第14話 ヒロイン・王子・悪役令嬢 中
「ごきげんよう、平民のお嬢さん」
昼休み。中庭で一人、昼食を食べていたサーシャは、突然声を掛けられた。
見ると、数人の取り巻きを伴い、エーデルワイスがこちらに歩いてきた。
「あ……エーデルワイス様。ごきげんよう」
途中まで食べていたハムとチーズのサンドイッチをバスケットへ戻すと、サーシャは立ち上がって挨拶をする。
「こんなところでお一人なの? 食堂で召し上がればよろしいのに」
エーデルワイスの言葉に、取り巻きの少女達もくすくす笑う。
サーシャは悲しみに、思わず顔を背けた。
たった一人の平民はやはり、貴族だらけの学院では浮いていた。貴族の輪に入れずいつも一人の平民が、陰口、無視、嘲笑――陰湿な嫌がらせの対象になるのは、ある意味では自然な流れであった。
これまで、エーデルワイスはサーシャへの嫌がらせに見て見ぬふりを続けていた――その事に、サーシャはある種の安堵を感じていた。敬愛するオルフェリオスの婚約者が、そんな人間だと思いたくなかったからだ。
しかし、こうしてサーシャの前に現れたという事はつまり、エーデルワイスも他の貴族と同様、平民を見下す一人なのだろう。
婚約者のオルフェリオス殿下は、あんなに素晴らしい方なのに――
サーシャは陰鬱な思いで、しかしはっきりと言葉を返した。
「……折角ですが、私は食事を持ってきましたので」
「食事? あら、エーデルワイス様。あれがサーシャさんのお食事だそうですわ」
取り巻きの一人が、バスケットを指差して言った。
もう一人も、嘲笑を含んだ口調で続ける。
「まあ、平民のお食事ですか。見た事もない物ばかりですわね」
その言葉に、サーシャは口の端を噛んだ。
嫌がらせにはもう慣れっこだったが、両親が手作りしてくれた料理を馬鹿にされるのは、我慢がならなかった。
どうせ何を言っても意に介さない人達なのだから、一言ぐらい言い返してやろう――そう考えて口を開こうとしたサーシャは、
「…………」
バスケットを、穴が空く程に見つめているエーデルワイスに気が付いた。
その瞳に、悪意も侮蔑も無い。あるのはただ、純粋な興味だった。
「あの……よろしければ、召し上がりますか?」
こんな状況にもかかわらず、つい口をついて出た言葉に、瞬間、エーデルワイスの瞳が輝くのを、サーシャは見逃さなかった。
サーシャはバスケットから、まだ口を付けていないサンドイッチを手に取り、恐る恐るエーデルワイスの前に差し出す。溢れんばかりにハムとチーズが挟まれたそれに、エーデルワイスは手を伸ばすような素振りを見せた。
しかしエーデルワイスがサンドイッチを手に取る前に、取り巻きが声を上げる。
「あら。エーデルワイス様がそんな下賤な料理、お召し上がりになるはずがございませんわよ」
「そうですわ。エーデルワイス様に、手で持ってかぶりつくなんて野蛮なお食事をさせようだなんて、さすが、平民の方は礼儀をわきまえておられませんのね」
彼女たちの謗言に、エーデルワイスは我に返ると、
「そ、その通りですわ。……さあ皆様、そろそろ参りましょうか」
そう言って、再び冷淡な表情を浮かべてみせた。そしてエーデルワイスとその取り巻き達は、そそくさと立ち去って行った。
しかし、去り際にちらりとこちらを見たエーデルワイスの表情は、まるで物欲しげな子犬のようだった。
また一人になったサーシャは、芝生に腰を下ろして食事を再開する。
その顔は、楽しげにほころんでいた。
それは学院の中では久し振りに浮かべる、本心からの笑顔だった。
それからというもの、事あるごとにエーデルワイスはサーシャに接してくるようになった。
ある時は、
「何ですのその所作は。この程度のマナーもご存知ないとは、お里が知れますわね」
と、サーシャの振る舞いを嫌味たらしくなじり、またある時は、
「平民はそんな事をしているんですの? 理解できませんわ」
そう言って、平民の文化や習慣を馬鹿にしてみたり。
特に、オルフェリオスと連れ立っている時には、サーシャを激しく罵ることさえあった。
「何ですか、その傘の差し方は! 殿下の前でそのような平民然とした振舞い、恥ずかしいとは思いませんの?」
