第6話 迎えの馬車にて
牢獄の前には、紋章入りの馬車が停まっていた。そしてその傍には、でっぷりと肥り、いかにも横柄そうな貴族が一人、立っている。
「……ふん」
連れてこられたエーデルを見て、貴族の男は立派に整えられた口ひげを弄りながら鼻を鳴らした。
「感謝するがいい。王子から頂いた任務故、仕方なく、お前のような平民を我が馬車に乗せてやるのだからな」
「お慈悲に深く感謝致します」
エーデルは特に気分を損ねた様子もなく、馬車に乗り込む。
貴族の男もエーデルの対面に乗り、ゆっくりと馬車は進み始めた。
馬車に揺られながら、エーデルは窓から外の景色を眺めている。と言っても今は夜、遠くの方にうっすらと街の灯りが見えるぐらいだった。
「サンドライト家も災難だったな。まさか一人娘が、こんな出来損ないだったとは」
ふと、男がエーデルに話しかけてきた。いや、話しかけたと言うより、馬鹿にしてきたと言った方が正確だろう。
「監獄の中はどうであった? 一週間とは言え、よくぞ耐えられたものよ」
蔑みの表情を隠しもしないこの男はどうやら、平民落ちした目の前の少女を見下したくてたまらない様子だった。無理もないか、とエーデルは一人ごちる。
目の前の男に、エーデルは面識が無かった。つまり彼は、上級貴族のサンドライトとは接点の無い下級貴族ということになる。
身分や階級が全てと考える者にとって、見上げる存在が見下す存在に変わったなら、こんなに嬉しい事は無いのだろう。
出来れば到着まで、会話をせずに過ごしたかった。しかし、問われた以上は答えねば非礼に当たる。
「……非常に得難い経験を致しましたわ」
エーデルとしては本心をそのまま口にしたのだが、
「はん、強がりを」
男には、単に虚勢を張っているだけと受け取られたようだった。
「良い事を教えてやろう、『元』サンドライトの娘よ」
にやにやと口の端を歪め、男は嫌味たらしく言った。
「監獄から出られて安堵しているだろうが、お前が住む場所を知ったら、きっと監獄に戻りたいと思うだろうよ」
「どういう意味です、それは――」
耐え切れぬように、男は恰幅の良い腹を揺すり、下卑た笑いを上げた。
「お前がこれから住むのは、イスールの家なのだよ。そう、お前が散々苛め抜いた挙句、殿下の婚約者の立場を奪い取られた、あのサーシャ・イスールの家族と共に暮らすのだ!」
エーデルは、その目を大きく見開いた。男は彼女が恐怖したと思い、更に追い詰めるべく言葉を続ける。
「当然、サーシャ・イスールの両親にはお前がしてきた事を全て伝えてある。まったく、殿下も酷な事をなさるものだ! よほど、お前に苦痛を味わわせたいらしい!」
そう言われたエーデルは、その顔を両手で覆い、うつむいた。
「ははは、泣け泣け! どうせお前を助ける者など誰もおらん! 今の内に涙を枯らしておいた方が良いかもしれんぞ? ははははは!」
男の高笑いにも反応せず、エーデルはずっと、顔を隠したままだった。
――しかし、エーデルの瞳からは一粒の涙もこぼれていなかった。むしろその口元は、大きく吊り上がっていた。
信じられない幸運、まさに僥倖――
そう、エーデルは泣いていたのではない。笑い顔を見られたくなくて顔を隠したのだ。
これで、サーシャと繋がりが持てる。もしかしたら本当に、自分の夢想が、もう一つの目的が、成し遂げられるかもしれない――
「……ふ。ふふ」
余りの嬉しさに、思わず声まで漏れてしまった。
まずい。いい加減、表情を整えなくてはと、エーデルは平静を装って顔を上げた。
泣き腫らした顔が見られると思っていた男は、平然と微笑んでいるエーデルに眉を寄せた。
「……とても有益な情報を、ありがとうございます。お返しと言っては何ですが、わたくしからも一つ、ご忠告を」
「何だと?」
「サーシャ様はまだ平民のお立場ですが、いずれは王妃となられる身。平民の娘と見下していたら、いつか殿下の不興を買うやもしれませんよ。お気を付け下さいませ」
はっきりと言葉には出していないものの、この貴族がサーシャを内心見下しているのは、口調の端々から明らかだった。
にこりと笑うエーデル。男は、怒りで顔を真っ赤に染めた。
「貴様のような平民風情に言われずとも分かっておるわ!」
そして、エーデルの襟首を乱暴に掴み、声を荒げる。
「いいか、私を舐めた態度を取ると後悔するぞ。お前をそこらの森に投げ捨てる事など、いつでも出来るのだからな!」
「失礼ながら、それは止めた方がよろしいかと」
笑顔を崩さず、エーデルは静かに言葉を返した。
「平民の女一人、送り届ける程度の任務も果たせない――そんな評価を下されたら、家名に傷が付くのではありませんか? まあ、平民には分からない話ですけれど」
しれっと言い放ち、肩をすくめさえするエーデルに、男は言葉にならない呻きを上げる。
だが、言い返す言葉は思い付けなかったようで、襟から手を離すと、苦虫を嚙み潰したような面持ちで馬車に座り直した。
そして、歯をがちがちと鳴らしながら、エーデルを睨み据えている。紅潮した顔には、血管まで浮き上がって見えていた。
これでようやく、静かになりましたわ――
向けられる怒りを歯牙にもかけず、エーデルは再び、外に目を向ける。
気付くともう、街は目の前だった。
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