お姉ちゃんの実践
常温に戻した卵を二つ割り、粉チーズをザクザク入れて、黒コショウをふる。そして少量の牛乳。本当は生クリームがいいけど、あまり使い道がないので冷蔵庫は置いていない。だから牛乳で代用だ。
泡だて器でカシャカシャかき混ぜているとタイマーが鳴り、パスタの茹で上がりを知らせてくれる。
あとはパスタに先ほどの卵を入れて混ぜる。
ダマが出来ないように手早くかき混ぜたら、それを二枚の皿に盛る。
あらかじめ炒めていたベーコンを乗せれば出来上がりだ。
「はい、出来たよ」
「わ~い、カルボナーラ~」
待ってましたとばかりに彼女は声をあげる。いちおう皿とお茶を用意してくれているのでまったく仕事をしていないわけではないのだが、うちで食事をとるときの彼女は基本食べるのが担当だ。
「う~ん、やっぱり、ヒロくんお料理上手~」
「パスタしか出来ないけどね」
いつもながら美味しそうにご飯を食べる娘だ。
悠美と知り合ったのは大学のサークルの飲み会だった。最初の印象は『美味しそうにご飯を食べる娘』だ。ちなみに悠美の女性からの評価は『ぶりっこ』男性からの評価は『天然』だ。
実際に彼女とつき合ってみると、天然だとは思ったが、頭が悪いとか、ぬけてるとか、そういうことはなくて、単に無邪気だというのが一番しっくりくる印象だ。彼女以外の女性と付き合ったことがないので正確な比較は出来ないが、友達の彼女の話を聞いていると大なり小なりそんな感じだ。だから多分、女の子ってはそういうもんなんだと思うことにしている。
パスタを食べ終わり、悠美は台所で皿と鍋を洗っている。
まぁ、台所といっても貧乏暮らしの大学生。風呂とトイレが一緒になったユニットバス、コンロが一つだけのキッチンがついた1ルームの狭い部屋だ。
皿洗いは彼女がやるのがルール。といっても、僕が決めたわけじゃなくて彼女が頑なに固執する自分ルールだ。食べてばかりだというのは女の子のプライドが許さないらしい。
そんな女の子のプライドを今日も無事に守り切った悠美が皿洗いを終えて近づいてくる。
表情がニマニマしている。
これは何か企んでいるときの顔だな。
「洗い物ありがとう」
「どういたしまして」
さて、何が飛び出してくるのかと楽しみにしていると、彼女はバックからおもむろに一本の棒を取り出した。
「じゃじゃ~ん、というわけで、今日はヒロくんの耳かきをします」
「耳かき?」
うん、今日の悠美は想像の斜め上をいっているな。いや、いつも想像以上の何かで僕を楽しませてくれるという意味ではいつも通りといえなくもない。
「へぇ、悠美、耳かきなんて出来るんだ?」
「うん、ばっちり妹に指導を受けてきたからね」
「妹って、東大の?」
「そう。天下の東大生さまに教わってきたからバッチリだよ」
偏差値と耳かきの技術が比例するなんて話は聞いたことがないけど、とりあえず出来る人間からレクチャーしてもらった事実に安堵する。
「それにしても多才な妹さんだよね」
「そうよ。奈美ちゃんは本当にスゴイんだから」
大威張りで胸をはる。
この辺りは正直、悠美の凄い所だと思う。
家族が東京大学に入学。
親だったら両手放しで喜ぶだろうけど、それが兄弟姉妹だったら別だ。
僕にも妹がいる。だけど自分が一流とも二流とも言えない中途半端な大学なのに、妹が東大になんて入ったら絶対に嫉妬する。幸い今年受験の妹は地元の短大を受けるようなので、その辺りの心配はしなくても良さそうだけど。
「仲いいよね」
「うん、仲良し姉妹だよ」
彼女は本当に妹が好きで、誇らしく思っている。妹さんは直接知らないけど、そんな優秀な奈美さん直伝の耳かきなら信用してもいいかもしれない。
「じゃあ、ヒロ君。お膝にゴロンだよ」
「はいはい」
