双子の老婆とガーデンパーティー⑤
「ルイスさん、オリビアです!」
三階まで疾走したオリビアは精霊の間の扉をノックした。
「突然すみません、お伺いしたいことがあって……」
返事はない。眠っているのだろうか。
ドアノブを捻ると鍵はかかっておらずに開いてしまった。
不用心だな、と思いつつも中に入る。ルイスはホテルをうろうろと歩き回っていることが多いため、いちいち部屋の鍵をかけないらしい。
「ルイスさーん。寝ていたり……、しませんよね?」
ベッドも空っぽだ。
小さなトランクひとつで来たルイスの部屋は驚くほど物がたくさんある。
変な形のオブジェや、知恵の輪みたいなものや、分厚い洋書はもともとこの部屋の備え付けだ。『精霊の間』と名付けるくらいだから、摩訶不思議系の調度品を飾っているのだと思っていたが、こうしてルイスが滞在していると不思議としっくりとくる。祖父が、ルイスが滞在する日の事を想ってコーディネートしたのだろうか。
テーブルには無造作に手紙が放置してある。
親愛なる精霊師どのへ。
ここに来た時にルイスに見せられた手紙だった。
一度見ているものだし、ルイスだってオリビアが見たところで怒りはしないだろう。
オリビアはついつい手紙を取り出してしまう。オリビアを頼む、と書かれた内容は何度読んでも変わらない。祖父はルイスにオリビアの事を託したからもう心配はいらないと判断してあの世に旅立ってしまったのだろうか……。
「……あれ?」
はじめに見せられた時は気づかなかったが、書き出しの部分は紙の繊維がぎざぎざとしていた。まるで、書き損じた部分を切って捨てたかのようだ。
(そういえば、おじいさまの手紙にしてはずいぶん短いわよね?)
顧客に手紙を書いたりする祖父はお決まりの口上のような季節の挨拶を書くのもお手の物だったはずだ。第一、鍵を託すくらいの相手なら、「元気か?」の一言でもあってもおかしくはないのに……。
「オリビア?」
部屋の扉が開いてギクッとした。
「ひいいいっ⁉」
ルイスが帰ってきて驚いただけではない。部屋に入ってきた彼の後ろにはぞろぞろと行列を作った霊たちがくっついているのだ。
先陣を切るルイスはさながら冥界の神である。
「なななな……」
「ああ、すまない。人間たちが賑やかに茶会を開いているのがうらやましいと霊たちが言うもので……、我々は見張り塔の上でパーティーを開いていたんだ」
「見張り塔は宿泊客立ち入り禁止ですよ⁉」
「ちゃんとハワード殿から許可は頂いたぞ?」
霊と共にパーティーを開きたいと言ったルイスに、ハワードが二つ返事で許可を出したらしい。その様子が目に浮かぶようだ。また何か変なことを言ってるな~と思ったに違いない。
「そんなことよりどうしたんだ? 今日は一日忙しいと言っていたではないか」
ルイスは手紙を見ていたオリビアを咎めたりはしなかったが、オリビアはなんとなく決まりが悪くてデスクから離れた。「すみません」ともごもご。手紙をサッと戻し、「ええと」とここに来た用件を話す。
ドリー・メリー夫人のために精霊を集めることができるかというと、ルイスはこともなげに「できる」と言った。引き出しの中から、指でつまめるサイズの小さなベルを取り出す。
「それは?」
「自然霊を呼び出すものだ。師匠の形見だよ」
オリビアはテラス席へとルイスを案内した。
日は傾き、空は薄紅色に染まり始めている。花と軽食を堪能した客たちは帰りはじめ、従業員たちも見送りをしながら片づけを始めていた。
「あれっ、どちらに行かれたのかしら……」
二人が座っていたはずの席は空っぽになっている。
お茶やお菓子にも手が付けられていない。
来たばかりで帰ったとも考えにくく、通りかかった先輩コンシェルジュに尋ねたが見ていないという。
「あの姉妹、いらしてたんだ。気づかなかったな」
「さっきついたばかりだといっていたわ」
「あ、そこのティーセットってあの姉妹のためのだったのか。手つかずだし、片付けていいのか困っていたところだったよ」
オリビアを待ちくたびれて自分たちで精霊を探しにいったのかもしれない。
戻ってくるかもしれないからとティーセットはひとまずそのままにしておいてもらい、オリビアはルイスと共に辺りを探す。
「もしかして、きみが言っているのはあの二人か?」
ルイスが指さした方向、アネモネの海の中に二つの影が見える。
「あ! そうです!」
同じ背格好に髪型なのでわかりやすい。
オリビアはほっとして大きく手を振ると姉妹も手を振り返してくれた。
「ルイスさん、あの花畑に精霊たちを集めてもらえますか?」
「わかった」
ルイスは頷くと小さなベルを鳴らした。
りりん、と鈴を転がしたような音がする。庭のあちらこちらから聞こえてきたのは、きゃはきゃは、という子どものような声だ。
花畑から、木陰から、空気中から。
ふわり、ふわりと、シャボン玉や蛍のように現れた光が花畑を目指して飛んでいく。
「見て、ドリー! 妖精よ!」
「見て、メリー! あんなにたくさん!」
