第16話 友達
「――という次第でございますわ……」
恥ずかしさに顔を真っ赤にしながら、エーデルは話を結んだ。
エーデルに助けられていたというサーシャの発言のせいで、エーデルはオルガから質問攻めに会い、結局、顛末を全て話す事を余儀なくされたのだった。
「ああ、穴があったら入りたいですわ……! 完璧な悪役を演じていたつもりでしたのに……よりにもよって、サーシャさんに見破られていたなんて……!」
顔を手で覆うエーデルに、サーシャは苦笑した。
サーシャからすれば、むしろあれだけ穴のある演技に騙されていた王子や貴族達の方がおかしいと思うのだが……高貴な立場の人間にとって、それだけ家柄や身分という色眼鏡は強く影響を及ぼすものなのだろうと、納得する事にした。
「しっかしまあ、呆れたもんだよ。まさか王妃の椅子を蹴っ飛ばしても、平民になりたいだなんてさ」
エーデルの告白に驚きつつも、イスール夫妻はどこか腑に落ちたといった表情だった。
平民として暮らしたこの一月、エーデルは決して不満を口にしなかった。むしろ、嬉々として家事も店の仕事もこなしていた。
その理由が、ようやく理解できた。
オルガとバルカスにとっては平凡で当たり前なこの生活は、エーデルにとってはずっと憧れていた夢だったのだ。
軽く息を吐くと、オルガはサーシャに訊ねた。
「そういやサーシャ。今夜は泊まっていくのかい?」
「おかみさん、サーシャさんはもう王宮暮らしですのよ。そう簡単に外泊なんて出来ませんわ」
エーデルがたしなめるように言うも、サーシャはおずおずと口を開いた。
「あの……今日は殿下からも、実家で一晩ゆっくりしてくるように言われてますので……あ、もちろん、エーデルさんがよろしければですけど……」
なるほどと、エーデルは軽く頷いた。オルフェリオス王子も、サーシャの現状を理解はしているようだ。しかし、多忙な王子が彼女と四六時中、一緒にいる訳にもいかない。だからせめて――といったところだろう。
「だってさ。エーデル、どうだい? 部屋が無いからね、二人で同じベッドに寝てもらう事になっちまうけど」
「ええ。わたくしは全く構いませんわ」
エーデルの回答に、サーシャの顔がぱあっと明るく輝く。その表情は、エーデルから見ても思わず抱きしめたくなる程、魅力的だった。
「ありがとうございます! じゃあ、今夜はいっぱいお話できますね!」
サーシャの何気ない一言が、福音の如くエーデルの心に鳴り渡る。
寝室でおしゃべり。それは何と素敵な響きだろうか。
エーデルはサーシャの手を取ると、がしりと強く握った。
「……しましょう。是が非でもお話致しましょう。深夜まで――いいえ、朝まででもよろしいですわ!」
「おいおい。明日は店があるんだからね? ほどほどにしといてくれよ、二人とも」
呆れるオルガに、エーデルとサーシャは共に笑いを浮かべた。
部屋のベッドに寝転がって、二人は互いに話し合った。
サーシャは、王宮での事。エーデルは、この街での事を。
「そこのカヌレが美味しいといったら。わたくし、これまであんなに美味しいカヌレを食べた事はありませんでしたわ」
「ノキアさんのお店ですね。私もあそこのお菓子、大好きですよ」
話すのは、取るに足らない日常ばかり。でもそれがとても楽しく、幸せだと、エーデルは感じていた。
話題が魔術学院に移った時、エーデルは何となくサーシャに聞いてみた。
「サーシャさんは、どうして魔術を学ぼうと思ったんですの?」
そう、魔術の使用を禁じられている平民の中で、わざわざ魔術を学ぼうと考える者は非常に稀である。いくらサーシャに魔術の才があったと言っても、魔術に触れるきっかけが無ければ、その才能は誰にも気付かれず埋もれていただろう。
サーシャはベッドから起き上がると、部屋の本棚に手を伸ばし、一冊の本をエーデルに見せた。
「この本のおかげなんです」
「それは……『初級魔術入門』ではありませんの! わあ、懐かしい。小さい頃、わたくしも読みましたわ!」
それは貴族の家ならどこにでもあるだろう、魔術の初心者に向けた入門書だった。幼い子供にも理解できるよう、平易な言葉で魔術の基礎が丁寧に記されている、魔術を学ぶ者は皆、必ず一度は読む書物だった。
「……お母さんが、くれたんです」
読み込まれてボロボロになった本を手に、サーシャはそう呟いた。
「おかみさんが? 凄いですわね、サーシャさんの魔術の才能を、幼い頃から見抜いてらしたのかしら」
「いえ――」