そういえば膝枕をされるのって意外と初めてかもしれないな。側頭部から伝わってくる感触を感じながら、ふと気がついた。
悠美の太ももの柔らかさが、僕の頭の重みをゆっくりと吸収する。スカートの生地が少しゴワゴワするけど、生地が厚いぶん暖かく感じる。それがなかなか気持ちいい。彼女とは色々と試しているが、これは新しい発見だ。
「じゃあ、やってくね~」
「ああ」
最初に悠美は耳をタオルで拭いてくれた。
しかも蒸しタオルだ。さっきレンジのチンという音が聞こえたのは、これを作っていたからか。
「気持ちいいね」
「そうでしょ」
自慢げに彼女は言う。蒸されたタオルの蒸気が耳の穴に入ってくる。
耳の中を温められる。
初めての感覚だ。
全身の筋肉が緩んでくる。
耳に当たっているだけだというのに、体中がほんわりした気持ちになってきた。
「次は耳をモミモミしていきま~す」
言うなり、悠美は僕の耳たぶを摘まんできた。彼女の細い指が僕の耳を軽く引っ張ると耳の表面ピリピリした感覚が這っていく。ピリピリは僕を少しだけ驚かすと、そのまま耳の孔の中へすぅっと消えていった。
「何か変な感じ」
「嫌?」
「いいや、気持ちいい。もっとして欲しいかな」
「そう、よかったぁ」
安堵の声が聞こえてくる。彼女は自分が不器用だと思っている節があるので、やっぱり緊張していたのかもしれない。その辺りの思い込みは、器用な妹さんがいるのもそうなのだが、僕にも責任の一端がある。以前に悠美が一度だけ料理を作ってくれたときのことだ。
特に不味いということはなかったのだが、とりたてて美味しいわけでもなかった。なので「女の子だからって、みんな料理が出来るわけじゃないんだ」という趣旨の発言をしてしまった。今思うと初めて女性とつきあった故のうっかり発言なのだが、あれは本当に良くなかった。冷静に考えたら、うちの妹だって家で料理をしているところなんて見た事がない。間違いなく出来ないだろう。だからそれ以降、僕は誉めるときは素直に誉めようと決めている。
「それじゃあ、どんどんやってくね~」
言いながら、次々と耳つぼ?なのだろうか、耳を指圧していく。
爪の先で軽く突いているんだろう。
悠美はネイルはしていないけど、やすりで綺麗に整えている。その研ぎ澄まされた爪の先が浅く食い込むたびにツンとした感覚が脳みそまで走り抜けていく。
軽く突かれているだけだと分っているのだが、ひとつひとつの場所が的確なのだろう。一回一回の刺激が凄く効く。
「うわぁ、効くね、コレ」
「でしょ、でしょ。では、いよいよ耳かきしてくね」
「うん、お願い」
最初はちょっと不安もあったが、これなら大丈夫そうだ。悠美は先ほど自分のバッグから出した耳かきに手をかけると、僕の耳の前でスッと構えた。
その目はまさに鷹の目……ではないな。
そういうのは悠美には似合わない。
ひよことか、すずめのイメージだ。
現に顔をうずめた太ももにキュッと力が入って緊張しているのが伝わってくる。
ちょっと寝心地が悪くなってしまったけど、まぁここは彼女の努力を信用しよう。
「う~ん、そんなに溜まってないね」
「そうなんだ? 普段あんまり耳かきなんてしないんだけど?」
「溜まりにくい体質なのかな? 残~念~」
以前、TVで「耳かきはそれほどする必要はありません」という話を聞いてから、ほとんど耳かきなんてしていない。実際に溜まりにくい体質なのかもしれない。もっともそれは悠美の前で言う必要はないだろう。あくまでこれは耳の掃除ではなくてレクリエーションの一環なのだ。
「まぁ、ちょっとでいいからやってみてよ。せっかくだしさ」
「うん、いいよ~。じゃあ、やるね~」
耳かきの匙の部分が耳孔の壁にちょんと触れた。
「うぉ!」
思わず声が出てしまった。
耳かきをしたのはいつぶりだったか?
