第32話 まだ見ぬ敵
船首隔壁付近・麦畑の中――
「メッセージは送ったのか?」 路肩に駐められたビーストの車内をのぞき込んで、ピーボが訊いた。
「うん、今……。舞衣に添削してもらってね」と、気恥ずかしそうに純一は答えた。
右のドアを開けたままの運転席で、マーロから借りた樹脂テープを使って、彼は外れてしまった
「よほど作文に自信がないとみえるな」
口を尖らせて純一は論駁した。
「サイバーパトロールに読まれてもいいように! それに、ああいう暗示的なのって、オレじゃ書けないよ」
「ほう……」
「説明全部書いてる時間ないから、添付ファイル付けたんだ。そっちが引っかからなければいいんだけど……」
「大丈夫です。ネルソン号に届いてますから」と、ブーモが言った。「例のトランスポンダのことはまだ知られていません。それに、サイバーパトロールも今、商用の回線までは手が回らないでしょう。一般の回線はどこも、パニックに近いビジーです……」
日に焼けた麦わらの懐かしい香りが、ドアを開け放した車内を、乾いた風に乗って通り抜けていった。行き交う車もない車道の真ん中で、のびをしていたマーロが言った。
「そんなとこだろうな。連中、今は制御系スクリプトの探知に神経を尖らせているはずだ。これ以上、AIのダウンが広がらないように……。つまり、それどころじゃないってことさ」
「とにかく、ネルソン号まで届けば……」とつぶやいて、純一はフロントガラスの向こうへ目をやった。まだ若い街路樹の下に、ソルジャーたちを前に何か話す、舞衣の姿があった。その声が微かに、そして、どこかおままごとのように聞こえてきた。
「あなた、お名前は?」
「#○%Ω△×ω*……」
「それは製造番号でしょう?」
「コードネームは、アサシン01だ」と、やりにくそうにソルジャーレッドは答えた。
「01、02、03……? わかりにくいわ。……それじゃ、こうしましょう。みんなカラーマークの色で呼ばれることがあるって聞いたから、アースネームも色にちなんで決めましょう。それでいい?……。――そう、それならあなたは〈ソルジャーレッド〉ね。ニックネームは? 『レッドショルダー』? そう呼ばれたことがあるのね。なら、それがいいわ。あなたは〈ソルジャーブルー〉。ニックネームは?…… そう。なら、ちょっとクールだから、『ブルー・オーシャン』にしましょう。あなたは〈ソルジャーイエロー〉。うん、『イエロー・サブマリン』がいいわ。あなたは〈ソルジャーパープル〉。夜明け前、『パープル・スカイ』ね。あなたは〈ソルジャーグリーン〉。『グリーン・グリーン』が素敵。あなたは〈ソルジャーブラック〉。ちょっと怒りんぼさんだけど、『ブラックベリー』にしましょう……」
「
「昔からAIとは仲がいいんだ」と、純一は苦笑して言った。
見ると、彼女はソルジャーをひざまずかせて、ローラの持つ風呂敷ほどの大きさの布を、スカーフのように、それぞれの首に巻き始めた。色とりどりの布は、ビーストに積んであった遊説用の
「……ねぇ、似合ってると思わない?」
「
「カワイイ……」
「鼻の下伸ばして……、
「見事な兵員
「僕も、ほら……」と言って、純一は上に羽織ったベストをつまんで見せた。
「女王陛下の
「カールたち、まだかなぁ」と、純一はつまらなそうにつぶやいた。
農業用共同地下溝のポッドは、歩道の街路樹と街路樹の間にあった。マンホールは
ここ遠心重力船の中は台風も季節風もなく、
天井陸地からは丸見えのはずだが、この世界では視界を遮るグッズも豊富に揃っているらしい。必要は発明の母ということだが、だからといって、収穫間際の実りを敷物の代わりにされてはたまらない。そこで警戒のためドローンを飛ばすようになったのだが、そんなドローンの取り締まりから逃れるのに、地下施設は何かと都合がよかった。その結果、この農業用共同溝には侵入者が後を絶たなくなり、散らかしたり落書きをされたりしたことから、集中管理式の施錠が当たり前になったのだという。その鍵を開けてもらうため、環状道路の地下に収まっているという管理AIのもとへ、カールとレノが向かっていたのだった。
「まだ開かないね……」
共同溝ポッドの蓋に埋め込まれたレバーを握って、純一は動かそうとしていた。開いたままのドアに片肘を乗せて、マーロが言った。
「ここから隔壁までは、まだ距離がある。環状道路から潜ってもよいはずだが、用心深いな」
ちょっと眉を曇らせて、純一は言った。
「誰かに見張られてるような気がするんだ。だから……」
「見張られて?」と、膝の上のタブレットから目を上げてハーロが訊いた。