そこで、サーシャは何故か言いよどんだ。そして、少しだけ寂しそうに、言った。
「今のお父さんとお母さんは……私の、本当の両親ではないんです」
エーデルは、その口を手で覆った。
「ごめんなさい……わたくしったら、何て失礼な事を……!」
何故、今まで気付かなかったのだろう。自分の迂闊さを、エーデルは呪った。サーシャの瞳も髪も、両親のそれとは全く異なる色だというのに。
「あ、いえ! 謝らないで下さい! 母が亡くなったのはもう随分前ですし、今の両親も本当に私によくしてくれるので、全然、気にしてませんから!」
「そ、そうなのですか? ……なら、良かったですわ」
ふう、と胸を撫で下ろし、エーデルはこの話を続けるべきか悩んだ。
しかし、エーデルが二の句を継ぐ前に、サーシャの方が話し始めた。
「私が小さい頃、母が亡くなり、父ももういなかった私は、孤児院で暮らしてました。そんな私を引き取って育ててくれたのが、今の両親なんです」
「そうだったんですの……でも、魔術の入門書を持っていたなんて、お母様は貴族と繋がりがあった方なのかしら」
「いえ、これは……母の働いていたところで頂いた物だ、と言っていました。私も小さかったので、母がどんな仕事をしていたかはよく分かりませんが、もしかしたら貴族の方に仕える仕事だったのかもしれませんね」
貴族の使用人、といったところだろう。そこで、不要になった本を貰って帰ったという事か。
「私は嬉しくて、何度も読み返しました。こっそり、家で魔術を試してみた事もありました。後で母に気付かれて、大目玉を食らいましたけど」
「良い、お母様だったのですね」
「ありがとうございます。もし母が生きていたら、エーデルさんにも一度、お会いして頂きたかったです」
にっこり笑うサーシャに、エーデルは微笑みを返す。
「さあ、そろそろ寝ましょうか。このまま夜更かししていたら、今度はわたくしが、貴女の今のお母さんに大目玉を食ってしまいますわ」
「ふふ。ですね」
二人は共に、ベッドに倒れ込んだ。一人用の小さなベッドは、やはり二人で寝るには窮屈だった。
仕方なく、二人は身を寄せ合って寝る事にした。
「……何だか少し、恥ずかしいですわね」
「そうですか? 孤児院では、これぐらい普通でしたよ」
言って、サーシャはエーデルの手を握った。その距離の近さに、思わずエーデルは頬を赤く染める。
「で、でも……これではまるで、友達のようで……」
うろたえるエーデルに、サーシャはきょとんとした表情で言った。
「……私とエーデルさん、友達じゃなかったんですか?」
「……へ?」
つい、間の抜けた声が出てしまう。
「エーデルさんが学園にいた時からずっと、私は友達だと思っていましたよ」
当たり前のように話すサーシャは、ふと気付いたように「あっ」と短い声を上げた。
「め、迷惑でしたか……? 平民が、貴族を友達だと思っていたなんて……」
「そ、そんな事ありませんわ!」
必死に否定しながら、しかしエーデルは信じられないといった調子でサーシャに言う。
「で、でもわたくしは……ずっと貴女を苛めてましたのよ……? 友達と言って頂く資格など……」
サーシャはエーデルの頬に手を当て、微笑んだ。
「言ったじゃないですか。私は、貴女に助けられたと。それに、友達になるのに資格なんていりませんよ。お互いを好きで、友達になりたいとさえ思っていれば、それでもう友達です」
エーデルは、涙がこぼれそうになるのを必死に堪えた。
そして、頭の中にあるリストの事を思い浮かべる。
本当は、何を置いても達成したかった事。でもきっと無理だと思って、リストの後ろに追いやっていた項目。
No.400――『友達を作る』。
「……わたくしも、サーシャさんを友達と呼んで、よろしいのですか?」
サーシャは、ゆっくりと頷いた。
頬に当たるサーシャの手に、エーデルは自らの手を重ねた。
暖かい、と思った。
自分に出来た、初めての友達。
その暖かさに心が満ちるのを感じていると、ふとサーシャが言った。
「じゃあ友達らしく、『さん』付けは止めましょうか」
「! そうですわね! それが良いですわ!」
一も二も無く、エーデルは賛成する。
互いに笑い合い、エーデルは少し照れ臭そうに、おずおずと口を開く。
「ええっと、では……サーシャ」
「はい、エーデル」
敬称無しに名を呼ぶと、ぐっと距離が縮まった気がした。同じベッドに寝転んでいるこの距離に、心が追いついたように思えた。
