イルシュエーレの叫び

「どうしたの、イルシュ?」



 電話を机に戻した実は、顔を上げてそう訊ねる。



 部屋の入り口に、イルシュエーレが立っていた。

 その身からゆらゆらと漂うのは、精霊のおさたる彼女独特の魔力。



 急に魔法が乱れた原因はこれだ。



 彼女の魔力がこちらの魔法に干渉してしまい、安定性が必要なこの魔法を乱してしまったのだ。



「あなた、何を……」



 イルシュエーレは、ひどく青い顔で実を見つめている。

 それに、実は不思議そうな表情で首を傾げた。



「何って……友達に連絡してただけだけど…?」



 それを聞いたイルシュエーレが、息を飲んで言葉を失った。



「どうして……そんなこと……」



 イルシュエーレは両手で口を覆い、実を凝視する。



「どうしてって…。そりゃあ連絡くらいしとかないと、向こうが心配するし。」

「だめ!!」



 唐突に、イルシュエーレがそう叫んだ。

 今までにない力がこもった強い口調に、実は驚いて口を閉じるしかない。



 イルシュエーレは深くうつむいて、大きく体を震わせる。



「だめ……だめ!! どうして、人間になんか…っ。まだ思い出せないの? あんなことがあったのに……人間なんか、信じちゃだめっ!!」



「イ……イルシュ?」



 激しく頭を振るイルシュエーレに、実は戸惑いを隠せなかった。

 とにかく分かるのは、自分の行為がイルシュエーレの気にさわったということだけ。



 当惑しながらも、とりあえずはイルシュエーレに近寄る実。



「イルシュ、落ち着いて。」

「いやっ!!」



 パンッ



 そんな乾いた音がして、イルシュエーレの手が実の手に握られていた携帯電話を弾き飛ばした。





「人間なんか……人間なんか、大っ嫌い!!」





 その言葉を皮切りに、イルシュエーレの口からせきを切ったように言葉が零れていく。



「どうして…? 人間はいつも、乱暴で無慈悲だわ。自分の都合で精霊を操って、私たちの住処すみかを荒らして、壊していく。それで今までに、どれだけの仲間が死んでいったことか…っ。それなのに彼らは、同じ人間でさえも殺そうとするの。自分の身勝手な都合だけで……子供だろうと、関係なく。」



「―――っ!!」



 実はイルシュエーレの言葉に瞠目する。

 イルシュエーレが言っているのは、明らかに自分のことだ。



「私は……あなたを最後まで守るって、そう決めたの!! 小さかったのに一生懸命大人になろうとして、深い傷を抱えていた。それでも純粋に前を向いて生きようとしていたあなたを、私は心から愛したわ。あなたには、なんの罪もない。なのに人間たちは……あなたを…っ。……嫌い……嫌い嫌い!! 人間なんか、大っ嫌い!!」



 実は目を見開いて、その場に棒立ちになった。



 嫌いどころじゃない。

 イルシュエーレは、人間を憎んでさえいるのだ。



 彼女の声が、表情が、全身から噴き出す魔力が、それを言葉よりも表している。



 部屋はしんと静まり返り、時間が止まったかのような錯覚が襲う。



「……あ…っ」



 肩で激しく呼吸を繰り返していたイルシュエーレが、ふいにそう呟いた。



 ようやく我に返ったのだろう。



 目の前で立ち尽くす実を見たイルシュエーレの顔から、みるみるうちに血の気が引いていく。



「イルシュ……」



 躊躇ためらいがちに名前を呼ぶと、イルシュエーレの肩が大きく震えた。



「あ……あ……」



 怯えるように、一歩退くイルシュエーレ。



「ご……ごめんなさい!」



 きびすを返して部屋を出ていくイルシュエーレを、実は追うことも止めることもできなかった。



 あれが、イルシュエーレの心の叫び。

 あの態度から察するに、本当は自分に言うつもりはなかったのだろう。



「………」



 実は何も言えないまま、立ち尽くすばかり。



 ―――反論できなかった。



 思わぬイルシュエーレの気持ちに驚いたことだけが理由じゃない。

 イルシュエーレの言葉を打ち消すだけの言葉を、自分は持っていなかったのだ。



 実の表情が、ふと寂しげな微笑みをたたえる。



「人間なんか……か。」


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