第5章 精霊の王
その子のことを知るまで
ああ、聞こえる。
仲間が苦しみ、泣き叫ぶ声が……
もう嫌だ。
何も傷つけたくない。
そんな精霊たちの声は、その力を使う人間には聞こえていない。
彼らは自分たちの思うまま、ただ無慈悲に魔法を使うだけ。
人間の魔法によって操られるもの、傷つけられるものに心があるなんてことを、微塵も知らないで。
痛い。
苦しい。
声はやまない。
私がどれだけ苦痛を引き受けても、精霊たちや大地が苦しむ声は途切れなかった。
時代は戦乱の世。
どこの土地も傷つき、荒れ果てていた。
人間は己の力と私たちの力を、最後の一滴まで絞り尽くす勢いで、毎日のように互いを傷つけ合っていた。
荒れ狂った上に抑えがない力は、無差別に何もかもを傷つける。
そして、その影響はこの聖域にまで及んだ。
聖域に逃げ込んだ人間は例外なく狂い、ただでさえ荒れていた聖域をさらに荒らしていく。
私たちが見えていた人間に至っては、彼らを助けようとした精霊たちを敵だと思い込んで殺す始末。
毎日毎日、たくさんの仲間が死んでいった。
どうして?
私たちは関係ない。
争うのは、人間の都合でしかないのに。
どうして人間と一緒に、私たちが傷つかなければいけないの?
苦しい。
常に精霊たちの苦痛を引き受けて、守れるだけの聖域を守って、必死に大地を癒した。
だけど、精霊の王たる私の力も、日々の戦乱で限界が見えてきていた。
人間が恨めしかった。
彼らには私たちが見えない。
見えないから、こんなにも傷ついている私たちをさらに傷つけられる。
不平等だと思った。
利用するだけ利用して、彼らは私たちを見向きもしないなんて。
限界に達している力を振り絞りながら、気が遠くなるような戦乱の時代を耐えた。
結局この戦乱は、世界のバランスがこれ以上崩れることを危ぶんだ神が、人間に直接介入することで終わりを告げた。
このままでは力の均衡がどうしようもなく崩れ、世界が滅んでしまう。
そう判断してのことだと、私の前に現れたあの方は言った。
人間なんか、滅んでしまえばよかったのだ。
私たちが道連れに滅んだとしてもいい。
人間なんか、この世界に生きていてはいけない。
そう言った私に、あの方は頷かなかった。
人間には、生きて償わなければいけない罪がある。
それを償わずして、世界を巻き込んでの滅びを与えることはできないのだと。
ならば―――
私の中で、答えは出ていた。
「ならば私は、この湖に身を隠しましょう。私自身をこの聖域の核として湖にとどめ、聖域の守りをより強固にいたしましょう。決して、人間がここを傷つけられぬよう。」
そうして私は、深い湖の底に潜った。
私の自由と引き換えに、聖域の守りは格段に強くなった。
森に入った人間は、恐ろしい幻影か至福の幻影を見て自我を失った。
中には自ら命を絶つ人間もいたけれど、それも仕方のないことだった。
いつの間にかここは禁忌の森と呼ばれ、人間はここに立ち入ることを禁じるようになった。
私は、それでいいと思った。
元より、聖域は人間を拒んだ場所。
人間が足を踏み入れてはいけない場所なのだから。
戦乱の世が終わり、聖域は徐々に力と清浄さを取り戻していった。
森の傍には国家の中枢が建ち、森は厳格に管理され、人間は月に数えるほどしか迷い込んでこなくなった。
それで私はようやく、心を安らげることができた。
「ねえねえ、面白い子がいるの!」
そんな言葉を聞いたのは、あれからどれくらいの時が流れた頃だっただろうか。
何人かの精霊が、そんな話をしていた。
最近、この湖に姿を現す子供がいるらしい。
何年か前から、聖域と知っていながらも、あえてここに身を置く人間がいることは知っていた。
その二人は人間だけど、私たち精霊を束ねることを神に許された人間たちだった。
多分、狂わずにいられるのはその影響だろう。
気に入らなかったけれど、彼らが森に害を及ぼすことはしなかったから、放っておくことにしていた。
精霊たちが言う面白い子とは、きっとその二人の子供なのだろう。
雰囲気が人間っぽくない。
あの幼さで自分の力を使おうとしてる。
この間なんか、動物を軽くいなしていた。
聞けば聞くほどに、その子供の様子は妙だった。
そして、ある日。
「聞いて、聞いて!! あの子ったら、私たちが見えてたんだよ!」
興奮した様子の精霊たちが、口々にその日のことを話しに来た。
その子と言葉を交わして、とても面白かったのだと。
やはり、その子はあの二人の子供で、このすぐ近くに住んでいるようだった。
生まれた頃からずっとここに住んでいるらしく、それでも狂う予兆がないのだそうだ。
精霊たちの興奮に引きずられて、話を聞いている精霊たちも同じように興奮しているように見えた。
「でね……あの子、なんだか人間が嫌いみたいなの。」
「……え?」
さすがに、それには驚いた。
それは、私に限ったことではない。
他の精霊も驚きと戸惑いを隠せない様子で、話の続きを待った。
「えっと……人間の世界では、自分は殺される運命なんだって、あの子が言ってた。だから、ここにいるのは仕方ないって。」
「………っ」
すぐにピンときた。
その子はきっと〝鍵〟なのだ。
でもそんな幼さで自分の正体を知っているなんて話、聞いたことがない。
私の疑問をよそに、日々はまた過ぎた。
そして日を追うごとに、私の周りはその子の話題で満ちていった。
元々私の周りの精霊たちは、私と似て人間嫌いな傾向にある。
けれど、そんな精霊たちがちょっとした興味からその子の元に向かっていき、次々とその子に引き込まれていった。
みんな口を揃えて、あの子は不思議な子だと言って笑った。
人間になんか、もう二度と関わらない。
そう決めていたのに、何故かその子の話は、私の胸にずっと
「私も、会ってみようかしら……」
そう言うまでに、あまり時間はかからなかった。
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