それから二人は、どちらともなく再び話を始めた。友人同士がする、取り留めの無い話。聞いたらずぐに忘れてしまうような、些細なお喋り。
しかしエーデルにとって、そしてサーシャにとっても、そんなちっぽけな会話が、何よりも大切に思えた。
そして、やはり平民になって良かったと、エーデルは心から感じていた。貴族の時には望んでも得られなかったものが、こんなにも手に入るのだから。
『平民になったらやりたい事リスト』No.424、『友人と寝所で語り合う』の達成――これを皮切りに、リスト後半に軒を連ねる『友人と~』の項目を、目の前の愛らしい少女と埋めていけるのなら、これからの日々がますます楽しみになると、エーデルは密かに心を浮き立たせるのだった。
幸福な気分の中、いつしか二人の少女は、穏やかな寝息を立て始めた。
翌朝。王宮に帰るサーシャを、皆で見送る事となり、イスール夫妻とエーデルは、店の前に並んで立った。店の脇には、既に迎えの馬車が到着している。
「……元気でな。辛い事があったら、いつでも戻ってこい」
「うちの客も皆、サーシャに会いたがってるからね。今度は店の開いてる時にも帰っておいでよ」
「ええ。ありがとう、お父さん、お母さん」
一晩明けたサーシャの表情は、昨夜ここに来た時とは別人のように朗らかだった。
「時間を作って、また早目においでなさい。それまでにわたくしの方でも、授業のカリキュラムを作っておきますから」
「エーデルも、本当にありがとうございます。おかげで私、何とかやっていけそうな気がしてきました」
「『気がする』ではなくて、やっていけるように鍛えて差し上げますわ。それと――どうぞ、これをお持ちなさい」
そう言ってエーデルが手渡したのは、小さなフラスコをかたどったネックレスだった。フラスコは、透明な液体で満たされている。
「これは……?」
「元気の出る、お守りみたいな物ですわ」
そう聞いて、サーシャは早速首に巻いてみせた。エーデルは頷くと、サーシャに向けて両腕を大きく開いた。
「わたくし、知っておりますわよ。友達というものは、別れの時にハグをするものなのでしょう?」
「そ、そうなのですか……? 初めて聞きましたけど……」
おずおずと、サーシャはエーデルの背に肩を回す。それを受けてエーデルも、サーシャの身体を抱きしめた。
そして――彼女の耳元で、微かに囁いた。
「――原因不明の高熱が三日続いたら、必ずお飲みなさい」
サーシャの身体が一瞬、こわばる。しかし彼女はエーデルと抱き合ったまま、しっかりと頷いた。
「……さて。ではサーシャ、またお会いしましょう。その時までどうぞ、お元気で」
「……ええ。またすぐに、お邪魔します」
そして、二人の少女はもう一度、互いを強く抱きしめた。
それからというもの、サーシャは週に一度は必ず店に顔を出すようになった。
「殿下ったら、必ず『エーデルワイスに気を付けろ』と仰るんですよ。お友達になったと説明しても、納得して下さらないし」
「それはまあ、殿下には散々、わたくしの悪女っぷりを見せつけておりましたから」
「殿下が今のエーデルをご覧になったら、あまりの豹変ぶりに卒倒してしまわれるかもしれませんね」
エーデルから教授された作法やマナーが自信に繋がったようで、サーシャは王宮でもどうにかやっていけているらしい。現に、今のサーシャはぐっと明るくなった。
「――おかみさん! カトラリーは外側から使うと説明しましたでしょう! デザートを手掴みで食べるおつもりですか!? ああ、バルカスさんもまた立て肘をついて!」
エーデルの怒声にオルガとバルカスは震え上がる。その対面では、サーシャが優雅な所作で料理を口に運んでいた。
「サーシャはもう大丈夫そうですわね。どこに出しても恥ずかしくない気品が身に付いておりますわ」
「ふふ。エーデルのおかげですよ」
そう言い合う二人の少女。かたや二人の大人は、早くも音を上げていた。
「ねえ、今日はそろそろ終わりにしないかい……?」
「ああ、もう限界だ」
「まだ始めたばかりではありませんか! それに、礼儀作法を求められるのは食事だけではありませんのよ? 挨拶も歩き方も、椅子に座るだけでもマナーがあるのですから。結婚式でサーシャに恥をかかせたくなかったら、頑張って下さいまし!」
エーデルの厳しい言葉に、オルガとバルカスは、テーブルへ突っ伏した。
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