一方通行の恋にご用心①
「ちょっとちょっとちょっと~!」
休憩が重なったメアリに肩を叩かれたオリビアは、うっかり喉にサンドイッチを詰まらせそうになった。話題はなんとなく想像がつく。
「なーに? あのキャスリンとかいうヨメ! ワガママ放題じゃない~!」
昨日やってきたモンド夫妻だ。
あの後、散策を終えて戻ってきたキャスリンは部屋に戻ったと思ったらまたすぐに出て行ってしまった。少し経ってフロントにやってきたロジエールは申し訳なさそうにコンシェルジュデスクにいるオリビアに頭を下げにやってきた。
夫妻が止まる予定だった部屋は一階の角にある『木漏れ日の間』。
しかし、キャスリンが「眺めが良くない。部屋が気に入らない」と言っている。上階に空き部屋はないだろうか、と部屋替えの要求だった。
「大体、予約するときにフロアの希望を聞くものじゃないの?」
メアリの言うことはもっともだ。
階段の上り下りが大変だから一階の部屋がいい。景観よりも静かにぐっすりと眠れる部屋がいい。……など、すべてのお客様の要望に従うことは難しいができるだけ対応できるようにしている。そのためにホテルの客室数も絞っているのだ。
「もちろん聞いているはずよ。でも、ずいぶん気まぐれな奥様のようだから……」
一度は断ったはずの美術館のチケットも「やっぱり行きたい」と受け取りにやってきたくらいだ。部屋の変更は何度もできるわけではないことをロジエールに伝えたのち、三階にある『貝殻の間』を使ってもらうことになった。見晴らしは良いが部屋の広さは『木漏れ日の間』よりも狭くなることも了承済み。
すぐに清掃係のメアリにベッドメイキングを頼み、ポーターに荷物を運んでもらって二人は部屋を移った。
「急な清掃に対応してくれてありがとね」
「いいのよ。仕事なんだから。それより……」
他のスタッフであれば困った客だと肩を竦めて終わりだが、メアリは違う。
らんらんと目を輝かせてメモ帳を取り出すとペンを走らせた。
「いや~素晴らしいわ~。いかにもワガママな妻と尻に敷かれている夫って感じね。奧サマの愛用の香水はマルジェーラのホワイトリリーだった。お洋服も全部マルジェーラ。性格にそぐわない清楚系ブランドっていうのがまたなんともいいキャラだわ」
「…………」
「ダンナの方は大人しそうに見えてプライドが高そうね。着ている服は無難なラインだけど、靴はぴっかぴかの高級革靴。案外、ああいう男の方が外に女を作ってたりするものよ」
「よそに恋人を作っていたら奥様のワガママになんて付き合わないんじゃ……」
「いやいや。惚れた方が弱いっていうじゃない。美女に猛アピールして結婚したはいいけれど、妻は釣った魚に餌をやらない女だった。そこで夫も、浮気を繰り返す妻への当てつけのように浮気を始めたものの効果なし。機嫌取りのために旅行を決行するも、妻はこのホテルで若い男を誘惑……、夫は愛が憎しみに転じ、妻を衝動的に殺害……」
「ストップストップ!」
後半はすべてメアリの妄想だ。
オリビアが止めても彼女の話は止まらない。
「どうやって殺したらいいと思う? あの美人な奥様なら、花畑の中とかが似合いそうじゃない? 題して、『花の監獄殺人事件』……」
「メアリってば!」
メアリは変名を使ってひそかに大衆紙に小説を掲載しているのだ。
題して『ホテル・アルノーの事件簿』。
高級ホテルで起こる事件や犯罪、はたまた男女の愛憎劇を探偵役でもあるホテルマンが華麗に解決していくという……なかなかどうして人気のある連載らしい。
オリビアも愛読していて面白いは面白いのだが、ホテルの描写のディティールはヴォート城そっくりでヒヤヒヤする。読む人が読めばモデルがこのホテルだと丸わかりだろう。
「……メアリ、いつも言ってるけどお客様の個人情報がばれるような内容はやめてちょうだいね?」
「もちろんよ。フィクションよフィ・ク・ショ・ン」
どんなに部屋が散らかっていても文句を言わずに掃除をするメアリの仕事は素晴らしい。もちろん、ご用命がない限りはお客様の私物を勝手に移動させたり、クローゼットの中を開けたりすることはない。たまたま見てしまったお客様の部屋の私物からインスピレーションを得ているだけというのが、こちらの作家様の言い分だ。
いいネタがあったら頂戴ねと笑ったメアリは、次の原稿のネタにモンド夫妻を使う気満々のようだった。
◇
「オリビア、これをきみに」
コンシェルジュデスクにやってきたルイスは古い腕輪をオリビアの前に置いた。
まったく飾り気のないつるんと磨かれた金属の表面に、猫の目みたいな緑の石が一粒埋まっている。
「なんですか、これ?」
「精霊の間で見つけたんだ。きみが持っているべきだと思ってね」
「はあ……」
精霊の間にあった物ならこのホテルの備品ではないだろうか。
あるいは祖父がルイスに渡すために置いておいた物?
