第13話 ヒロイン・王子・悪役令嬢 前

 エーデルワイス・サンドライトの印象は? もしも、そう問われたなら。

 きっと誰もが、高貴、華麗、瀟洒、崇高と、思い付くままの美辞麗句を並べ立て、その腹の中で、こう考えるだろう。

 ――恐ろしい、と。

 オルフェリオス王子の婚約者としてふさわしい女性となるよう、徹底的に教育された彼女は、多くの貴族からも憧れられる程の気品を身に着けていた。

 だが、彼女の心はそこに無い。

 気品ある、しかし心を伴わない振舞いは、彼女の雰囲気に冷たい影を落としていた。

 エーデルワイスの周囲に群がる貴族達は皆、彼女を敬いつつも恐れていた。

 上級貴族。王子の婚約者。未来の王妃。

 そんな色眼鏡越しにしかエーデルワイスを見ない者達に、彼女の腹の内など、分かるはずもなかった。

 サーシャ・イスールを除いては。


 エーデルワイス・サンドライトは、焦っていた。

 王立魔術学院の入学式。遂に、ここまで来てしまった。

「入学おめでとう、エーデルワイス」

 一年先に同じ学院に入学しているオルフェリオス・エドワード・アストニアが、そう祝いの言葉をかけた。

「ありがとうございます、殿下。サンドライトの名に恥じぬよう、精進する所存でございますわ」

 上辺だけのやりとりを交わし、エーデルワイスとオルフェリオスは共に学院内を歩き出す。

 二人の会話は、いつもこんな調子だった。

 子供の頃から婚約者の間柄である二人だが、どちらも相手に愛情を抱いてはいなかった。互いにそつなく『良い婚約者』を演じている彼等の会話には、おおよそ本音というものが混じる事は無かった。

 顔には微笑を張り付けたまま、エーデルワイスは胸中で思いを馳せる。

 ――あと、三年。

 魔術学院は三年制である。ここを卒業すれば、本格的に王子との婚姻が進められる。

 つまり、エーデルワイスがずっと胸に秘めている野望――平民としての自由な人生を手に入れる為には、何としてもこの学院に在籍している間に行動を起こさねばならない。

 しかし、いまだ計画を思い描く事さえ、出来てはいなかった。

 最悪、結婚した後に失踪でもするしかないか――隣を歩く婚約者を横目に、そんな穏やかならぬ事を考えていると、一人の少女に目が留まった。

 肩上までで切られた亜麻色の髪、そして質素な衣服は、彼女が平民である事を示していた。

 そう言えば、今年の入学生には一人だけ平民がいると聞いていた。恐らく、彼女がそうなのだろう。

 少女は、困ったようにあちらこちらを見回していた。

 オルフェリオスは歩を速めると、平民の少女に声をかけた。

「失礼。何かお困りかな」

「あ、はい……実は先程、こんな物を拾いまして……」

 そう言って差し出した手には、小さなルビーの嵌め込まれた、いかにも高価そうな片側だけのイヤリングが乗っていた。

「……きっと、新入生の誰かの落とし物ですわね」

 近寄って来たエーデルが、イヤリングを目にしてそう呟く。

 豪奢な装丁のイヤリングは、学院に着けてくるには華美に過ぎる。入学式で着飾っている新入生の物であろう事は、容易に想像がついた。

「……とりあえず、事情を説明して事務室で預かって貰うか。ここからだと少し遠いな、私が案内しよう」

「よ、よろしいのですか?」

 恐縮する少女に、オルフェリオスは笑いかけた。

「先輩として、困っている新入生を見過ごせないからな」

 そこに、エーデルワイスも割って入る。

「わたくしも、一緒に参りますわ」

「エーデルワイス。君までついてくる必要は――」

 王子の口から出た名前に、平民の少女は目を丸くした。

「エーデルワイス……? もしや、あのオルフェリオス殿下の婚約者の……! という事はまさか――」

「失礼、挨拶が遅れたな。オルフェリオス・エドワード・アストニアだ。これからよろしく」

「エーデルワイス・サンドライトと申しますわ」

 少女は身体を震わせると、上半身が折れそうな勢いで頭を下げた。

「さ、サーシャ・イスールと申します! とととと言うか、し、失礼いたしました! 私ったら、とんでもない無礼を……殿下とその婚約者様に、道案内をさせようなど……!」

 オルフェリオスは苦笑すると、

「遠慮する事はない。我々も、同じ学院の生徒なのだから。さあ、顔を上げて」

 そう、優しく言った。

 少女――サーシャ・イスールは、うろたえながらほとんど泣きかけの顔を上げる。

 可愛い娘だと、エーデルワイスは思った。


 オルフェリオスとサーシャは、並んで廊下を進んでいく。エーデルワイスはその少し後ろを歩きながら、二人の様子を見ていた。

 道すがら、オルフェリオスとサーシャは互いにいくつかの言葉を交わした。

 サーシャは酷く緊張していたが、相手がこの国の王子と知ってもなお、変に媚びへつらう真似はせず、自然体で王子と話していた。

 オルフェリオスも――彼自身は、気付いていないだろうが――エーデルワイスの前では見せた事の無い、穏やかに緩んだ表情で、サーシャに接している。

 そんな二人を目に、エーデルは考えを巡らせた。

 もしも王子に自分という婚約者がいなければ、きっと彼はこんな少女を愛し、伴侶としただろうに。

 口には出さずとも、許嫁として長い時間を過ごしてきたエーデルワイスには、オルフェリオスがどんな女性を好むか、詳細に理解していた。

 華美な様相や流麗な所作といった、貴族にとって重要視されるものは、彼にとっては何の価値も無かった。心優しき王と王妃に育てられた彼が求めるのは、共に民を慈しみ、互いに手を取り合って歩んでいけるような女性。

