわ」

 オルフェリオスの眉間に、深い皺が刻まれる。

「平民だから蔑んで良いという理由は無い! 身分の差はあれど、同じ人間であろうが!」

 声を荒げる王子に、エーデルワイスは心の中で深く同意した。が、今の自分はあくまで悪役に徹しなければならない。計画の達成まで、あと少しなのだ。ここで、わずかなボロも出す訳にはいかない。

 エーデルワイスは口の端を吊り上げると、多くの貴族が言う、彼女にとって唾棄すべき言葉を発した。

「殿下。人間とは、王族と貴族だけですわ。それが、この王国の現実です」

 オルフェリオスの顔は怒りに染まり――やがて、冷たい失望の色に変わった。

「……その発言、撤回するつもりはないか」

 それは、最後通告だった。これまで自らの婚約者であった彼女への、せめてもの誠意だった。

 しかし。

「ええ。ありませんわ」

 エーデルワイスは一瞬の逡巡も無く、そう答えた。

「そうか……ならば、もう良い」

 オルフェリオスはエーデルワイスに背を向け、歩き出す。恐らく、彼の心は完全にエーデルワイスから離れただろう。

 計画の達成が間近に迫る高揚感と、自らの目的の為、幼い頃より共に過ごしてきた王子を利用した罪悪感。

 胸の内に去来する様々な感情を振り払うように、エーデルワイスは遠ざかるオルフェリオスの姿を見つめ、呟いた。

「……さようなら、殿下。どうぞ、お幸せに」

 そして彼女は、オルフェリオスが去って行った方へ、深々と頭を下げた。


 それから数日後、エーデルワイスはサーシャに呼び出されていた。

 人のいない中庭で、二人の少女は向かい合う。

「――それで、わたくしに用とは何ですの?」

 問うても、サーシャは何も言わない。ただ、その緊迫感に満ちた表情から、何があったのかは想像がついた。

「……殿下に、求婚でもされましたか?」

 そう言われ、サーシャの肩がびくりと震えた。どうやら、図星らしい。

 エーデルワイスは、歓喜を胸中に押し込めるのが大変だった。遂に、彼女の計画が身を結ぶ時がやって来たのだ。

 サーシャが彼女を呼び出した理由は、きっとまだ王子の求婚を受ける勇気が出ないからだろう。

 ならば、自分がすべき事は一つ。ここで更なる悪女っぷりを見せつけ、サーシャの彼女への憎しみを煽り、王子と結ばせる――

 エーデルワイスは意を決し、冷たい笑みをその顔に浮かべた。

「それで、わたくしにわざわざ報告に来たという訳ですか。まったく、平民の小娘が思い上がったものですわね。貴女ごときが、オルフェリオス殿下の隣に立てると、本気でお思いかしら?」

 何度も何度も練習した悪役っぽい発言に、淀みは無かった。

「悪い事は言いません、お断りなさいませ。殿下と結ばれるべきは、既に婚約者であり申し分ない家柄のわたくしです。下賤な平民がその座を掠め取っても、皆が不幸になるだけですわよ」

 我ながら、よくもここまで嫌らしい物言いが出来るものだと、エーデルワイスは内心で苦笑した。

 しかし、これだけ言えば、サーシャは必ず――

 が。

「……そう、ですよね」

 ん?

 エーデルワイスは首を傾げた。あれ、何か想像と異なる反応が……

「やっぱり……私には、エーデルワイス様を裏切る事なんて……!」

 んん?

 自分がサーシャに親愛の情を持たれているなど思いも寄らないエーデルワイスは、彼女の反応に戸惑いを隠せなかった。

 サーシャは目にいっぱいの涙を溜め、

「オルフェリオス様は、きっとお疲れだっただけです。一時の気の迷いで、あの方の未来を台無しにする訳には――」

 ……まずい。非常に、まずい。

 どうしてそういう結論に達したのか分からないが、サーシャが王子の求婚を断ろうとしている事だけは、エーデルワイスにも理解できた。

 このままでは、あと一歩のところまできた計画が、何もかも水の泡に――

「……ありがとうございます、エーデルワイス様。おかげで、自分の気持ちに整理がつきました」

 涙を拭い、サーシャはそう言った。

 違う! そっちの方に整理つけないで!

 エーデルワイスは心の中で叫ぶ。

 どうすれば、どうすれば……エーデルワイスは高速で思考を巡らせた。

 ここでサーシャに思い直させなければ、きっと彼女はこのままオルフェリオスの元へ赴き、求婚を断ってしまうだろう。

「すみません。お付き合い頂きありがとうございました。では――」

「お待ちなさい!」

 立ち去ろうとするサーシャの肩を掴み、エーデルワイスは叫んだ。

 考えはまだまとまっていない。

 が、もう時間がない。出たとこ勝負で行くしかない。

「サーシャさん。オルフェリオス殿下から求婚を受けた――その重み、本当にお分かりですの?」

「え……?」

 突然の問いかけに、サーシャは虚を突かれたような表情を見せた。

「わたくしという婚約者がありながら、地位も家柄も無い平民の貴女に求婚する――それがあの方にとって、どれだけ重い決断であったか。それをお分かりですか、と聞いているのです」

「は、はい……分かっている、つもりです」

 困惑したまま、サーシャは頷きを返す。

「いいえ。お分かりではありません。いいですの? わたくしとの婚約を破棄すれば、殿下の名誉に傷が付くでしょう。それだけではありませんわ。平民の娘を伴侶として迎えるとなれば、貴族達からどんな誹謗を受けるか分かりません。それでも――」

 エーデルワイスはサーシャの瞳を、翡翠色に輝く澄んだ瞳を、真っ直ぐに見つめた。

「――それでも、殿下は貴方と共に歩みたいと思われた。貴方はそれだけ、殿下に深く愛されているのです」

 エーデルワイスの言葉に、サーシャの頬が赤く染まる。

 が、それでもサーシャはかぶりを振った。

「で、でも……婚約破棄などになったら、エーデルワイス様の名誉も……!」

「わたくしの事など、どうでも良いのです!」

 エーデルワイスの叫びに、サーシャは息を呑んだ。

「重要なのは、貴女の心。殿下の深い愛に応えるだけの想いが貴女の心にあるのなら、それに従いなさい」

「エーデルワイス、様……」

「どうですの? 貴女の殿下への想いは、簡単に諦められる程に軽いものでして?」

 サーシャは、俯いて首を横に振った。

「いかなる困難であろうとも、あの方と共に立ち向かう覚悟はありまして?」

 今度はゆっくりと、頷いた。

「ならば、答えは一つです。わたくしからは、他に何も話す事はございませんわ」

 顔を上げたサーシャの目には、強い決意が宿っていた。

「……ありがとうございます、エーデルワイス様」

 サーシャは挨拶もそこそこに、走り去った。

 その背を目で追っていたエーデルワイスは、彼女の姿が見えなくなると、深く息を吐いた。

「危ないところでしたわ……」

 そして、

「さあ、人事は尽くしましたわ。後は天命を待つばかり、ですわね――」

 空を仰ぎ見ると、そんな事を呟いた。


 それから程無くして、オルフェリオスはサーシャとの婚約を発表した。と同時に、エーデルワイスも無事、貴族の身分を剥奪され、念願の平民へとその身を落とす事となる。

 彼女の計画は――一応――誰にも知られる事なく、完遂された。

 そして今。王子の新たな婚約者となったサーシャは魔術学院の第二学年に進級し、身分の剥奪とともに学院を除籍されたエーデルは、平民としての自由な日々を送っていた。

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