楽しい思い出

 その日から、精霊たちは毎日俺の前に姿を現した。



 そして俺が独学で魔法を勉強していると知ると、自分たちが持ちうる知識を教えてくれた。



「いい? 自然の力を扱うってことは、本人の実力の他に私たちとの相性も問われるの。どんなに才能に恵まれてても、私たちに嫌われたら上手く術を操作できないわ。」



 そう教えてもらったので、見かける精霊に片っ端から声をかけてみた。



 最初はどの精霊も驚いたり警戒したりしたが、人間が狂わずに平然とここにいるという事実に興味を持ち、さらに俺がここにいる経緯を話せば、あっさりと親しくしてくれた。



 普段なら交流を持たない異なる属性の精霊たちも、俺という共通の知り合いを通して、普通に会話するようになった。



 初めて精霊と言葉を交わしてからというもの、俺の交友関係はあっという間に広がっていった。



 彼女たちと過ごしているのは楽しかった。



 人間と違って、彼女たちは俺を殺そうとは決してしない。

 いつだって俺に優しく笑いかけ、惜しみなく手を差し伸べてくれる。

 両親よりもずっと物知りで、俺が分からないことは全て教えてくれた。



 ここにいるのがとても心地好かった。

 精霊たちの言うとおり、いつしかここは俺の居場所になっていた。



「あなたって、本当に不思議よね。」



 ある日、しみじみとそんなことを言われた。



「なんで?」



 訊き返すと、地面からちょんと顔を出していた地の精霊は、上目遣いでこちらを見上げた。



「だってさ、人のくせに普通にここにいるし、見えにくい地の精霊まで見えてるし、動物たちと意思疎通しちゃうし、しかも好かれてるし。あなたが人間だってことが、時々不思議になるのよね。」



 そう言われた俺は思わず、なでていたうさぎを見下ろした。



 結局あの後、この兎は家までついてきた。

 何があっても離れる気がないようなので、仕方なく家に入れてやったらこの有り様だ。



 四六時中べったりで離れない。

 布団にまで潜り込まれた時は、さすがに焦った。



「そんなこと言われてもなぁ……」



 不思議がられても、こうなってしまう理由なら、逆にこっちが訊きたいくらいだ。



 自分が〝鍵〟であることが影響しているのかもしれないけど、それとこれがどう関係するのかはさっぱりである。



「まぁ……あなたは魂からして人間臭くないし、ちょっと不思議なだけなんだけどね。」

「ふーん……」



 兎を一旦地面に下ろし、俺はごろりと地面に横になった。

 草むらに顔をうずめると、柔らかい葉の感触と湿った土のにおいがして気が抜ける。



 ここに来ると、すごく安心する。

 体から無意識に力が抜けて、普段どれだけ緊張していたのかがよく分かる。



 ずっと、ここにいられたらいいのに……

 そんなことを思ってしまうのだ。



「ねえねえ!」

「うん?」



 顔を上げると、目の前に水の精霊が立っていた。



「そろそろ、イルシュエーレ様にご挨拶しない?」



 妙にきらきらとした笑顔で言われ、俺はぱちくりとまばたきを繰り返した。



「イルシュエーレって……誰のこと?」



 周りにはたくさんの精霊がいて、その名前が誰のことを指しているのか、全く分からないのだけど……



 俺がきょろきょろしている理由を察したのか、その精霊は声をあげて笑った。



「あはは、違う違う。私たちに個別の名はないよ。イルシュエーレ様は、ここを統べる精霊の女王様なんだよ。私たちと同じ、水に属するの。」



 はしゃいだ様子の精霊。

 周りの精霊たちも、心なしか期待するような雰囲気をかもし出している。



「なんか……みんな、嬉しそうだね。」



 控えめに問うと、精霊たちは大きく頷いた。



「そりゃそうよ。イルシュエーレ様って、滅多に表に出てこないんだから。だけど、いつも私たちを見ててくれてるの。そのイルシュエーレ様が、見てるだけじゃなくてあなたに会ってみたいっておっしゃったの。こんなことって初めてなの。光栄に思いなさい。」



 そう聞いて、俺はゆっくりと立ち上がった。



 そのイルシュエーレという精霊に会う会わないは、正直なところどっちでもいい。



 でも、精霊たちがあまりにも嬉しそうにはしゃいでいるのを見ると、とても嫌だとは言えなかった。



 みんな、イルシュエーレという女王がそれほどに大好きなのだ。



 彼女に会っても自分にデメリットはないわけだし、ここで嫌だと言って、はしゃいでいる精霊たちの楽しみを取り上げるのも可哀想だろう。



「分かったよ。で、その人はどこ?」



 服についた泥をはたきながら訊ねると、精霊はにっこりと口角を上げた。



「いるよ。いつも、すぐ傍に。」

「え?」



 その瞬間、湖の水が大きく飛沫しぶきを上げた。

 空から差し込む太陽の光を、飛び散る飛沫がきらきらと反射させる。



 その飛沫の中に現れたのは、神秘的な美しさを放つ女性の姿だった。


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