まさか、まだ―――

(………あれ?)



 既視感が全身を包む。

 この感触は、前にもどこかであった気がする。



 引き寄せられるように、実は頭上を見上げる。



「ばあ!!」

「わっ!?」



 小さな顔が視界に飛び込んできて、実は思わず一歩退いた。

 彼女は実の周りをぐるりと回ってから、実の前に浮かぶ。



 明るい青の髪は不思議な揺らめきを見せていて、人懐っこい瞳は鮮やかな水色にきらめいていた。

 ひらひらとした衣装は彼女の動きに合わせて優雅に揺れ、それはまるで、水の流れを表しているよう。



 水に属する精霊だと、すぐに分かった。



「久しぶりだね! ……あれ? 結構大きくなってる。人の時間って、そんなに早かったっけ…?」

「? ……? ………?」



 親しげに話しかけてくる精霊に、実は混乱して棒立ちになってしまった。



 こんな精霊に、知り合いなどいただろうか。

 全然身に覚えがないのだが……



 しかし、滅多に人間の前に姿を現さないはずの精霊が、こうやって自ら声をかけてくるくらいだ。

 交流はあったと考えるのが妥当だろう。



「まあいっか。魂は一緒だしねー?」



 こちらの動揺に気づいていない精霊は、一人で勝手に納得すると、嬉しそうにこちらの胸に飛び込んできた。



「もうー…。急にいなくなるから、心配したんだよ? でも、よかったぁ。相変わらず、私たちが見えるみたいだし。」

「私……たち…?」



 訊き返すと、精霊は不思議そうに小首を傾げた。



「え? みんな、後ろにいるよ?」



 さも当然のように言われて、実はゆっくりと後ろを振り返った。



「―――っ!!」



 言葉を失った。



 彼女の言うとおり、そこにはたくさんの精霊たちがいたのだ。



 彼女と同じような水の精霊や、緑や白が基調の格好をした地や風の精霊に、活発な印象を与える火の精霊。

 それぞれの特徴を持った精霊たちが、こちらを見下ろしていた。



 拓也の話によると、異なる属性の精霊はその住処すみかも離れていて、特別な理由でもない限り、互いのテリトリーに干渉しないそうだ。

 害意がないなら、すれ違っても交流を持つことはしないという。



 それなのに目の前には、この世界に存在する全ての属性、たくさんの精霊たちが集まっている。

 普通なら、ありえるはずのない光景だった。



「やっと気付いたんだ。」

「みんなで待ってたんだよ。」

「ほんと、久しぶりだよね。」



 精霊たちは嬉しそうに、自分の周りを飛び回っている。



「………」



 さすがに、違和感を覚えた。



 記憶に、何も引っかからないのだ。



 こんなにもすごい光景を、自分は忘れてしまったのだろうか。

 ほんの少しでも、おぼろげにでも覚えていないというのだろうか。



 いや、違う。

 そんなはずない。



「………っ」



 まただ。

 また、胸を締めつけるような不快な気分がする。





 ――― まさか、まだ取り戻していない記憶があるの…?





「懐かしいね!」



 実の胸に飛びついていた精霊が、嬉しそうに言う。



「昔に戻ったみたい。前もこうやってみんなで集まって、いっぱい遊んだよね。」



 彼女は満面の笑みを浮かべる。



「ずっと、みんな待ってたんだよ。おかえりなさい。」



 彼女は広げた両手を実に差し伸べた。



「おかえりなさい。」

「おかえり。」

「おかえりなさい!」



 皆がそう言って、笑いかけてくる。



 実は顔を歪めた。



 分からない。

 思い出せない。



 彼女たちが、自分にとってどんな存在だったのか。

 ここが、どんな思い出の詰まっている場所なのか。



 思い出せと自分に命じても、胸の苦しさが増すだけ。

 あっさりと忘れてしまうような記憶ではないはずだ。



 それなのに……



「俺…は……」



 とっさに、その場から一歩退く。



 その時、ふと後ろから伸びてきた誰かの手に、優しく抱き締められた。



 精霊たちとは違う、自分と同じ大きさの細い腕。

 ふわりと漂う清々しい気が、柔らかく自分を包む。



「会いたかった……」



 予想外のことに固まる実の耳に、感極まった涙声が響く。



「やっと出てきてくれた。」



「イルシュ様だ……」

「イルシュエーレ様。」



「この森の主様。」

「出てきてくれたよ。」



「あの子が帰ってきたから。」

「今日は、お祝いだね。」



 精霊たちが楽しそうに、そして嬉しそうに囁き合う。



「……イル…シュ?」



 囁かれる名が、脳裏に引っかかった。





 ――― 知っている。





 その名前を、自分は呼んでいた。

 ずっと前に、この場所で。



 一生懸命記憶を探っていると、ふいに自分を抱き締める手が目をそっと塞いだ。



「さあ、行きましょう。」

「……え?」



 次の瞬間、体が後ろに傾いだ。

 何が起こったのかを理解する前に、冷たい水が全身を包む。



「―――っ!?」



 パニックに陥った体は言うことを聞かず、大量に水を飲んでしまう。

 もがこうにも、後ろからしっかりと抱き締められていて上手くできない。



 視界が、遠くなる。





『イルシュ!』





 薄らぐ意識の中で最後に聞いたのは、幼い自分の声―――……




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