自らの婚約者であり、自国の王子でもあるオルフェリオスが制止しても尚、彼女がその言動を改める事は無かった。
端から見れば、サーシャは高貴な令嬢にいたぶられる哀れな少女だった。
が、サーシャはエーデルワイスに、悪感情を抱いてはいなかった。
理由の一つは、エーデルワイスが絡んでくるようになってから徐々に、他の生徒による嫌がらせが無くなっていった事。
どうやら、周囲はサーシャをエーデルワイスの『獲物』なのだと認識したらしい。下手に手を出して、未来の王妃の不興を買いたくないという思いなのだろう。
二つ目は、エーデルワイスは自分を、ただ悪し様に貶しているのでは無いと感じる事。言葉はきついが、貴族と平民とのずれを指摘してくれたり、人前での無作法を教えてくれたり――事実、他の生徒の振る舞いを意識して見ていると、サーシャに抜けているものを、エーデルワイスは補ってくれているように思えた。
そして、三つ目は。
「シチューにパンを浸して食べる? まあ、何て下品な食べ方なのかしら」
そんな棘のある言葉と裏腹に、平民についてサーシャに訊ねる時のエーデルワイスは、とても楽しそうに目を輝かせていた事だった。
「でも、美味しいんですよ」
サーシャがそう返すと、エーデルワイスは涎の垂れそうな顔をぷいと背けた。
「きょ、興味ありませんわ! そんな、マナーのなっていない食べ方など!」
サーシャは、エーデルワイスに気付かれないよう、くすりと笑みを漏らす。
そんな二人の奇妙な関係が、しばらく続いたある日の事だった。
放課後、サーシャが一人で教室に残り、魔術書を読んでいると、
「――失礼、少し、いいだろうか」
誰かに声をかけられる。
振り向いた先にいたのは、オルフェリオスだった。
「お、オルフェリオス殿下!」
席から立ち上がると、サーシャは緊張でがちがちになりながら挨拶した。
「すまない。勉学の邪魔をするつもりはなかったのだが」
「い、いえ……そんな……」
入学式の日以来、彼に出会う時はいつもエーデルワイスが連れ立っていて、しかもこのところ、彼が傍にいる時のエーデルワイスは常にサーシャへ辛く当たるので、二人は挨拶以外の言葉をほとんど交わしていなかった。
久々の、それも二人きりの会話に、サーシャは胸が高鳴るのを抑えられなかった。
「あの……私に、何か御用でしょうか……?」
オルフェリオスが話しかけてきた理由が分からず、サーシャはおずおずと訊ねる。
彼はその表情を少し曇らせると、突然、サーシャに向かって深く頭を下げた。
「すまない。私の婚約者が、君に幾度も非道な行いを働いて。私の力不足で止められず、本当に、申し訳ない」
「えっ!? い、いえいえ! どうかお止めください、殿下! 王族が平民に頭を下げるなど……!」
あまりにも想定外の出来事に、サーシャは軽くパニックを起こしながら、王子に頭を上げるよう懇願した。
そして入学式の日にも、彼に頭を下げられたのを思い出す。本当に真摯で、ひとの痛みが分かる人なのだと、サーシャは王子への畏敬の念を、一層強くした。
「非礼あらば、謝罪はしなければならない。王族も貴族も平民も、そこに違いは無い」
オルフェリオスは頭を上げ、改めてサーシャを正面から見据える。
透き通るような金色の髪と、青く輝く瞳。そしてその凛とした佇まいに、サーシャは思わず見惚れてしまった。
「君への態度を改めるよう、私から再度エーデルワイスに言っておくが……もし何かあったら、いつでも私に言ってくれ。――では、失礼した」
それだけ言うと、オルフェリオスは踵を返す。そして去り際に、
「君の魔術の才は、学内でも評判だ。是非、これからも励んで欲しい」
そう言って、微笑んだ。
「…………」
サーシャはじっと、遠ざかる王子の背中を見つめていた。
その姿が見えなくなった後も、彼女はしばらく動けなかった。
しん、と静まり返った教室の中で、サーシャはただ、高鳴り続けている胸の鼓動を、ぼんやりと聞いていた。
それから、オルフェリオス王子はたまにサーシャを訪ねてくるようになった。最初は恐縮しきりだった彼女も、王子と何度も言葉を交わすうち、次第に打ち解けていった。