「そうだな」と言って、ピーボは突っ立ったまま腕を組んだ。
「見張られているんだって……」
「いやだ……。気味が悪い」と言って、舞衣はローラと顔を見合わせた。
「議長は狙われてた……」 純一は助手席に腰掛け、思案顔で言った。「失神していたはずのバトラーが、あのタイミングで目を覚まして、しかもいきなり鉄砲撃って、それが議長のサポに命中なんて、偶然じゃあり得ないでしょ?」
「確かにそうだ」と、マーロ。「乗っ取られたとしか思えない……」
「しかもあのサポは、非常大権の発動に必要な〈フットボール〉だった」と、ピーボが言った。
「そう、議長じゃなくて、サポだったんだよね」
「狙ってやったと見るべきだろう。議長本人を
「その場所に僕たちはいたわけだし、それに今こうして、ビーストに乗って、ソルジャー引き連れて、車が一台も走ってないような道を走って来てる。あの反乱がバトラーの気まぐれじゃないとしたら、そいつらはきっと、僕らのことも気にしてると思うんだ。僕はお尋ね者だし、舞衣は有名人だから尚のこと……」
天井を指した指を、純一はクルクルと回して見せた。
「この船の屋外って、どこからでも丸見えじゃん? 隠れる場所がないよ。だから、とりあえず潜っちゃった方がいいんじゃないかなって……」
「船倉階の通路にも、監視用のカメラがあることはある」と、ピーボが言った。「但し、この騒ぎだ。こんな辺境の業務用カメラを、敵が呼び出せるかどうかだが……」
「地上にいるよりはマシさ」と、ため息交じりにマーロは言った。「まだ見ぬ敵が、どこかで見ている。最悪の気分だ……」
「まだ見ぬ敵……」と、思案顔でハーロは言った。「そいつは、この大惨事を招いた張本人で……」
「ポラリスやモジュールAIを狂わせる技術を持ち……」と、ピーボ。純一が続けた。
「議長も市民もみんな、船ごと地球にぶつけて皆殺しにしようとしている」
「あり得ないくらいの悪党……」と、ローラがつぶやいた。
「狂ってる。IPGSだ」と、苦虫をかみつぶした顔でマーロが言った。
ふと、いぶかしげに純一が訊いた。
「で、それって、いったい誰なの?」
「え?……」
「真犯人、首謀者、一番悪いやつ……」
そこにいた誰もが皆、不思議そうに顔を見合わせた。言われてみればその通りだ。テラ・リフォーミング推進するハーズのことばかりが頭にあって、議事堂船地球突入が誰によるものか?など、ことさら疑問に思うこともなかった。
「まぁ、いわれてみれば……。ハーロ、知っているか?」と、マーロが訊いた。
「いや、それについては全く情報がない。マーロ、君は?
マーロはとぼけた顔で、「うちは本来、三権に向けた調査組織なんだ。対テロは畑違いなのだが……」と、言った。「ブーモ、君は? 見当くらいは付いているのだろう?」
元博物館の学芸員だというAIは、「確たる根拠もなく、迂闊なことを申し上げることはできません……」と、人ごとのように言った。
もどかしげに純一。
「『彼を知り己を知れば百戦
「その『彼』が誰かわからんのでは、どうしようもない」と、ピーボが可笑しげに言った。思わず純一は、ぽかんとなった。
「きっと……」 おずおずと、舞衣が言った。「グモス大佐を暗殺した組織だと思う……」
「グモス大佐……暗殺?……」
「うん。最高評議会でも見つけようとしてたけど……」
「最高評議会じゃなかったんだ」
「うん。それはきっと、違うと思う」と、舞衣はよどみなく言った。
「そうね」と、ローラも相づちを打った。
座席から身を乗り出して、ハーロは舞衣に訊いた。
「大佐暗殺について、最高評議会がどのような見方をしていたのか、わかりますか?」
「議長の
ひとつひとつ思い出しながら、舞衣は言った。
「
「やはり移住派か?……」
「あれほどの大組織になってもか?……」
「いいえ、確かなことはわかりません。だから……」
「わかっています」と、ハーロ。「しかし、ヒントにはなるかも知れない。ほかにはなにか?」
「議長はこんなことを……『移住派とは、今や独立派のことだ。
「確かに移住派は、新天地の独立を掲げていたが……」
「『移住それ自体が、我が共同体分裂の
「その人が黒幕?」と、純一。
「ううん、わからない」
「しかし、もしそうだとすると、わかりやすすぎないか?」と、ハーロ。「絵に描いたようだ」と付け加えるのも忘れなかった。
「で、結局、敵は誰なの?……」
「さぁて、誰なんだ?……」と、皆が皆、不思議そうに顔を見合わせた。
どこの世界でもそうだが、悪役が
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