花の歌

「あれ? いつの間に、こんなとこに……」



 実は、なかば茫然と呟く。



 サルフィリアは、聖域の清い魔力を糧に成長する花。



 それがこんなに群生しているということは、ここは森のかなり奥まった場所ということだ。



 確かに考え事をしていて周りが見えていなかったが、無意識のうちにこんなに奥まで進んでいたとは。



「サルフィリアが咲いてるってことは……」



 実は辺りを見回す。



「ここ……禁忌の森か。」



 そういえば、確かに空気が違う。

 近くに人の気配もないし、多くの魔力が混ざった人里と違って、空気に満ちる魔力が純粋だ。



 実はそっと、花畑に足を踏み入れた。



 花を踏んでしまうことには申し訳なさを感じたが、なんとなく中に入って見たかったのだ。



 花畑は、森のさらに奥まで続いている。

 その光景はまるで、美しい大河のようだ。



 花畑の中でしゃがんだ実は、優しく花に触れる。



「うん、すごく綺麗だ。」



 自然と、頬が緩んだ。



 花に宿る力は、ものすごく清浄で澄んでいる。

 触れていて、気分がとても癒されるほどに。



 ここまで綺麗な聖域も、今となってはそうそうない。



 これまで他の聖域にも足を運んだことはあるが、ほとんどの聖域は、周囲の環境に負けて多少のけがれを含んでしまっていた。



 並大抵の人間は聖域に長くいることができないので、穢れを定期的に浄化するような動きもない。



 そうなると、城の側にここまで綺麗な聖域があるのが皮肉に思えてくる。



 ここがこんなに綺麗な空気を保っているのは、レティルの存在が大きいのだろう。



 腐っても神だということだ。



 認めるのはしゃくだが、レティルが穢れを浄化しているならば、この清浄な力にも納得がいく。



「ムカつくけど、こいつらに罪はないしな……」



 実はひきつりそうになった口元から、ふっと力を抜いた。



 上質な力をいっぱいに吸っているからか、サルフィリアは淡く発光している。

 その光景は幻想的で、見ていて飽きない。



 人が入れないからこそ、この絶景が今もなお保たれているのだろう。



 少しもったいないなと思いつつ、この景色は人の目に触れないでいいのかもしれないとも思う。



 人の目に触れないからこそ、この景色は特別で、それ故の価値があるのだ。



 実は花から顔を上げて、森の中を見渡した。



 ここに流れる空気や魔力は、人間を狂わせてしまうという。



 幼い頃に何度もそういった人間に出会ったが、それはもう見ていられるものではなかった。



 ある者は幻影に魅せられたかのようにうつろな目で笑い続け、またある者は何かに怯えるように震えていた。



 自分の様子を見に来たエリオスに連れていかれた彼らが、果たして正気を取り戻せたのかは定かではない。



 記憶にある限り、この禁忌の森で正気を保っていられたのは自分以外では両親だけだ。



(こんなに居心地いいのにな……)



 ここの空気は澄んでいて心地よいし、魔力は清浄で強く、また優しくも感じられる。



 生まれてからずっとここで過ごしていたからだろうか。

 自分には、ここの空気が家のように安心できるのだ。



 どうしてここで人間が狂ってしまうのか、とんと検討がつかない。



 そんなことを考えながら、深く呼吸。

 森の清らかな魔力を全身で感じながら、もう一度息を吸って吐く。



 それだけで、さっきまで胸にくすぶっていた不快感が瞬く間に消えていった。

 無意識に、全身からも力が抜けてしまう。



 意識せず、実はとても穏やかで優しい笑みをたたえていた。





 ―――帰ってきた。





 その時ふと、そんな声を聞いた気がした。

 最初は気のせいかと思ったのだが……



 帰ってきたよ。

 あの子が帰ってきた。



 ……いや。

 気のせいではないようだ。



 実は声のあるじを探して、きょろきょろと辺りを見回す。



 あの方に知らせよう。

 私たちの根を辿って。

 川に水が流れるように。



 言葉の内容にハッとして、実は視線を落とす。

 地面一面に咲くサルフィリアが、さわさわと揺れている。



 この声はまさか―――花の声?



 大地が喜んでいる。

 風も、水も、木々も。

 さあ、あの方にはもう届いただろうか。



 花たちは歌う。



 さあおいで、私たちに愛される子。

 みんな、あなたの帰りを喜んでいる。

 あの方が待っている。

 ずっとずっと、待っていた。



「う…」



 実は頭を抱える。



 声が二重三重に響いて、聴覚を満たす。

 ひどい眩暈めまいが襲ってきて、思わず地面に手をついた。



 地面が揺れる。

 目に映る景色がぼやけ、平衡感覚が狂ってしまう。



 そんな中で、花の歌がただ鼓膜を叩く。



 行こう。

 あの方が呼んでいる。



 道が分からないなら、私たちを道標みちしるべにすればいい。

 みんなであなたを導こう。



 さあ、一緒に行こう。

 懐かしいあの場所へ、一緒に帰ろう。



「帰…る?」



 帰るって、どこに?

 帰る場所など……



 ……いや、違う。



 そうだ。

 帰らなきゃ。



 ―――あの場所に。



 眩暈の中、思考が勝手にさまよう。

 何を考えているのか、もう分からない。



「あの場…所に……?」



 意識はふっつりと、そこで途切れた。


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