花と亡霊①
「あら、噂をすればオリビアじゃない。聞いたわよ、ちょー美形の許嫁がいるんですって⁉」
朝のまかないを食べに休憩室に入ると、住み込みで働いている清掃係のメアリに声を掛けられた。向かいに座っているのは先ほどまで一緒に仕事をしていたフロント係のトニー。仕事中とは違い、「お疲れっすお嬢~」と砕けた口調で声をかけられる。
メアリは二十歳、トニーは二十一歳。オリビアよりも少し年上のおにいさんおねえさんだ。
「許嫁じゃないわ。トニー、誤解されるようなことを吹聴しないで」
メアリの隣に座ったオリビアはパンをちぎって乱暴に口に放り込む。
じろっと睨んだが、トニーは悪びれもしなかった。
「え! だって先代からの『孫娘のことをよろしく頼む』って手紙を持って現れたってことはそーいうことでしょ⁉」
「…………」
ええ、わたしもそう思いましたよ。ちょっと期待してときめいたりしちゃいましたよ。
「……あの人、本当に泊まりに来ただけみたい。だって、おじいさまが亡くなってるってことすら知らなかったのよ」
「じゃあ、今までどこに居たんすかね? 外国とか?」
「さあ……」
「さあって。あの後、ハワードさんと部屋まで案内したんでしょ? 何か話さなかったんすか?」
「……お食事を召し上がられて、そのままお休みになられたから……」
唐突に空腹を訴えたルイスを一階のカフェルームへと案内し、厨房に頼んで急遽一人用のディナーを用意してもらった。
他の宿泊客は二階ホールで食事をとってもらっているが、食事を終えて退席する客たちがいる中では落ち着いて食事がとれないだろうと配慮したつもりだ。
そして、しっかり食事を堪能したルイスは「案内は明日頼むことにする」と言って部屋に帰っていってしまったのだ。
「ハワードが言うには、『もしも精霊の間の鍵を持って現れる人がいたら、自分の大切な友人だからもてなしてやってくれ』っておじいさまが言っていたらしいの。あの鍵はご友人にプレゼントしたもので、精霊の間は彼のための部屋なんですって」
「つまり、VIP扱い?」
「…………だから滞在費もとらないって」
「ええーっ⁉」
「タダで泊まるんスか? いつまで⁉」
二人の気持ちはよくわかる。オリビアもこめかみを揉んだ。
「いつまでご滞在予定なのか、今日確認してみようとは思ってるけど……」
「ずーっと居座るつもりだったらどーするんです?」
「大赤字じゃないの?」
それはオリビアも思った。この古城ホテルは一泊それなりのお値段がする。部屋数を絞っているのもきめ細やかなサービスをするためだし、部屋や庭園でゆったりとくつろいでいただくことを目的としているため、富裕層や特別な日の宿としてご利用いただくことが多いのだ。
祖父の友人(?)なのだし、図々しく居座るような人間だとは思いたくないが……。
「っていうか、その方、お金持ってらっしゃるの?」
「確か仕事は『精霊師』とかって……。精霊師ってナニ、って感じっすよね~」
ははは、とトニーは笑ったが、オリビアは何も言わずにミルクを喉に流し込んだ。
祖父が鍵を託した『精霊師』なのだ。
……何か意味のあることなのだと信じたい。
食事を終えたオリビアは、こっそりロビーにある百科事典の項目を読みに行ってしまった。
せいれい【精霊】
超自然的な存在。精気。肉体から解放された自由な霊。
草木、動物、人などの万物に宿っているとされる。
せいれいし【精霊師】
精霊と直接的に接触や交流をする者の呼称。
Q、つまり精霊師って何をする人?