「遠慮しておきます」と辞退する。
あまりかわいいとも思えないデザインだし、そもそも仕事中にこんな腕輪をつけていたら邪魔になりそうだ。
なのにルイスは「持っているべきだ」と頑なに主張した。甘い香りがふわりと漂う。
(キャスリンさんの香水の匂いだわ)
今日もまた彼女と一緒にいたのだろうか。
ルイスがどこで何をしようとオリビアには何の関係もないはずなのに妙に気に障ってしまう。
「今、時間はあるだろうか。きみと話がしたい」
「なんでしょうか」
「……ここでは話しにくい。庭園……、いや、裏の畑に案内してくれないか」
「あそこは従業員以外立ち入り禁止ですよ」
「では狩猟館」
「今日は清掃中です。ラインフェルト様に勧められた通り、剥製の手入れを行うそうなので」
「なぜそんなに怒った態度を取っているんだ? なんでもいい。今すぐきみと二人きりになれるところで話がしたい」
「なっ……」
この男は、またそんな女たらしのようなセリフを……。
かあっと赤らんでしまった顔を誤魔化すように咳払いをする。
(本当に、なんでこんな風に怒った態度をとってしまうんだろう)
宿泊客に対していちいち個人的な感情を抱くなんておかしい。
なのに割り切れないのは、『ルイスは祖父にオリビアの事を頼まれていた』からだ。
彼がヒーローみたいにオリビアの事をオカルト現象から助けてくれるものだと期待していたのに、別の女性と親密そうにしているものだから……、なんだか裏切られたような気持ちになってしまっている。
「ならば致し方ない。俺の部屋に……」
「――ルイスさん!」
ぱっと現れた華やかな声と、上品で甘い香水の香り。
白いワンピースのキャスリンが甘えるようにルイスの腕にしがみついた。
「こちらにいたんですねっ。いつもの場所にいないから探しました」
「ああ、彼女に話があって……」
「お話はもう済みました? わたくし、美術館のチケットを持っているので、よかったら今から町へ出かけませんか?」
上目遣いで可愛くねだるキャスリンに、
「……わかった」
とルイスは了承した。
そして二人は連れ立ってエントランスを出て行ってしまう。
行ってらっしゃいませ、とフロント係やドアマンと共に頭を下げたオリビアだが、腸は煮えくり返っていた。
(なによ! 結局キャスリンさんを選ぶんじゃない!)
オリビアと話がしたいと言っておきながら、キャスリンに声を掛けられたらそちらに行くんですか。ああそうですか。
コンシェルジュデスクを立ったオリビアは支配人室にいるハワードに直訴してやろうと決めた。タダ飯食らいの上に宿泊客の奥方とべったり。ホテル内の風紀が乱れるとか、独り言が多くて苦情がきている件だとかを盾にホテルから追い出してやるのだ。おじいさまの友人だろうがなんだろうが、もう知ったことか!
ノックをしたが残念ながらハワードは不在だった。
すごすごデスクに戻ったオリビアを待っていたのはロジエールだ。
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