悲しいの?

 時は、刻一刻と過ぎていく。

 ここに来てから、どれほどの時が流れたのは分からない。



 実はベッドに寝転んで、ガラスの向こうを見つめる。



 ここは、ただただ青い。

 朝も昼も、夜でさえも変わらない青をたたえている。



「………」



 時間の感覚が麻痺しているのが分かる。

 そして、鈍麻しているのは時間の感覚だけじゃなかった。



「………」



 何も考えたくない。

 ただ流れる時間は、思考さえもにぶくさせていた。



 ここに来てから、たくさんのことを思い出した。



 ずっと受け入れられなかったことも受け入れるしかなくて、今まで散々考えてきた疑問の答えが、最初から存在し得なかったのだと理解した。



 そして、理解したからこそ……分からなくなった。



 人を信じるのか、信じないのか。



 ……いや。

 結論は言うまでもなく、自分の中にあるのだ。



 人を信じたい。

 これは、ずっと昔からあった思いだ。



 でも、その思いのせいでたくさん傷ついた。

 そして、大切に思った人ほど自分の運命に巻き込んでしまった。



 桜理がその最たる被害者だし、拓也や尚希だって……



「………っ」



 胸がひやりとする。



 これ以上、桜理たちを巻き込むようなことになったらどうしよう。

 優しい彼らを危険にさらしたくない。



 何度目かも分からない気持ちが頭をよぎった瞬間、脳裏で映像が弾ける。



 実はぎゅっと目をつぶった。

 自分の恐怖を裏付けするように、それは縦横無尽に頭を駆け巡る。



「違う……こんなの、絶対に違う…っ」



 違うと思いたい。

 そうじゃないと、胸を張って言いたい。



 なのに―――どうしても、振り切れない。



 それは、自分を奮い立たせていた気持ちが揺らいでいる証拠でしかなくて。



「あー、もう!」



 なか自棄やけになって、実は勢いに任せて起き上がる。

 すると。



「きゃっ」



 小さい悲鳴と共に、肩から何かが転がり落ちた。



「ん?」



 そちらを見ると、精霊の一人がベッドに転がっていた。



 内気そうな雰囲気から察するに、多分この前イルシュエーレの日記を見せてきた精霊だと思う。



「大丈夫? いたなら、声をかければよかったのに。」



 そう言うと、精霊は目を伏せて顔を背けてしまった。



「だって……実悩んでたから、声かけにくかったんだもん。」

「そうだよ!」



 彼女に続いて、シャールルがベッドの下からぴょこんと顔を出す。



「わっ……シャールルもいたんだ。」

「もちろん。僕は実に席を外せって言われない限り、実の傍にいるんだもんね。」



 彼に人間の姿があったなら、きっとふんぞり返っているだろう。



 そんなシャールルに癒された実が微笑むと、精霊もシャールルも、明らかに安心したようだった。



「ねえ、実……お願いがあるんだけど……」



 精霊が上目遣いに実を見やった。



「お願い?」



 首を傾げて訊くと、精霊はこくりと頷く。

 彼女はちょっと恥ずかしそうに、「だめかな…」と、こちらの様子をうかがっている。



「いいよ。俺にできることなら。」



 そう答えた瞬間、精霊の表情がパッと輝いた。



「あのね、外のこと教えて。」



 彼女は嬉しそうに、何度も服を引っ張ってくる。



「外のこと?」



「うん。私ね、いつも怖くて、ここから出られないの。でも、外に興味はあるんだ。実はずっと外にいたでしょ? 外って、どんな感じなの?」



 目をキラキラさせてこちらを見つめてくる、精霊の瞳。

 そこには、未知のものに期待する光があった。



 確かに彼女の言うとおり、怖くても憧れは拭い去れないようだ。



 いや。

 もしかしたら、怖いからこそ憧れるのかもしれない。



(怖いからこそ……)



 表情がまた強張りそうになる。

 それを寸でのところで我慢して、実は笑みを浮かべて彼女の頭をなでてやった。



「いいよ。他の精霊やイルシュからは、外の話を聞いたことあるの?」



「うん、あるよ! 外にはいっぱい人間がいて、とっても大きなお城があるの! 直接じゃないけど、見たこともあるよ。」



「そっか。……じゃあ俺は、イルシュたちも知らない世界の話をしてあげるよ。そこの人たちは俺たちみたいに魔法を使わないし、こうやって精霊と話したりもしないんだ。」



「そうなの!?」



 精霊だけじゃなく、シャールルも驚嘆の声をあげた。

 それに、一つ頷く実。



「でもその代わり、色んな技術が発達してるんだ。電気の使い方も、こっちより色々だし……そうだな、ちょうどいいのがあった。」



 思い至って、実はポケットに手を突っ込んで携帯電話を取り出した。



「例えば、これとかね。」

「何それ!?」

「ま、見てれば分かるよ。」



 実が携帯電話を操作しだすと、彼女たちは食い入るように画面を見つめた。



 そんな彼女たちの様子に苦笑しつつ、実は携帯電話に保存されている写真を見せてやった。



 城なんかを遥かにしのぐ高層ビル。

 道路を行き交う自動車。

 街の電工掲示板や、その中で笑う人々。



「すごーい……」



 彼女らの感想は、その一言に集約されていた。

 言葉で言い表せない感動が全身から滲み出ているようだ。



「ねえ、次は―――」



 ふと顔を上げた精霊が、そこで表情を一変させた。



「実……悲しいの?」



 彼女から問われたのは、そんなことだった。


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