手を取り合って二人は大喜びだった。
オリビアとルイスがゆっくりと花畑に近づくと、精霊たちが嬉しそうに二人の夫人の周りを飛んでいた。じゃれるように髪や身体にまとわりついている。
ドリーとメリーは足取り軽くくるくると回った。
足取り軽く、若々しげに……。ゆったりとした動作で歩いていた二人は、少女のように若返った姿になっている。オリビアは絶句した。
「ああ、良かったわ。夢がかなった」
「いつか見た夢の内容とおんなじね」
「ありがとう、オリビアさん」
「ありがとう、麗しい殿方」
微笑み合った二人は手を繋いだ。
「さよなら、みんな。あたくしたち、あなたたちにお別れが言えて良かった」
「さよなら、みんな。忌み子と呼ばれていたあたくしたちは、あなたたちと過ごす夏があったからここまで頑張れたのよ」
精霊たちと踊る二人は薄紅の空に向けて歩き出した。
二人は振り返る。
オリビアとルイスに向けて手を振った。
「「西から来る嵐に気を付けて」」
「え?」
予言めいたことを告げた二人は消えた。
青と白のアネモネに薄紅の空。たゆたう光たちによって曖昧な紫色に染まっていた世界は急に温度を無くしたように静まり返る。
「き、消えた?」
茫然とするオリビアにルイスの方が驚いた顔をしていた。
「消えて当然だろう。あの二人は死霊のようだったし」
「え⁉」
「未練を残して彷徨っていた霊をあの世に送ってやりたいというきみの心遣いで俺を呼んだんだろう? よそから来た霊のことなんて知らないと冷たいことを言っていたきみが心を砕くなんて感心だと思ったのだが」
「う、うそうそうそ! だって、ちゃんと歩いてたし! 椅子にも座ってたしっ……」
でも、菓子や茶には手を付けていなかった。
喉が渇いたと言ってオリビアにお茶を頼んだはずだったのに。
青ざめたオリビアはくらりと倒れそうになった。
(わたしは幽霊のドリー夫人とメリー夫人とずっと話していたの?)
体調が悪いからと宿泊をキャンセルされた二人。そもそも、あの電話は? 二人はいったいいつ亡くなられていたの?
ルイスは言いにくそうに頬をかいた。
「まあ、その、俺の事をあれこれ言う前に、きみの方も気をつけたほうがいいんじゃないか? 端から見たら、きみは誰もいないはずのテーブルにお茶を運び、ぺらぺらと独り言を喋っていたコンシェルジュだと思われているぞ」
「い、いやーっ!」
頭を抱えてしまう。
「……だが、良かったんじゃないか。あの二人は嬉しそうだった」
「…………」
それはその通りだ。あの二人が古城ホテルでの最期を望んでいたのなら――体調を崩し、寝たきりになっていたという姉妹の訃報が届いたのは数日後のことになるが――満ち足りた二人の笑顔は、コンシェルジュとしてお客様の力になることを望んでいたオリビアにとって唯一無二のものだ。
「ところで、西から来る嵐とは何のことだ?」
「あ、ええと……。あのお二人はよく予知夢を見るそうで、お泊りになると、ああして予言めいたことをおっしゃることがあり……」
「ほう、予知夢」
ルイスは興味深そうな顔をしていたが、オリビアは精神に大打撃を受けてそれどころじゃない。ああ、早く持ち場に戻らなくちゃ。これから夜のディナーがあるのだ。
「あの、……やっぱり夜のディナー、参加されませんか?」
「?」
「えーっと、ほら、霊たちが何かした時、わたし一人じゃ不安ですし」
「それなら心配いらない。騒ぎを起こしそうな連中は、俺がひとところにまとめて相手をしていたから、今日一日問題なく過ごせたはずだろう?」
「そ、そうですけど」
オリビアは迷う。
自分がこんなことを言えた立場ではないけれど。
「ルイスさんはもう少し人と関わった方がいい気がするんです。霊だけじゃなくて」
「それ、きみが言う? 霊が見えるって言えなくて、表面上の付き合いしかできていないようなきみが」
「え」
思いがけない嫌味が飛んできてグサッときた。
ルイスはハッとした顔をする。
「違っ、す、すまない。何を言っているんだろうな、俺は」
参加するよ、とルイスは言った。
とってつけたような同意に、オリビアは何と言っていいやらわからない。
「すまない。本当に。ただの八つ当たりなんだ」
「八つ当たり?」
「きみが楽しそうにパーティーの準備などをしていたところを見かけたものだから……。嫌な言い方をしてしまった」
「あ、そ、そうなんですか……」
本当に?
訝る気持ちはあったが、ルイスと喧嘩をしたいわけではないしと、オリビアは一応は納得したふりをした。こういうところなんだろう、自分の良くないところは。
「じゃ、あの……。わたし、準備に行きますので、ちゃんと来てくださいね」
「ああ、うん。ちゃんと行くよ」
ルイスから離れたオリビアを手招きしている従業員たちの姿が見えた。
オリビアは振り返る。
薄闇にぼんやりと立つルイス。
今、手を引っ張って一緒に連れてこれば良かったな、と後悔した。
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