いつからか、サーシャは王子と会うのを心待ちにするようになった。
しかし、エーデルワイスとの関係は、一向に変わらなかった。いや、むしろ彼女は、サーシャと王子がいる前で、サーシャへ更に辛く当たるようになった。まるで、王子にその姿を見せつけるかのように。
その度オルフェリオスが苦言を呈しても、エーデルワイスはどこ吹く風といった調子で笑っている。
オルフェリオスに対しても、そしてエーデルワイスに対しても胸中に親愛の情を抱いていたサーシャは、目に見えて険悪になっていく二人が、とても悲しかった。
「まったく……彼女は何故、ああなのか」
二人きりで話している時、オルフェリオスはそう嘆息した。彼の声色からは、エーデルワイスの暴言を止められない自身の不甲斐無さも、はっきりと感じ取れた。
「心配なさらないでください、殿下。私は大丈夫ですから」
だからサーシャは、明るい笑顔でそう返した。勿論、口にした言葉にも嘘は無い。
だが、オルフェリオスにとってサーシャの発言は、辛い目に遭いながらも優しさを失わない気高さに映った。
「……君が、婚約者なら良かった」
思わず口をついて出た言葉に、オルフェリオスは、はっと息を呑んだ。
隣のサーシャを見ると、彼女はぽかんと口を開いて、こちらを見つめていた。その頬は、紅く染まっている。
「す、すまない。……今日はこれで失礼する」
言うと、王子はそそくさと立ち上がり、速足で去って行った。
一人残されたサーシャは、自らの顔が熱くなっているのを感じ、その顔を隠すように両手を当てた。
――どうかしている。
学院の廊下を歩きながら、オルフェリオスはそう一人ごちた。
既に婚約者を持つ身でありながら、他の女性に求婚めいた事を言ってしまうなど――本当に、どうかしている。
しかし、それだけサーシャ・イスールという少女に心惹かれているのも、また事実だった。
オルフェリオス・エドワード・アストニアは、アストニア王国の王子として生まれた。
側室を持たない王にとってただ一人の子であるオルフェリオスには、将来の王としてその傍に侍るに相応しい身分の許嫁があてがわれた。
しかし、その許嫁――エーデルワイス・サンドライトを、彼は好きになれなかった。
彼女は、オルフェリオスの目から見ても完璧な許嫁だった。
万事に広く深い知識を持ち、物事の洞察力も目を見張るものがある。それでいて、王国や王族へ敬意を持ち、何事においても自らを主張する事なく、王子を立てる振る舞いを見せる。
非の打ちどころのない、そんな少女に、しかし彼は心動かされる事はなかった。
心優しき父と、慈しみ深い母の元で育てられた彼の価値観は、一般的な王族や貴族とは大きく異なっていた。
卓越した才能も、自分への尊崇の念も、オルフェリオスにとって大した価値はなかった。
将来の伴侶とすべきは、共に国を想い、全ての民を我が子の如く接する事のできるような、心優しき人――それが、オルフェリオスの偽らざる本心だった。
だから彼は、エーデルワイスが平民の少女への嫌がらせに加担しているという事実に、強い嫌悪感を抱いた。
未来の王妃として慈しみ、守るべき民を、自ら足蹴にするかのごとき所業に、怒りと失望を禁じえなかった。
かたやサーシャ・イスールは、高貴な身分も、多様な知識も持ち合わせていなかった。魔術においては卓越した才能が見られたが、才と呼べるのはそれぐらいだった。
だが、彼女はオルフェリオスが求める『優しさ』に溢れていた。
貴族達は、何かにつけ自らの立場を、身分を、能力を誇示し、他者よりも上に立とうとする者ばかり。そんな者達と幼少より接してきたオルフェリオスに、サーシャ・イスールはとても魅力的に見えた。
サーシャは、決してオルフェリオスに媚びへつらうような真似をしなかった。相手が王族である以上、礼は尽くしているものの、必要以上にへりくだる事はなかった。一人の人間として、彼と会話を交わしていた。
そんな事を考えながら歩を進めていたオルフェリオスは、眉根を寄せて足を止める。
向こうから、一番会いたくない人間がやって来るのが見えたからだった。
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