離脱少女

甘木 銭

離脱少女

 私は、人との関わりは麻薬のような物だと考える。


 あっても害でしかないというのにそれは妙に甘美で、一度味わうと手放すことが出来なくなる。


 孤独の寂しさを紛らわせるため、もしくは一時的な快楽のために、友情や愛情という名前を付けて人は他人に依存する。そしてそこから離れられなくなり、いざ一人になった時、最初に抱いた以上の孤独に苛まれることになる。

 まったく馬鹿馬鹿しい。


 私がそれに初めて違和感を抱いたのは小学六年生の時だった。当時の私は同じクラスの女子五人のグループでよく行動していた。そのクラスにはちょっと鈍い男子がいて、一部の男子が彼をからかっていたのが始まりだったと思う。そこにちょっと気が強い女子が加わって、それからあっという間にクラス全体が共犯者になっていた。


 とはいえ、私も友達も特別彼に何かをしていたわけではなかった。ただ、何もしなかった。学校では「見て見ぬフリもいじめに加担しているのと同じ」なんて言われるけれど、知ったことではない。ハッキリ言って巻き込まれたくない。

 自分たちに関係の無い所でやってくれる分にはどうでもよかった。


 しかし、ある時グループの中の一人がその男子をからかうようなことを始めた。誰に求められるでもなくそれは始まり、他の三人も一人、また一人とその中に加わりだした。初めは嫌々やらされていただけの子も、最後には当たり前のようにあちら側にいた。彼女達の態度は段々と私にも参加を求めるようなものになっていき、私は孤独になる恐怖と強烈な違和感の間で一週間葛藤し、結果逃げ出した。


 それ以来、私と彼女達との国交が回復することは無かった。

 望まぬ形でとはいえ、私は自分から人の輪を離脱した。それまで友人たちに依存していた私には、孤独の苦しみは耐えがたいことだった。少なくとも当時はそう思っていた。


 小学生の世界は狭い。クラスメイトから投げかけられる視線にも逐一心がざわつき、卒業までの半年間で私の胃はすっかり弱ってしまった。


 しかしそこから抜け出しさえしてしまえば、最後に訪れるのはとてつもない解放感だ。苦しいのは最初だけ。邪魔者がいなければ世界が広がり、己の視野の狭かったことに驚く。そうか、別に誰かと一緒にトイレに行く必要なんてどこにも無いんだ。


 けれど、きっと最初から一人でいたのでは気が付けなかったことだと思う。他人と関わる煩わしさを知っているからこその解放感と自由の自覚。解放されて初めて、今まで自分が苦しい所に拘束されていたのだと気が付く。


 人は一人でも生きていけるとは思わない。人間が生きていくためには他人が必要だ。実際私も生活は親に頼っていた訳だから。だがその関わりは最低限でいいのだ。仕事のために必要ならばいくらでも会話はするし、呼びかけられれば応答もする。互いに依存性の無い、健全な人間関係。


 親も所詮は自分を育ててくれるだけの存在だ。お互いにそれっぽい幸福を演じるためのツールに過ぎない。私は未だに、母が私に向けて笑っている所を見たことが無い。

 私は何をするにも群れて行動する元友人たちを眺め、鼻で笑っていた。今思えばこれは拗らせ過ぎだけれど。


 一度離脱してしまえば、もう他人は必要なかった。

 けれど、それも徹底したものとは言えなかった。


 中学二年生の春。私には再び友人が出来た。出来てしまった。


 進級して新しいクラスになり、席が前後になった女の子が話しかけてきたのがきっかけだった。一年生の時の私は誰とも関わりを持つこと無く一人で一年を過ごし、クラスで孤立していた。連絡事項以外で私に話しかける人はいなかったのだけれど、同じクラスになったばかりの彼女はそれを知らなかったのだろう。知り合いの少ないクラスで、早く依存先を見つけるために手近な人間に話しかけてきたのだと思う。