A、よくわかりません。
◇
「おはよう、オリビア。素晴らしい朝だね」
大輪の芍薬の花を背景に、テラス席で優雅な朝食をとっていたルイスが爽やかに微笑んだ。
朝日を浴びてキラキラ輝く様は異国からやってきた王子様のようだ。そんな彼に、オリビアはげんなりした気持ちで挨拶を返す。
「……おはようございます」
「おや、元気がないね。良かったらきみも一緒に朝食をどう?」
「いえ。わたしは仕事前に食べてきておりますのでお気遣いは不要です、ラインフェルト様」
「なんだいその堅苦しい口調は。昨日まではルイスと呼んでいたじゃないか。昨日の今日で呼び方を変えるなんて感じが悪いな」
バターと蜂蜜がたっぷりかかったパンケーキを上品に切り分けて口に運んだルイスは「きみもそう思わない?」と向かいに座る人物に話題を振った。
顔を覆ってシクシク泣くドレス姿の令嬢は見覚えがある。
昨日まで精霊の間にいた幽霊だ。ひく、と顔を引きつらせたオリビアに、何を思ったのかルイスは弁明を始めた。
「誤解しないでくれ、オリビア。いくら霊相手と言えども、レディと同じ部屋で一夜を過ごすなんてあってはならないことだ。俺は退室願ったのだが一晩中部屋の外に立っていたみたいでね。朝起きても泣き続けているものだから、こうして朝食の席に誘ってみたのだよ」
令嬢は泣き続けている。
「だが、ごらんの通り口も聞いてくれなくてね。……レディ、そろそろ顔を上げてはくれないだろうか。そんなに泣いていては花のかんばせが台無しだよ?」
キザなセリフを吐いたルイスは、テーブルに飾ってあった花を抜いて霊に差し出した。
コロンとした丸いフォルムの小ぶりな花瓶に生けてあるのは、ホテルの庭園で朝摘まれたばかりのポピーだ。
令嬢は差し出されたポピーを受け取りもせずに消えた。
ふむ、と困ったルイスは、そのままオリビアの方へとスライドさせる。
「では、良かったらきみに」
「いりませんっ!」
っていうか、テラス席に生けてある花はあなたの私物じゃないでしょうが。
ルイスはしょんぼりして花を花瓶に差し直した。
「あのですね。大変申し上げにくいのですが、ラインフェルト様に他のお客様から苦情が入っています」
「何ッ⁉」
「あちこちでずっと独り言をおっしゃっていて、その、目につくと」
霊を見かける度にぺらぺらと話しかけているのだろう。
ただでさえ人目を引く美貌の男だ。存在するだけでその場の視線を奪ってしまう男が目に見えない何かと会話し続けていたら目立つに決まっている。違法薬物でもやっているのではないか、とまで言いに来る客までいた。
「独り言じゃない」
「霊と話しているなんて普通の人は思わないのです。……あなたはおじいさまのご友人です。私どもも追い出すような真似はしたくありません」
「では、きみがずっと俺の側にいればいい。そうすれば独り言を話しているようには見えないだろう?」
名案だとばかりに微笑まれた。
ずっと側にいろだなんて。下心など一切持たないでこの発言をしているのなら恐ろしいし(一応わたしだって年頃のレディですが?)、何も考えていないのならそれはそれでどうかと思う(コンシェルジュは召使いじゃないのよ⁉)。
「わたしにも仕事がありますので、ずっとお側に控えているのは難しいです」
「そうか。それは残念だ。では仕方がないな」
「…………独り言はやめてくれるということでよろしかったでしょうか?」
「独り言じゃないからやめないな」
「…………」
暖簾に腕押し。糠に釘。石に灸。
異国のことわざで、相手に働きかけても手ごたえがないことをそういうらしい。まさにそんな気分だ。
昨日も思ったが、ルイスはかなりマイペースな性格らしい。他者の視線もあまり気にしていないようだ。オリビアはこめかみを揉んで根気良く交渉する。
「ですから、周りには独り言にしか聞こえないんですってば」
「霊たちに話し相手がいないのは寂しいことだ。姿が見えている俺まで無視してしまっては、彼らの訴えを聞くものはいなくなってしまう」
「それが精霊師の仕事なんですか?」
「そうだ。常人の目には見えない、彼らの言葉を聞くのが見えるものの務め」
胸に手を当てたルイスは微笑む。
「きみは彼らを見るのが嫌なんだね。だけど、人も霊も無視されては悲しいよ。自分の訴えを聞いてくれる相手がいないのは、誰だって寂しい」
――おばけが見えるの。
――うそじゃないの。
――おねがい、しんじて。
子どもの頃の、自分の虚しい訴えが胸によぎる。
でも。
「……相手の都合も考えずに訴えるのはどうかと思うわ。人は、社会の枠組みの中で生きてるんです」
死者は生者を助けてくれない。
そっちは訴えたいことを訴えて満足かもしれないが、変人だと後ろ指をさされるオリビアのことを助けてくれないじゃないか。
「だから、きみは彼らを無視するの?」
ルイスの口調は決して咎めるようなものではなかったが、優しくない人間だと言われているような気持ちになった。
「……わたしは霊なんか見たくない。頭のおかしい女だと思われたくないのっ」
強い口調で言い切ったオリビアはハッとした。
お客様相手に、何をむきになってしまったんだ。
「と、とにかく、人目に付く場所で幽霊と喋るのはやめてください。それと、わたしは今日の午前は所用があってコンシェルジュデスクにいませんので、何かありましたら、支配人のハワードにお申し付けください!」
言い捨てたオリビアは足早にその場を離れる。
しまった、いつまでの滞在かまた聞きそびれた……と後悔したが、今さら引き帰す気にもなれなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます