第3話
「ただいま」
一人暮らしの部屋にその言葉は虚しく消える。鍵を置いた靴箱に日記帳が置いてあることに気づく。適当にページを開いてみると「おかえり」と書かれていた。
この日記帳と暮らし始めてもうじき一週間になる。前の時のように驚くことはない。
『君と暮らしていて疑問に思ったことがある』
何だろうか。
『君は死ぬ日が分かっているというのにいつもと変わらない平凡で忙しい日々を送っている。普通は大学を休んだりして遊んだりするのではないのかい』
その普通はよく分からないけど、確かに死ぬ日が分かったら自分の心が満足するまで遊ぶ人もいるだろう。けど、僕はその平凡な日々を積み重ねることが大事だと思う。
『へぇ』
この前、今を大事にして生きているといえるのかと言ったよね。僕は少なくとも今生きてることを大事にするつもりだ。それに、死ぬのが分かったからと言って休んだりして人に心配されたくない。
『ふうん。とにかく明日は映画を観に行く日だろ。早く寝たほうがいいよ』
そうだった、急がないと。そういえばなんで遊んだりしないのかなんて聞いたんだ?
『君の記憶を読み取って、こんなやつもいると知ったから』
この日の日記には大学で楽しかったことも書いたが、家にいる間は少し寒気がしたと書いた。当然、日記帳にはとやかく言われた。
約束の土曜日の夕方頃、僕は電車に乗って映画館へと向かった。今週はこの日のために講義を頑張ってきたといってもいいだろう。講義帰りで背負っているリュックには教材だけでなく日記帳も入っている。
『今日、友人と映画を観に行く予定だろう。私も連れて行ってくれないか?映画の感想というものを聞いてみたいんだ』
こいつが言うという事はおそらく映画の感想を言い合ったりするんだろうな。というかその時のことは記録してないのか。
『大まかなことは記録できるが会話の一言一言などは記録できない。君達だって一日に起きたことを一言一句覚えていないだろう?』
都合のいい記録の仕方のような気もするけどとりあえず持っていくことにした。
それなりに重い荷物を背負いながら、駅を出てすぐのアミューズメント施設に着いた。その中にあるゲーセンのほうで待ち合わせ予定だからそちらへと向かった。
ゲーセンエリアに入り、辺りを見回してみると、見慣れた大きな図体の友人がUFOキャッチャーで遊んでいた。こういう時、伊達の図体はいい目印になる。タイミングを見計らって後ろから声をかけた。
「遅くなったかな」
「いや、全然。そっちの講義が伸びることなんてよくあることだし」
確かにそうだが、どちらにせよ申し訳ない気持ちが勝る。急いでいたから気づかなかったが、深川さんらしき姿は見当たらなかった。伊達と一緒に来てるはずだろうからパンフレットでも先に買いに行ったのだろう。僕は見た後に買う派だが。
好きなゲームキャラの人形をUFOキャッチャーで取ろうと苦労している伊達を傍で見ていると聞きなれた声がした。振り向いてみると伊達の彼女がいた。
「ようやく旭川くんも来たんだ。また講義が伸びちゃったの?」
緩い感じの声の印象に違わない可愛い子だなと毎回思う。
「そう。毎回遅くなって申し訳ない」
「それも込みでの待ち合わせ時間にしてあるから大丈夫だよ」
伊達はそう言ってくれたが、やっぱりそういった待ち合わせは守りたいものだ。
映画館の席に向かう途中、伊達と深川さんが話しているのを傍目にもうこんな風に集まることもないんだろうなとぼんやり思った。
「旭川、大丈夫か」
突然、耳に入った友人の声に反応が遅れてしまう。
「ごめん。ちょっと考え事してた」
「恋人ほしいな、とか考えてた?」と悪戯っぽく笑う深川さんに対して苦笑で返したが、それよりも、
「やめなよ。そんなこと言ったら旭川がかわいそうだろ」という友人のさりげないフォローがむしろ心に刺さる。
仮に彼女が出来たとしてもあと三週間ほどの命だからすぐにお別れになっちゃいそうだな、と心の中でこれからの自分を軽く笑った。
映画は中々面白かった。この前買った小説のあらすじ通りで人が死ぬ運命の見える主人公がその運命を変えようとするがゆえに他人の運命に翻弄されていく。その最中、主人公が死の運命を変えた女性と付き合う。良い関係を築いていたのだが、その女性も含めた大多数の他人に訪れる死の運命を主人公が肩代わりすることでエンディングというものだった。
自分の死をもって愛する人を救うという結末は切なくもあり美しいと感じる人は多いだろうと思った。
観終わった後はフードコートで夕食を食べることにした。そういえば日記帳に映画の感想を聞いてみてくれと言われていたのを思い出し、注文した料理が届くのを待っている二人に映画は面白かったかとだけ聞いてみた。
「あの最期は悲しかったし、彼女役の方の演技に共感してちょっと泣いちゃった」
そう答えたのは深川さんだった。彼氏がいるからそう思うのかもしれないし、伊達との関係が良好なのもうかがえる。
「確かに救えた命もあったけどさ、死んだことで悲しむ命だってあるんじゃない?」
そう答えた伊達の感想は先程とは違う意味で僕に突き刺さった。
「旭川くんはどうだった?」
深川さんに訊かれて口を開こうとしたとき、注文した料理が運ばれてきた。それに遮られてからの会話は映画の感想から離れ、僕が感想を言う場面は失われた。
雑談しながら伊達の車に乗せてもらい、マンションについた時にはもう夜も深くなっていた。着いてすぐに、鞄の中に入れていた日記帳を取り出してページを開く。
『実に有意義な時間を過ごせたね』
もしかしてあの二人の事も分析しようとしていたのだろうか?
『それは秘密さ』
こちらの心情は読み取っておきながら隠し通す理不尽さに少し納得がいかない。そういえば僕は感想を言うことが出来なかったな。
『近いうちにその機会が来るよ』
来週、実家に帰省するタイミングのことを言っているのだろうか。勿論、この日記帳には既に書かれている。
「僕はお前の掌の上で転がされているのか?」ぽつりとその言葉を呟いた。
『そんなことはない。私と知り合っていようといまいと君はその選択をしていた』
どうして?
『パラレルワールドは知ってるかな。パラレルワールドの数だけ君と同じものが存在する。私が記録できるのは様々な世界の君に共通して起こることだけだ。そうではないことは白紙のままだ。白紙部分には様々な可能性がある。だから記録できないのさ』
いいことを言うなと思った矢先、
『まあ、これに関しては私が欠陥品であることを隠すためのただの言い訳に過ぎないが』
やれやれといった感じの文でその気持ちはかき消された。それにしてもお前の持ち主は何者なんだ。
『唯一無二の存在。どのパラレルワールドにもいなくて、その外側で人物史をただ管理し続ける存在』
理解の範疇を超えた答えが返ってきて、聞くべきじゃなかったと僕は少し後悔した。
『理解しようとすることが無駄だよ。それより早く風呂にでも入って寝なよ』
いつから僕の母親になったんだよ。
休みの日にはまた本を読んだ。確か謎の男に人の運命をむやみやたらに変えてはいけないという事を言われたんだっけ。このあとの流れは結局映画とほとんど同じだから文字で表現された詳しい心情くらいが面白いだけの本になってしまった。
それにしても土日ぐらいにしか本を読めないのはほんとにもどかしい。実習のある理系の学科を専攻すると多忙だとは聞いていたものの、今になって選んだ学科を恨んでしまう。
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