 私は彼女からの質問に適当に答え、不快にさせない程度に相槌を打つだけという作業で彼女に接していた。

 彼女は以前のクラスの話や最近流行っているドラマの話、家族の話を延々としていて、私は不快な感情を隠しながらただ黙って、表面上だけ彼女の話を聞いていた。何を勘違いしたのか、彼女は私のことを「よく話を聞いてくれる子」だと思ったらしい。しかしよくよく話を聞く内に、彼女は意外と私と趣味や感性が似ていることが分かった。


 彼女との会話は、徐々に苦でもなんでもなくなっていた。

 だから気が付くのが遅くなった。


 翌年、また同じクラスになった私達は、かなり長い時間を一緒に過ごした。お互いの家に遊びに行き、休日には連れ立って買い物に出かけた。彼女の友達とまで会話をすることは無かったけれど、それについては特に何も感じなかった。


 高校は別々になってしまったが、二人はずっと友人だと誓っていた。

 進学を控えた春休み、私は彼女との連絡を絶った。


 彼女は何一つ悪くなかったけれど。ただ、私の中に現れた危機感だけが原因だった。自分の行為に悶え、三日ほどは何かある度に鼻の奥がツンとなったが、後は楽なものだった。私はまた解放された。今はもう彼女の顔も思い出せない。


 高校の三年間は、ずっと誰とも関わること無く過ごしていた。新しいクラスになる度話しかけてくる人はいたけれど、彼女の様な物好きはもう現れず、すぐに私から離れていった。何の依存も無い生活は、私にとって快適の極みだった。


 たまに、孤立した私を見てこそこそと何かを言う連中もいた。しかし、そうやって群れて他人を嘲笑いながら優越感に浸るよりも、一人でいる方がよほどマシだと逆に笑ってしまえば、何も気にならなかった。群れに依存し続けている彼ら彼女らが憐れですらあった。


 しかし、そうだ。三年生の十二月。

 クリスマスが終わり、冬休みが直前に迫ったあの日。


 私は人生で初めて告白された。罪のではない。恋愛的な意味での。

 それまで恋愛も結婚も自分には縁が無いと思っていた私には晴天の霹靂であった。大体、三年間一人で過ごしていたような私に告白なんて、罰ゲームか何かではないかと思った。

 自分でも好きになる要素が見つからない。何故私に、と問いかけると、二年生の時から同じクラスだったその男子は、


「さりげなく優しい所とか、ずっと気になってて……」

 次に私は、どうしてこんなおかしなタイミングで告白してきたのか聞いてみた。

「クリスマス前に焦って告白したと思われたくなくて……」

 と答えた。


 彼が言う私のさりげない優しさにはとんと思い当たるところが無かったけれど、なんとなくその回答が気に入ったので、その場で交際を了承した。面白かったので罰ゲームでも別にいいかと思った。思えばこれが浅はかだった。


「大丈夫? かなりうなされてたけど」

 軽く体を揺さぶられ私の意識は現実に引き戻される。熱がまだ下がっていないようで、体が熱くなんとなく息苦しい。なんだか、色々なことを思い出してしまった。


「帰ってていいって言ったのに……」

「いやー、でも一人暮らしで倒れたらしんどいでしょ」


 私のかすれた声に、彼は笑いながら答え、立ち上がる。風邪をひいたので今日のデートには行けない旨を伝えたら、すぐに家までやって来て身の回りの世話を始めてしまった。迷惑はかけたくなかったのに。


「お節介ー……」

「こっちから世話焼かないと、人に頼るってことをしないからなぁ」


 六年もの付き合いで、私の性分はすっかりお見通しらしい。むくれた顔で台所へ向かう背中を見つめながら、これ以上何を言っても無駄だと思い直す。彼は私のことを優しい人間だと思っている。一人になりたがるのは、他人に煩わしい思いをさせないためだと。


 そんな訳が無いのに。


「依存しなくていいから、困った時は頼ってよ」


 以前彼に人間関係はドラッグだと持論を展開したら、笑いながらこんなことを言われてしまった。以来彼は、私の世話を焼く度に同じことを言ってくる。


 けれど私はいつの間にか、彼に依存してしまっている。


 いつか彼からも、離れたくなってしまう時が来るのだろうか。その時が出来るだけ先であればいいなと思いながら、私は再びまどろみの中に飲まれていった。

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