 そう、ちょうどこの少女のような――

 二人の姿を微笑ましく眺めているうちに、一行は事務室に到着した。

 見ると、新入生らしき貴族の少女が、事務員と何やら話している。その耳には、サーシャが手に握っているのと同じイヤリングが輝いていた。

 サーシャとオルフェリオスは、安堵感から笑い合う。

 サーシャは進み出ると、少女に向かって話しかけた。

「あの……」

 貴族の少女は、突然横から掛けられた声に振り向く。

「これ、貴女の物ですよね?」

 サーシャの手のひらに目を落とすと、ひったくるようにイヤリングを取り上げ、安心したように深く息を吐いた。

「ああ、見つかって良かった……!」

 サーシャもオルフェリオスもエーデルワイスも、その表情を緩ませる。

 しかし。

 次に少女が発した言葉は、その場の誰もが予期しないものだった。

「――貴女が、盗んだのね?」

「……え?」

 サーシャの姿を見て、イヤリングを持っていたのが平民であると察した少女は、眉を吊り上げて彼女を罵倒した。

「よりにもよって入学式の日に、私の大事なイヤリングを盗むなんて! 何て恥知らずな人なの!」

「ち、違います……! 私はただ、落ちていたそれを拾っただけで……」

 しかし少女はサーシャの言葉に耳を貸さず、辛辣な言葉を浴びせ続ける。

 見かねたエーデルワイスが場を収めようとした時、オルフェリオスがサーシャを庇うように少女の前に立った。

「……本当に盗むつもりなら、わざわざ返しに来るはずがないだろう」

 そう言われた少女は、怒りに満ちた表情で彼を睨み付ける。

 が、その顔を見るや、彼女の顔面がみるみるうちに青ざめていった。

「オルフェリオス、殿下……」

「私は、この少女が善意で君の落とし物を届けに来た事を知っている。大切な物を無くして混乱する気持ちは理解できるが、善意の相手に疑いを向けるなど、名誉ある貴族のすべき事ではないだろう」

 貴族の少女はまだ内心収まらない様子だったが、王子に逆らう事はできないと考えたのだろう、

「……申し訳ございません、殿下」

 ぎこちない様子で、オルフェリオスに頭を下げた。それから彼女は、

「……貴女。届けて頂いた事、感謝します」

 サーシャに謝辞を口にするも、棘のある声色から、本心でない事は明白だった。

 不機嫌そうに髪を払うと、少女はこちらに背を向け去って行った。

「……ありがとうございます、殿下」

 少女の姿が見えなくなった後、サーシャがオルフェリオスに感謝を告げた。

 王子は彼女の方を向くと、

「こちらこそ、不愉快な思いをさせて申し訳ない。あの少女に代わって謝罪しよう」

 と、サーシャに頭を下げた。

「そんな、殿下が謝罪なさる事など……! それに、私は全然、気にしてませんから」

 そしてサーシャは、彼に向ってにこりと笑いかけた。

「あの方の大切な物が見つかって、良かったです」

 何と心優しい少女だろうかと、エーデルワイスは感嘆した。善意に対してあれ程の悪意を向けられて、それでも相手を気にかけられるとは。しかも、王子の前で自分を良く見せようとする虚栄心は、欠片も感じられない。

 オルフェリオスにちらりと目をやると、彼もエーデルワイスと同様、サーシャの慈しみ深さに心打たれているようだった。

「君は、優しいのだな……」

 その口から漏れた呟きに、サーシャは顔を紅くして俯いた。

 二人の様子に頬を緩めながら、エーデルワイスは胸中で深く息を吐いた。

 本当に、殿下のお相手がこの娘だったら良かったのに――

 その時、エーデルの脳内に閃きが走った。まさに天啓と言ってもいい、奇跡的な思い付きが頭を駆け巡る。

 居ても立ってもいられなくなった彼女は、

「お二人とも……わたくし、急用を思い出しましたわっ!」

 挨拶も無しに、スカートの裾を翻して走り出した。

 残された二人は、ぐんぐん遠ざかっていく彼女を呆気に取られた表情で見つめるだけだった。


 王族や貴族にとって、家同士の取り決めは何よりも重いものだった。

 いくらオルフェリオスにとってサーシャ・イスールが魅力的に映っても、自らの感情に任せてエーデルワイスとの婚約を破棄する事など、彼はしないだろう。それは婚約者とその家に唾を吐き、自らの親である王を裏切る行為なのだから。

 ならば、婚約破棄に値する、大義名分があればどうか――?

