彼女たちとの初会話

 突如聞こえてきた笑い声に、自分よりも先にうさぎが反応する。



「大丈夫。」



 耳をまっすぐに立てて頭を上げる兎をなだめるようになでて、俺は笑いかけてやる。



 大丈夫。

 気にするほどのことではない。



 



「ねえねえ、あの子?」

「そう。最近、毎日来るんだよ。」



 声が近くなって、周りに何かが舞った。



「面白い子だよね。人間のくせに、ここにいても全然狂わないんだよ。」



「そうね。さっきなんて、狼を言葉だけで追い払っちゃったし。あんな子供、食べられてもおかしくなかったのに。」



「そうだよねー。ふっしぎー。」



 明らかに言われているのは自分のことなのだけど、ひたすら無視することに徹した。



「でも、確かに面白い魂の色してる。人間なんだけど、人間離れしてる変な感じ。」



「あの子、私たちのこと見えるの?」

「ううん、見えないみたい。」



「いっぱい悪戯いたずらしたけど、気付かなかったよ。」

「そう。ってことは、やっぱり人間なんだ。」



 声を気にしないように、兎の背をなでて視線を落とす。

 だが……



「へぇー…」



 そう言って、周囲に集まっていたうちの一人が突然目の前に飛び込んできた。



 小さな青い瞳が、興味深そうにこちらの顔を覗き込んでくる。

 目を合わせないようにするのが大変だった。



「見た目は普通の子供だよねー。やることが子供らしくないけど。」

「………」



 仕方ないだろ。

 内心でそう反論しつつ、下手に反応しないように我慢する。



「ヤッホー♪」



 可愛らしく手を振られたが、そこも意地でやり過ごす。



「おっもしろーい。ここまで反応しないと、逆に色々したくなるね。おーい、聞こえるー? チービ!」



 ―――プツンッ



 我慢の糸が切れた。

 ガッと彼女の首根っこを掴んで、自分の前で宙吊りにする。



「チビで悪かったな。ついでに、お前に言われたくない。」

「え…」



 想定外のことに、彼女は固まる。

 次の瞬間。



「きゃああぁーっ!!」



 小さな口から、とどろくような悲鳴がほとばしった。



「ちょっと! 何よあんた!! 見えないんじゃなかったわけ!?」



「初めっから、ずうーっと見えてたっつーの!! しつこいんだよ! いい加減、我慢できないだろうが! 知ってんだからな。お前らが毎日俺のご飯を取ってってたり、足を引っかけようとしてんの!」



 周りを見回しながら怒鳴ると、彼女たちは挙動不審な動きで飛び回った。



「見えるんだったら、なんで見えないふりすんのよ!?」

「しょうがないじゃん。父さんが、そうしとけって言ってたんだから。」



 以前父に、彼女のような存在が見えると話したことがあった。



 その時に言われたのは、できるだけ見えないふりをして、彼女たちに関わらないようにしろということだったのだ。



 実際のところ、彼女たちの姿が見えたことはたまにしかなかったし、彼女たちに関わる理由も皆無。



 そういうわけで、彼女たちの存在を特に意識したことはなかったのだが、ここに来るようになってから状況が変わった。



 今まではほとんど見えなかった彼女たちの姿が、毎日見えるようになったのだ。



 好き勝手に飛び回るだけならまだしも、興味本意でこちらにちょっかいを出してくるものだから、これまで見えないふりを通すのに苦労したのなんの。



 まあ結局、こうして限界が来てしまったわけだけど。



「それより、どうにかならないの? お前ら精霊がいっぱいいるせいで、こいつが怯えてる。」



 震える兎を一瞥いちべつして問う。



 動物にとって、自然の力をつかさどる精霊は格上の存在だ。

 そんな存在に囲まれて、兎は完全に畏縮してしまっていた。



「分かったわよ。離しなさい。」



 彼女が頷いたので、素直に手を離すことにする。

 彼女は兎の前で止まり、その鼻に手をつけた。



「大丈夫よ。あなたをとがめたりはしないから、安心して。何かあったら、全部そこの子供に責任取らせるから。」



「おい。」



 何故そうなる。



 彼女の言い分に不満はあったものの、兎の震えが止まったので、それ以上の文句は言わないでおいた。



「よし、もう平気ね。それにしても、動物は素直だわぁ。それに比べ……人間って生意気だわぁ。」



 掴まれたせいで乱れた服を整えながら、彼女は不満げに呟いている。



「生意気で結構。可愛いげがないのは理解してる。」



 開き直ってそう言うと、彼女は思い切り顔をしかめた。



「ほんっとに可愛いげないなぁ。その子には優しくするくせに。」

「こいつはお前みたいに、文句とか言わないんでね。」



 間髪入れずに言い返すと、彼女は不満そうに頬を膨らませた。

 その反応が、見ていて少し面白い。



「……ふっ」



 こらえようとしたけど無理だった。



「何笑ってんのよ。」



 思わず噴き出してしまった俺のことがしゃくさわったようで、彼女はむすっと眉根を寄せて怒鳴ってくる。



「……変な顔。」

「なっ…」



 彼女の顔が一気に赤く染まった。



「失礼ね! ほんと、人間の子供って礼儀を知らないわ。無邪気に精神をえぐってくるんだから、性質たちが悪い。」



「そう言う時点で、抉られるようなやわな精神じゃないくせに。」



「あんたは邪気たっぷりね。」



「どうも。」



 このやり取りに、周りの精霊たちからもくすくすと微かな笑い声が漏れた。



「へぇ…。話すと、結構面白い子だね。」

「口も妙に達者だよね。」

「うん。あの切り返しの早さは才能だわ。」



「ねえねえ!」



 別の精霊が頭に乗ってきて、俺の気を引くように髪の毛を引っ張ってきた。



「最近毎日ここに来てるけど、なんで?」

「なんでって……家が近いからかな。」



 森の木々の間に微かに見える小屋を指し示す。



「向こうに家が見えるでしょ? あそこが俺の家。」



 俺は、ありのままの事実を言っただけ。

 だけど……



 俺がそう言うと、精霊たちが急にざわめき始めたのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る