花と亡霊②
(どうしておじいさまはあの人に鍵を託したりしたのかしら)
古城ホテルの霊をどうにかして欲しいなんて生前に聞いたこともない。
雑踏の中を歩きながら、ついついあの変な精霊師の事を考えてしまったオリビアは頭を振った。ぼうっとしていては人にぶつかってしまう。
ルイスに所用があると宣言した通り、オリビアは街に出ていた。
遊びではなくこれも仕事――チェックアウトするお客様を送迎する蒸気自動車の助手席に同乗したオリビアは、駅で客を見送った後、美術館とレストランをはしごした。
今日の夕方にチェックインされる客の要望だ。
首都リムレスに住んでいるというモンド夫妻。結婚三年目の旅行として宿泊予定で、スムーズに観光ができるように入場チケットとレストランの予約を取っておいてくれないかというリクエストだった。
ロヴェレート地方はのどかな田園地帯で、ヴォート城から観光で行けるウェストタウンは芸術家の街として有名だ。
レストランは「おしゃれだが気取らないところがいい」との希望だったため、カップルや観光客に人気の店を選ぶ。ロヴェレート地方の伝統的なトマトとチーズ料理が食べられると評判で、楽隊の生演奏もある素敵な店だ。
ついでに街もざっと見て回り、新しくできた店などがないかもチェックしておく。
午後。オリビアが古城ホテルに戻ると、コンシェルジュデスクに待ち人がいた。
(げっ)
まったく嬉しくない相手だ。
ナンパ男の幽霊が金髪の巻き毛をかき上げ、『ハァイ。待ってたよ、カワイコちゃん』とポージングしている。この様子ではまたしつこくまとわりついてくる気に違いない。
「え、えーっと、そういえば、あの件、どうだったかなぁ」
来たばかりのオリビアがデスクを回れ右したら変だ。
フロントやドアマンに聞こえるような独り言を呟き、「偶然何かを思い出した」素振りで自然にコンシェルジュデスクに近寄らないようにしようとした。
が。
「あ、オリビアさん。モンド夫妻の到着時間が早まるそうです。一応メモに残しておくってカールさんが」
フロント係が午前のコンシェルジュからの伝言を教えてくれた。
メモ。コンシェルジュデスクにある、メモ。……話の流れ的に今確認しないと変だ。
「あ、そ、そうなんですか。わかりました。ありがとうございます」
見ないフリ、見ないフリ!
オリビアはナンパ男を無視し、件のメモを確認した。十七時チェックイン予定から十四時頃に変更。美術館のチケットはやっぱりキャンセルしたいとのこと。
既に手に入れてしまったので無駄足になってしまったな……と思ったがしょうがない。
十四時チェックインということは、あと一時間くらいで到着するのか……。ということはつまり、このナンパ男の霊をそれまでにどうにかしないといけない。
メモを見るオリビアの手に透けた手が重なった。ぞおっと冷たいものが背中を駆け抜ける。
『フフッ。一時間はきみの横顔を独り占めできるんだね』
(ぎゃあ、気持ち悪い‼)
幽霊だからとか人間だからとかじゃなく、相手の気持ちお構いなしに触れようとしてくれる男は生理的に無理だ。
思わず手を引っ込めてしまったオリビアに、霊はウインクをする。
『おやおや。こんなことで照れてしまうなんて純情なんだね。可愛い』
しまった。見えないフリで無視すれば良かったのに反応してしまった。
ナンパ男は喜び、透けた手でオリビアの腰を抱いてくる。
『大丈夫、怖がらないで。俺が優しく恋の手ほどきをしてア・ゲ・ル』
(うわ―――‼ 本当に無理です嫌ですお断りです‼)
これが生きている人間だったら、女性コンシェルジュに迫る不届きものとしてフロントマンやドアマンが即座に助けてくれるのに。
霊が見えるなんて圧倒的に嫌なことばかりだ。
ルイスみたいに寛大に受け入れるなんてオリビアには到底できそうもない。
振り払いたくても振り払えず、泣きそうな気持ちで肩を縮めていると、ロビーにふらりとルイスが現れた。
「ラ、ラインフェルト様!」
咄嗟に声を上げたオリビアの姿にルイスは目をしばたかせる。
半泣きになっているこちらの姿を見ればどういう状況か一目瞭然だろう。
なのに、彼は「やあ、オリビア」と微笑んだだけでコンシェルジュデスクの前を通り過ぎた。
「あ、あの、宜しければ庭園を案内しましょうか⁉」
この場を離れる口実を与えて欲しい。
目力で訴えてみたが……。
「いや? 今はいいかな」
言葉通りに受けとったルイスはさらりと受け流す。
「あ、案内、させていただけませんかっ」
「でも、今、『お取込み中』というやつでは?」
「まったく違います」
デスクを回り込み、ルイスの側に寄る。
「さあ行きましょう。今日は素晴らしい天気ですよ。ヴォート城には見てもらいたい場所がたくさんありますからね!」
この霊はロビーにしか現れない。
長年の経験で決まった場所や条件が揃わないと現れない霊がいると分かっているオリビアは、とにかく今はこの場から離れたかった。ぐいぐいルイスの背を押すもののナンパ男が立ちふさがる。
『なんだよ。俺の方が先約だろ、コンシェルジュちゃん!』
「…………」
あなたなんて知らないし。
視線を逸らすと、それがナンパ男の気に障ったらしい。
『また無視かよ。本当は聞こえてんだろ? 見えてんだろぉっ!』
ガタガタガタ!
