第4話

 連休を利用して僕は実家に帰省することにした。事前に連絡もなしに帰省したため、留守番をしていた兄はひどく驚きつつも暖かく迎え入れてくれた。

「珍しいな。特に長期休暇でもないのに帰ってくるなんて」

「ちょっと気が向いて。母さんと父さんは?」

「連休を利用して旅行中。あとで電話なりしておきなよ」

「そうする。葉月さんは来るの」

 葉月さんというのは遠距離恋愛中の兄の彼女の事だ。

「今は実家に帰省してる」すこしため息交じりに言った。そんな会えないと死んでしまうみたいな顔をしないでくださいな。

「となると兄さんと二人きりか」

「兄ちゃんと一緒で嬉しいか?」

「そうだね。嬉しいね」

 今まではそうでもないと言っては怒られるという他愛のないやり取りをしていたけど、つい家族に再会できたことを正直に言ってしまったことに兄はまた驚いていた。

「そうだ、じいちゃんにもあいさつしときなよ」

「わかってる」

 お仏壇に線香を備えて挨拶をする。老人ホームで会うたびにお小遣いをくれようとした。それなのにそのことを忘れていつも貰えずじまいだったが、優しいおじいちゃんだった。おじいちゃんは大学受験の二ヶ月前に老人ホームで急に容態が悪くなって亡くなった。受験勉強の追い込みで忙しかった僕はおじいちゃんの様子を見に行く機会が減っていた。そして、葬式で後悔した。もっと会えばよかったと。話しておけばよかったと。お仏壇に向かって手を合わすとき、それからおばあちゃんに会う時にいつもそれを思い出す。

 おばあちゃんは認知症で僕の事をすっかり忘れてしまった。僕が受験勉強中でも兄さんはよく会っていたから、かろうじて兄さんの事は覚えていたが、僕の事は本当に分からないそうだ。寂しい思いをするのではと思った両親は無理に会う必要はないと言っていたが、寂しくても僕はもうあんな後悔をしたくないから長期休暇の時には会いに行く。


 夕食に兄さんが作ってくれたカレーを食べながら、僕たちはお互いに最近あったことを話していた。兄さんが言うことは大体葉月さんの事が多かったが、僕はこないだの映画の話をした。

「へぇ、映画を観ておきながら原作小説も読んでんだ」

「筋書きが分かっているわけだから、少し面白みに欠ける気もするけどね。兄さんは映画、観た?」

 高校時代、漫画、ゲームに没頭していた兄さんの事だ。小説を読んだのかとは聞かなかった。

「まだ観てないな。今度葉月と一緒に行こうかな」

「そうするといいよ。観に行った時結構恋人連れの人が多かったし。ラブロマンスとしては楽しめるよ」

「それは楽しみだな」そう言った兄さんは少し考えてから、

「まさかとは思うけど一人で行ったわけではないよな?」と僕に訊いた。

「友達と行ったよ」僕は即答してカレーを口に入れた。「うん、美味しいな」それを聞いた兄さんは満足そうだった。


 実家にいても日記をつける癖は欠かさない。自分の部屋で日記帳と会話しながら書いていた。

『相変わらずまめなことだね』

 そのまめさのせいで死の運命を知ったのだけど。

『いつからやっているのかい?』

 小学生の頃からかな。でもなんで始めたんだっけ。

『今までに書いた日記を読み解けばわかるんじゃないかな』

 過去の日記はまとめてしまってある。けど探すのはめんどくさい。

『探せよ~』

 書こうとするページにその単語が何度も現れ続けて鬱陶しいので、渋々探すことにした。


 『今日はグループの友達に歴史の分からないところを話した。皆、優しく教えてくれて嬉しかった。』

 ようやくみつけた一番古い日記にはこう書かれていた。そんなこともあったなぁと感傷に浸ったものの、もうその皆の顔はいまいち思い出せない。確かこの日記を書き始めてから数か月後に引っ越した。それで母さんから楽しかったことを覚えていられるように日記を書いてみてと言われて書き始めたんだっけか。書き始めたのは小学五年の頃でクラスの皆とも割と仲が良かったのも覚えている。

 パラパラとページをめくって当時のことを思い出していくと、楽しいことばかりだけじゃなく、つらかったことも増えていった。引っ越した先の学校ではあまりなじめてなかった。だからこの前の成人式は行くのが億劫だった。

 古い日記帳をしまって、話す日記帳のページに途中で止まっている文字の続きを書いた。日記帳はもう寝ているように思えた。


 帰る日の前日、兄さんの車に乗せられて地元をドライブすることになった。兄さんのかけた曲に耳を傾けながら車窓から見える景色を見ていた。

「むこうにいる間にここも色々と変わったよね」

 高校を卒業した時にはなかった服屋や、和菓子専門店が増えて変わった景色を見てそう言葉にした。

「家を出てから、お前も結構変わったよ」

 自分のことを言われるとは思っていなくて兄さんの方に顔を向けた。

「小学生の頃にここに来てから、読書はともかくほぼ毎日勉強ばかりだった」

 あれは友達と遊ぶといったようにやることがなくて暇だったからだ。でも今は多分違う。映画を一緒に観に行く程度の友達はいる。

「そうかもしれないね」

 昨日読んだ日記帳に書いてあった頃と同じくらいに楽しいかもしれない。何もない日もあるけど自分で楽しく過ごせるように工夫はしているつもりだ。

「そうだ、パンケーキでも食べに行くか。最近新しくできた店があってさ。美味しいらしい」

 それは少し気になるから、食べに行くことにした。


 運ばれてきたパンケーキを一切れ、口へと運ぶ。甘くておいしい。リポーターみたいに詳しくは語れないけど、噂通りの味だ。

「そういえば、昔ここに引っ越す前は小学校の友達のことをよく話していたよな」

 急な兄の言葉に口にしていたパンケーキの味がふっとんだ。

「よく覚えていたね……」

 失礼な話だが少し馬鹿な兄さんは覚えていないものだと思っていた。というか、それを話したことがあったことを覚えていなかった。

「連絡とかしてないのか」

「さあね、携帯なんて持ってない時期だから連絡先も知らないし、もう顔も思い出せない」

「それでも、久しぶりにあの町に行くのはいいんじゃないか。小学生以来だろ? もう少ししたら夏休みだし」

 どうせ葉月さんも連れて行くんだろうなと思いながら、パンケーキを食べ終えた僕はコーヒーを啜った。

「懐かしさに浸ってみるのもたまにはいいんじゃないか。それにその時はまたおばあちゃんのとこに顔出せるだろ?」

 兄さんの言葉に首肯し、またコーヒーを啜った。ああ、そういえばもうおばあちゃんとは会えないのか。僕が死んだことを聞いても、あの人からしたら他人が死んだことになってしまうのだろうな。

 そう考えると少し寂しいような気もした。

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