 エーデルワイスは来る日も来る日も考えた。魔術学院に入学した事で、種々雑多の『教育』から解放されたのは、彼女にとって幸運だった。放課後に自室にこもっていても、魔術の勉学に励んでいると思われるのだから。まあ、部屋付きのメイドはずっと扉の側で控えているし、学業を疎かにはできないので、きちんと勉学にも時間を割いてはいたが。

 熟考の末、彼女が立案したアイディアは『自ら悪役となり、サーシャを苛める』というものだった。

 エーデルワイスという悪役の存在は、きっと王子とサーシャを結び付ける絶好の要因となるに違いない。そして少女に非道を働く女を、正義感溢れるオルフェリオスは許さないだろう。

 それこそ、婚約破棄も辞さない程に。

 机に山と積まれた書物を読み漁っていたエーデルワイスは、『王国法規全集』と題された書物の中の一文を見て、歓喜に舞い上がった。

「これ! これですわ……!」

 アストニア王国貴族法規第六条「貴族にあるまじき言動を繰り返し、且つそれを改めぬ者は、貴族の身分を剥奪し、その身を平民とする」。

 この法を自らに適用させれば、エーデルワイスが平民になる事も夢ではない。

「――ふ、ふふ」

 思わず、その口から笑いが漏れる。

「殿下、サーシャさん、覚悟なさいませ。わたくしの目的の為、お二人には何としても、幸せになって頂きますわ……!」

 深夜の自室に、エーデルワイスの高笑いが響き渡った。

 と、その横で、小さな咳払いが聞こえる。

「……お嬢様、そろそろお休みになった方がよいんじゃありませんか?」

「! ベベベ、ベル、いつの間に!?」

「暫く前に、デイジーと交代した時、お声をかけましたけれど」

 呆れたように笑うメイドに、エーデルワイスも頬を赤らめて笑い返した。

「そ、そうね。もう休もうかしら。ベル、寝巻きを取ってくれる?」

「かしこまりました、お嬢様」

 ほんの少しのお喋りをベルと楽しんだ後、エーデルワイスはベッドへ潜り込んだ。明日から忙しくなると、心を弾ませて。


 期待に胸を膨らませながら、エーデルワイスは具体的な計画を練り上げていった。

 と同時に、悪役らしい演技の練習にも精を出した。

「ええと、『この下賤な平民の小娘が』――ちょっと違いますわね。もう少し甲高い声の方が良いのかしら……」

 学院では、平民であるサーシャへの、貴族達による嫌がらせが目についた。内心で激しい憤りを感じたエーデルワイスだったが、ここで彼女を助けては、自身の計画が破綻してしまう。

 心の中でサーシャに何度も頭を下げながら、エーデルワイスは無関心を貫いた。

 そして、入学から二か月程が過ぎた頃のとある夜更け。

「――マリア。ちょっといいかしら」

 今夜の部屋付きである長身痩躯のメイドに、エーデルワイスは声をかけた。

「はい、お嬢様」

 マリアは返事をすると、エーデルワイスの側に歩み寄る。

 おもむろに、エーデルワイスは机の下へ潜り込む。

 そして、そこに隠していた、溢れんばかりに封書を詰めた籠を持ち出すと、マリアに向けて差し出した。

 サンドライト家に数多く仕える使用人の中でも、エーデルワイスはこのマリアの誠実さと生真面目さを深く信頼していた。

 彼女なら、誰かに言いふらす事などしないだろう――だから、マリアが部屋付きになる日を見計らって、声をかけたのだ。

「誰にも内緒で、これを貴女に預かっていて欲しいの」

 受け取りつつ、マリアは怪訝な眼差しを封書に向ける。

「紹介状? 何ですか、これは」

 エーデルワイスは神妙な顔付きになり、小さな声で言った。

「……わたくしに何かあったら、これを使用人の皆に渡して欲しいの」

 封書には、使用人の名前が一人ずつ記されていた。

「……死ぬのですか?」

 マリアの不遜な物言いに、エーデルはたまらず噴き出した。

「そんな訳ないでしょう。……ああ、でもある意味では、そうとも言えるかも……」

 マリアには、彼女の言っている意味が全く分からなかった。だが、いつもの事である。エーデルワイスが幼い頃よりこの家に仕えてきたベテランのメイドは、こちらの予想の斜め上を行くエーデルワイスの破天荒さを嫌という程味わってきた。

 こういう時は、理解しようとするだけ無駄。

 マリアはそう考えて、軽く息を吐くと、謹厳な調子で首肯した。

「……承知致しました。では、お嬢様が何か『しでかした』ら、皆に配らせて頂きます」

 相変わらずの慇懃無礼な物言いに、エーデルワイスは頬を膨らませる。

 しかし、その心は喜びに震えていた。

 計画の準備は全て整った。後は、実行するだけだ。

 平民としての未来を掴み取る為。そしてあわよくば、もう一つの『目的』の為に。

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