怒鳴り声に合わせて入り口の扉が震える。
ナンパ男の感情に呼応するように天井のシャンデリアも揺れていた。
「……あらっ、すごい風ねえ」
「突風かな」
ロビーのソファでくつろいでいた客が不思議そうにシャンデリアを見上げている。
突風じゃない。この幽霊男が引き起こしたポルターガイストだ。
オリビアはルイスの服の袖を握りしめてしまう。すると、幽霊男は逆上した。
『なに、か弱い態度とってんだよ。顔が良い男に媚びてんのかよ。ふざけた態度ばっかり取ってると祟るぞ。呪うぞ! ずうっと側に張り付いて、寝ても覚めても俺のことしか考えられないようにしてやろうか!』
ガタガタガタ。
建物が揺れる。
ルイスは――……
「その言葉は容認できないな。祟りや呪いなんて言葉に縛られて苦しむのはきみ自身だよ」
穏やかな語り口ながら毅然とした態度で反論した。
『うるせえ! 俺の女だ!』
「彼女は嫌がっているようだけど」
『俺のだ! 俺が見つけた! 俺を見てくれる人間なんだ!』
誰もいない虚空に向かって話しかけ始めたルイスは、きっとまたロビーの客から変な目で見られている。
やめろとは言えなかった。
怒りをぶつけてくるナンパ男が怖かった。
彼は死んでいて、オリビアに触れることはできないけれど――ひどいポルターガイストを引き起こしたり、彼の言うとおりに寝ても覚めても張り付かれたら?
なぜこんなに執着されているのかわからないが、向けられている得体の知れない感情が、怒りが、……怖い。
ほら、やっぱり霊が見えるなんてろくでもないことばかりだ。
普通に生きていたら遭遇しないような嫌な思いまでしなくちゃいけないなんて。
ルイスがオリビアを背中で庇うように立ってくれた。
「諦めなさい。この子はあげない」
『あああああああ!』
うわん! とエコーがかかったように叫んだ男は霧散して消えた。
オリビアは茫然とし――身体は震えていた。
一方的に絡んできたのは向こうだ。
なのに、オリビアが悪いみたいな言い方。
理不尽な暴力を受けたように怖くて、言葉が出ない。
「……行こうか」
終始落ち着いていたルイスに促されたオリビアは驚く。
「ど、どこにっ……」
「庭を案内してくれるといったのはきみじゃないか。朝食の席に生けてあった花はどこに咲いているんだ?」
フロントマンもドアマンも、ロビーにいた客も、何事もなかったように過ごしている。
実際に彼らの身には何も起こらなかった。
何もなかった。怖い思いをしたのは、オリビアだけ。
「……ポピーは、ヴォート城の……入り口の門近くです」
「よし、行こう!」
「きゃっ⁉」
オリビアの手を引っ張ったルイスが走り出す。
待ちきれない子どもみたいに走り出して、引きずられるように外へ出た。
がちがちに強張っていた身体から力が抜ける。眩しい午後の陽気な光が、あの男の怒りの残渣を浄化してくれる。ようやくオリビアはうまく息を吸うことができた。
「顔の造作よりも、真に必要なのは自分への自信ではないか?」
「なんの話です⁉」
「彼は自らの容姿が俺より劣っているようなことを言っていたが、人間の顔など数十年もすれば皺くちゃだ。死してなお女性を口説くバイタリティ、そして相手にされなかったことへの怒りっぷりからすると、生前に女性がらみで嫌なことでもあったのかもしれないな」
「知りませんよ、あんなやつの事情なんかっ……」
城から離れるうちにオリビアも段々と落ち着きを取り戻していった。
霊のほとんどは城の中にいて、外で会うのは自称騎士隊長のエスメラルダ三世くらいだ。穏やかで美しい庭園が安らぎを与えてくれる。
「ところで目的地はこちらであっているのだろうか」
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