綺麗な光景

 今日も天気がいい。

 そんな長閑のどかなことを思いながら、イルシュエーレは長い廊下を歩いていた。



 ここをのんびり歩くのは、少し久しぶりなように感じる。

 最近は実をけて、ずっと表にいたから。



 思わずとはいえ、実に本音をぶちまけてしまった後だ。

 実に変な態度をされたらと思うと、どうしても怖かった。



 あの時最後に見た、実の心底驚いた表情が頭から離れなかった。

 実に避けられたら嫌だと、自分から実を避けてしまっていた。



 だから昨日、実の方から話しかけてくれた時は、本当に嬉しかったのだ。



 昨日のことを思い返しながら歩いていると、ふと前方から騒ぎ声がした。



「あら…」



 覗き込んだ部屋の光景に、イルシュエーレは大きく目を見開いた。



 部屋の中には、たくさんの泡が浮いていた。



 虹色に光るそれは大きいものから小さいものまで様々で、ふわふわと浮き沈みを繰り返している。



 その光景は、部屋の様子を幻想的なものへと変えていた。



「うわっ!? イルシュ、いたの?」



 こちらに気付いた実が、気まずそうな表情で固まる。



 思い切り〝まずい〟と書いてあるようなその顔は、悪戯いたずらを親に発見された子供みたいだ。



 そんな実が可愛く思えて、イルシュエーレはくすりと笑う。



「これは何?」



 触ってみると、泡は弾けて消えてしまった。



「えっと……シャボン玉っていうんだけど……まあ、事の発端はこれなんだ。」



 実はそう言って、何やら金属でできた板のようなものを見せてくる。



 それを覗き込むと、その板の中にいるたくさんの子供たちが、筒の中に息を吹きかけて無数の泡を出していた。



「へえ…」



 イルシュエーレは、実が見せてくれた映像を感心したように見つめる。



「これを見たこいつらが、自分たちもやるって言って聞かなくて。……ごめん。じっくり見せたいんだけど、充電がそろそろないから……」



 言いづらいのか時々口ごもりながら、実はそれをポケットにしまった。



「それより―――」



 途端に険しくなった実の瞳が、ぐるりと振り向いた先を射た。

 その先にいるのは、未だにシャボン玉で遊んでいる精霊たちだった。



「ああもう、お前ら!! さっきから、外でやれって言ってんじゃんか!!」

「えー。」



 精霊たちは、全く聞く耳を持たない。



「だって外じゃ、シャボン玉が割れちゃうもん。」

「だから、湖の外でやれって。」



「やだ。めんどくさい。」

「誰が部屋の掃除するんだよ!?」



 実が怒鳴るが、精霊たちの様子は変わらない。

 彼女たちは自分の好きなように、シャボン玉を量産して遊んでいる。



 イルシュエーレは実の肩に手を置いた。

 振り向いた実に、静かに首を振る。



「でも…」

「いいのよ。」



 部屋のことなら気にする必要もない。

 そう伝えるつもりで、困惑顔の実に頷いて見せる。



「ねえねえ! イルシュエーレ様!!」



 実とイルシュエーレの間に、突然精霊が割り込んできた。

 精霊は持っていた器と紙の筒をこちらに差し出すと、喜色満面といった様子で笑った。



「やってみて? すっごく面白いの!」



 目の前に出されたそれらを受け取る。

 中を覗くと、虹色の光が揺れる液面が見えた。



 筒をくわえ、そっと吹く。

 すると先ほど見た映像のように、小さな泡が大量に筒の先から出ていった。



 自分の周りだけ一気にシャボン玉が増えて、まるでそこだけが別世界になったよう。



 なるほど。

 精霊たちが大喜びで遊ぶのも、無理はないかもしれない。



「ああ、イルシュまで……」



 自分まで一緒になってやり始めては、さすがに何も言えないようだ。

 実はしばらくおろおろとしていたが、やがて諦めたように肩を落とした。



「いいじゃない、たまには。」



 器を精霊に返すと、彼女は他の精霊たちのところに戻っていき、またシャボン玉を量産し始めた。



「綺麗ね。」



 言うと、実は複雑そうに眉をひそめた。



「綺麗かもしんないけど……中でやると、色んなところがぬるぬるするんだよ。石鹸だから。」



 大きく溜め息をつく実。



 精霊たちの力を使えば、汚れだけを取り去ることは容易なのだけど。



 昔から自分たちが全く気にしないことを気にする実だったから、実らしいと言えば実らしい。



 イルシュエーレは部屋中を見渡す。



 精霊たちは皆、楽しそうにはしゃいでいる。



 その様子は先ほど実に見せてもらった映像とそっくりで、幻想的な絵として成り立つほどに美しかった。



 けれどどんな絵でも、精霊たちのあんなに生き生きした輝きばかりは表現できないだろう。



(とても、綺麗……)



 その光景に感動して、安らぎを覚えている自分がいた。



 精霊たちがこんなに楽しそうに笑っているのを、どれくらいぶりに見るだろうか。

 最近は自分が笑っていなかったからか、精霊たちも控えめな笑顔しか見せなかった。



 それが分かるから、この光景に息を飲むほどの感動を覚えている。



 そして、精霊たちをいとも簡単にこんな素晴らしい笑顔にさせる実を、とてもすごいとも思う。



 人間なのに、人間以外の存在をこんなにも惹きつける実。

 自分も含め、ここにいる誰もがそんな実に引き込まれて、実を大事に想っている。



(この子は、本当に不思議な子。)



 今も昔も変わらない気持ちを抱きながら、イルシュエーレは微笑んで実を見つめていた。


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