助けた命

 その日は、あまり魔法の練習をしたくなかったのを覚えている。



 毎日欠かさず練習をしてきたおかげで、基本的な魔法はある程度制御できるようになっていた。



 もちろん、両親には秘密にしてある。

 両親の前では、自分はあくまでも無邪気な子供でなくてはならないから。



 父は自分の微かな変化に勘付いていたようだけど、何も言ってこないから気にしないことにした。



 外で魔法の技術に磨きをかけ、両親の前では子供の演技をする。

 あの日は、そんな毎日を繰り返す疲れが気力を削いでいたのかもしれない。



 いつものように外に出たものの、やる気が湧いてくるわけもなく。

 大きな湖のほとりに寝転んで、ただ無為に時間を消費していた。



「はあ…」



 疲弊した溜め息と共に、俺は組んだ腕の中に顔を埋めた。



 今日は、本当に何もやる気がしない。

 特に意味もなく湖に手を入れると、ひんやりとした感触が気持ちよかった。



 ここは、つい一週間ほど前に見つけた場所だ。

 とても静かで、誰の気配も感じない。

 森にたくさんいるはずの動物たちさえ、ここにはあまり立ち入らないようだ。



 家からもそこそこに離れていて、魔法の練習もし放題。

 ここにいるのは、かなり気が楽だった。



 ガサガサッ



「―――っ!?」



 完全に気を抜いてたので、突然茂みが揺れた時、俺は無意識に飛び上がって身構えていた。



 自分の真後ろの茂みが、大きく揺れている。

 そこから飛び出してきたものに、俺はふっと息を吐いた。



 出てきたのはうさぎだった。

 まだ子供なのか、その体はとても小さい。



 兎は俺の存在に気付くと、怯えたようにその場で身を縮めた。

 俺はしゃがんで、両手を広げる。



「おいで。」



 できるだけ優しく語りかける。

 兎は一瞬躊躇ちゅうちょした様子を見せたが、すぐに地を蹴った。



 あっという間に自分の胸に飛び込んできた兎を、そっと抱き上げてやる。

 兎はひどく震えていた。



「どうしたの?」



 首をひねったその時、また茂みが揺れる。



「ああ、なるほど……」



 そこから出てきた狼の姿を捉え、俺は納得する。



 普通ならこんな時、腰を抜かして泣き喚くのが正しい反応なのだろう。



 だが、この時にはすでに色々と悟った後だ。

 人間じゃないなら大して怖くもないというのが、俺の正直な気持ちだった。



 俺は地面に放ってあった包みを開き、そこにあったパンを狼の前に放り投げる。

 狼はにおいを嗅いでそれが食べ物であると確認した後、勢いよくそれを食べ始めた。



「ごめんね。ほんとは、こういう自然のことには手を出さない方がいいんだろうけど…。これも、何かの縁だから。」



 まさか一度抱き上げた兎を、狼に引き渡すなんてことができるはずもなく。



 少しだけ不安だったけど、パンを食べ終えた狼は、獰猛どうもうな雰囲気をすっかりくしていた。



 俺が手を伸ばすと、お礼でも言うかのように頬をすり寄せてくる。



「ありがとう。」



 どうやら、分かってくれたようだ。

 ちょっとだけ申し訳なくなって、俺は意識を森中に広げた。



 ずっと遠くを見渡す気分で、どんどん意識を広げていく。



「向こうの方に、大きめの群れがあるよ。この子を襲うより、ずっとお腹いっぱいになると思う。仲間と一緒に行ってくるといいよ。」



 ずっと遠くに、獣の群れの気配がする。



 狼は頷くようにもう一度頬をすり寄せると、ぱっときびすを返して茂みの中に消えていった。



「大丈夫。もう行ったよ。」



 ずっと震えていた兎に言い聞かせながら、優しく背中をなで続ける。

 すると、しばらくして兎の震えが止まった。



 それを確認して兎を地面に下ろしてやったのだが、何故か兎は俺の周りから一向に離れなかった。



「どうしたの? もう大丈夫だよ?」



 しゃがんでもう一度そう言ってあげても、兎はやはりその場から動かない。

 むしろ、俺がしゃがんだ途端にまた膝の上に飛び乗ってきてしまった。



 ……懐かれてしまったらしい。



「しょうがないなぁ……」



 仕方なく、もう一度兎を抱き上げてやった。



「どうしたの? 親とはぐれたの?」



 腕の中で心地よさそうに丸くなる兎に、苦笑するしかなかった。



「よかったね、殺されなくて。」



 兎をなでながら、ちょっと寂しい気分になる。



 この兎には、たまたま助けてくれる人がいた。

 もし自分と会わなければ、あのまま狼の餌食えじきになっていただろう。

 それを運よくのがれたのだ。



 でも自分には、殺されそうになっても助けてくれる人なんて、果たしているのだろうか。



 自分は〝鍵〟だから……



 全世界の恐怖の対象であり、誰もが消そうとする存在だ。

 そんな自分には、きっと救いの手は差し伸べられない。

 自分に伸びてくる手は、もれなく自分の首を絞めてくるだろう。



 世界の平和という、大義名分の下に。



「俺……いつ殺されんのかな…?」



 ぽつりと零れた呟きは、すぐに空気に溶けて消えた。



 くすくすくす……



 小さな笑い声が聞こえたのは、ちょうどその時のことだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る