〝無邪気〟の欠片

 思い出した瞬間、言い表しようのなかった胸の締めつけが懐かしさに変わった。



 ここは、自分がまだこの世界で暮らしていた時に住んでいた場所。



 子供が神の器になる運命をけたかったエリオスが、ここならある意味安全だからと、自身が狂ってしまうことも覚悟で子供をここに隠したのだ。



 実は戸を押し開けてみる。



 小屋の中には、部屋が数えるほどあるくらい。

 手前がキッチンを含んだリビングで、奥が寝室。

 それ以外は、トイレと風呂場に通じるドアがあるだけだ。



「うっわ、懐かしいな……何も変わってない。」



 思わず笑ってしまった。



 部屋のすみにある木馬のおもちゃ。

 少し高めに作られた椅子。

 床の落書き。



 全部、思い出した記憶にあるものと寸分の違いもない。



 色んなものに手を伸ばしながら、実はリビングを歩き回った。



 キッチンには、小さいサイズの食器がある。

 どう見ても子供用だ。



「ちっさ……」



 この食器もあの椅子も、今はもう使えない。

 木馬にだって乗らないし、床に落書きなんて常識的に考えてできない。



 ここには、自分がまだ無邪気だった痕跡がたくさん残っていた。



 奥の寝室に向かえば、その無邪気な面影はより一層濃くなる。



 寝室であると同時に子供部屋でもあったその部屋は、子供らしい遊び道具であふれていたのだ。



 実はおもちゃ箱の傍に膝をついて、その中に手を突っ込んだ。



 退屈しないようにと、大量に与えられたおもちゃ。

 それをしまう大きな箱の奥底を、探るように掻き回す。



 やがて―――



「………」



 箱の一番底にあったものを取り出し、実は少し寂しそうに口を吊り上げた。



 それは分厚い本だ。

 中には字がびっしりと記され、延々とこの世界のことわりや魔法について述べられている。



 微笑ましい無邪気の中に、年齢には不相応なものがひとつ。



 いつからだっただろう。

 大好きだった無邪気の象徴が、この不相応なものを隠すためのみのになったのは。



 本当に、必死に学んだ。



 まだ分からないよと笑う両親から意地になるふりをしてこの本を奪って、毎日読みふけった。



 確かに内容は難しかったが、本の意味など分からなくても、少しでも魔法が使えるようになればよかった。



 ―――そうじゃなきゃ、殺されてしまうと分かっていたから。



 いつの間にか知っていた、自分が〝鍵〟であるということ。

 そうと知ってから理解していた、自分の身を守るのは自分しかいないという現実。



 だから、とにかく必死だった。



 早く、少しでも早く、力をつけなければ。

 自分の中に渦巻く力を、使いこなせるようにならなければ。

 そうじゃないと、あっという間に殺されてしまう。



 募る焦燥感は、ただただ自分を追い立てて必死にさせた。



 本の所々に書かれているつたない文字と、大量のメモ用紙。

 少しでも早くこの本を理解しようと、幼いなりに努力していたのだろう。



「やっぱ、複雑だな……」



 ぽつりと、本音が零れてしまう。



 これはきっと、彼の記憶。



 それを思い出して懐かしさを感じてしまうのは、はっきりとそうであると認識できないだけで、自分がじつは彼だからなのかもしれない。



「………」



 本を閉じて、おもちゃ箱の一番上にそれを放り投げる。



 次にきつく目を閉じた実は、幼い頃の苦い思い出を振り切るような勢いで一気に立ち上がった。



 その時、目の前にあった窓を何かが横切った気がした。



「………?」



 実は窓から外を見やる。



 窓の向こうには木々が乱立していて、その先に水辺らしきものが微かに見えた。

 窓を横切ったらしい何かは、もう見えない。



「鳥かな?」



 普通の結論を下し、実はあっさり窓を離れる。



 小屋を出た実は、またサルフィリアが咲く方向を探してみる。



 小屋の横に回り込むと、ぽつぽつと小屋の裏側に続くサルフィリアを見つけた。

 それを辿り、小屋の裏手へ。



 サルフィリアはさらに奥、さっき窓から見えた水辺の方へ細い線のように続いている。



(そういえば……あそこにも、よく行ったな。)



 あそこには、大きな湖があるのだ。

 ここに住んでいた時は、必然的にあそこが遊び場の一つになっていたっけ。



 上手い感じに小屋からは見えにくくなっているので、両親にばれないようにこっそりと魔法の練習をするにはうってつけだったのである。



 込み入った下草を掻き分け、実は湖のほとりに出る。



 湖の周りを囲む草原には、多くのサルフィリアが咲いていた。

 人の手入れはないが、木々は綺麗に湖と草原を取り囲むように立っている。



「相変わらずだな、ここも。」



 実は湖の水に手を入れる。



 冷たい湖の水は透明で、中を泳ぐ魚を見ることができた。



 深い青に染まる湖は周りに咲くサルフィリアの青ともよく馴染み、互いの青を引き立てて、この景色の美しさを際立たせている。



 くすくすくす……



「?」



 実は湖面から顔を上げた。



 また花の声だろうか。



 そう思ったが、さっきみたいな眩暈めまいがないことを考えると、なんとなく違う気がする。



 くすくすくす……



 かといって、気のせいというわけではなさそうだ。



 実はゆっくりと立ち上がる。

 すると。



「えいっ!」



 そんな可愛らしい声と共に、何かが頭に飛び乗ってきた。


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