例の番組を見たのは中学生くらいだったか?
耳かきって、こんなに……
「ごめん痛かった?」
「ああ、いや」
悠美が不安そうに顔を覗き込んで来た。
膝枕してるから顔が近い。
吐息が感じられる距離。
不安で少し濡れた瞳が色っぽい。
「いや、全然大丈夫。耳かき久しぶりだから、ちょっとびっくりしただけだから。続けていいよ。大丈夫」
即座に勢いよく否定した。
こういうとき不安にさせると彼女はすぐに止めちゃうからな。
これは途中で止めてしまうのは惜しすぎる。
「そう? じゃあ、もう一回いくよ?」
「ああ」
返事とともに耳かきが動く。正直いって数瞬前まで耳かきという行為を舐めていた。だって二年もつきあって膝枕で耳かきなんて今更な感じがしていたからだ。
しかし、どうやらそれは大きな間違いだったのかもしれない。これはさっきよりもドキドキしてきたな。
そんな僕の期待を裏切ることなく、再びソイツはやってきた。
耳の内壁部分に耳かきの匙が触れる。
ツンとした感覚が耳を通じて脳みそまで響いてきた。
次は声をあげないように気をつける。
自分でも触れないところに触られるって、こんなにゾクゾクするものなんだな。
「大丈夫?」
「ああ、大丈夫だよ。耳かきって気持ちいいんだね」
「うっふっふっ、そうでしょ~」
言いながら、次々と耳道の表面をこすり上げていく。
耳の中なんて普段はまず気にしない場所だが、ちょっとでも気になると痒みが生じてくる。
それを耳かきで掻く。
痒さを意識させて、そこを掻く。
痒い、掻く、痒い、掻く、痒い、掻く
ううっ、脳みそがとろけそうだ。
多幸感にめまいさえ覚える。そういえば悠美は耳を触られるのが好きだったけど、こういう理由もあったわけだ。次に触るときはいつもと違う方法を試してみよう、と考えている矢先に耳の中では変化が訪れていた。
先ほどまでは単純に擦るだけだった耳かきの先が、今度は啄むような動きが加わった。耳の中で固まった垢を突き崩すように、匙をリズミカルに躍らせる。
「何かこれ……さっきと違うね」
明らかに先とは違う感触。
先ほどの匙さばきが線なら、今の動きはまさに点。まるで耳かきの先にセンサーでもついてるみたいに弱い部分だけを巧妙に狙い続けているみたいだ。
ツンツン突かれるたびに肌が粟立つ。
震えるほどの快感が走る。
「むふふ、奈美ちゃん直伝『啄木鳥の舞』気持ちいいでしょ?」
「あ、うん……いいんだけど、そのネーミングは絶対に悠美だよね」
最後の最後で残念なのもいつも通りのクオリティーだ。
「ああ、でも悠美にこんな特技があったとは驚いた」
「奈美ちゃん直伝だからね」
「しかしチョイチョイ話題には出てくるけど、凄い妹さんだよね」
「まぁね~、奈美ちゃんはスゴイよ。偉そうにするのがたまにきずだけど」
「偉そうなんだ?」
「うん。でも、初対面だと分りにくいから。最初は問題ないかも」
「それって逆に問題あるんじゃ……?」
ちょっと心配になってしまう。たしかに以前に写真で見た悠美の妹は美人だけど少し気難しそうな感じがした。
「心配しなくても大丈夫だよ。ちょっと他人との距離をとるのが苦手なだけで悪い子じゃないから。昔から勉強出来て頭の回転も速いんだけど、そのせいでちょっと周囲から浮いてるんだよね」
「人付き合いが苦手なの?」
「そんな感じ。だから最初は逆にスゴく丁寧に喋ってくると思うよ」
なるほど、それで最初の方が印象がいいのか。
しかし、勉強が出来て、耳かきが上手で、人付き合いが苦手か。
いったいどういう妹さんなんだろう?
気になるが今はこの自分の触れられないところを他人に触れられるという新たな楽しみを満喫しよう。
まったく彼女は僕を飽きさせることがない女の子だ。
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